花山の思い1(普陀落)

 観音さまの浄土、その名はポータラーク。インドの南の海上にある島にあるとされている。
 そこから、人々を救うために、観音さまが世界のあちこちへ、さらに時間をも超えて飛び出していく。それも、救う人に合わせて姿を変えて。
--ボータラーク、それはまるで、サンダーバードの基地である。

 やがて、純粋に観音さまを信じている人々は、インドだけでなく、南の海上ならどこでも観音の浄土があると信じ南の洋上に向かって手を合わせ、あるいは実際に洋上に船を漕ぎだした。
 また、観音さまが私たちを救いにくる時に到着(着陸)しそうな清浄な場所も、――そこに観音さまがそこを気に入ってしばらくとどまっていそうだというので、――ポータラークと名づけた。

※こういう話は、私は逆の順序で考えるクセがついています。
 つまり、やさしさ(慈悲)で人々を救う人(動物も含む)を、総称して「観世音菩薩」「観自在菩薩」と呼ぶようになったと思うのです。

 隣のオジサンが、やさしさで(あるいはやさしさに裏打ちされた怒りで)、私たちに“人はどうあるべきか”を気づかせてくれたとします。
 普段はそんなことをするような人ではないと思っていたし、こちらの感受性が鈍っていたために今までそれと気づかなかった場合、“オジサンの姿をした何か別のモノが私に気づきを与えてくれた”――そんなふうに思うものです。
「いったい、私の救ってくれた時のオジサンはナニモノだったのだろう?」

 その時のオジサンのことを「観音さま」と呼ぶのです。--仏教はこのように考えると分かりやすくなります。

 南の海上にその観音さまの浄土(住まいする所)があるとしたのは、上記の考え方を広めたのが海辺に住む人々だったからでしょう。

 海が近くにない人々は、その浄土を観音さまが住んでいるポータラークにある山に似ている場所を、“雰囲気が似ているから、もし観音さまがやって来るとしたら、このあたりにまず着陸(観音さまが飛翔するという考え方はありませんが、洋上の島から内陸にやってくると考えるならやはり飛べないとねぇ。わははは)するだろうな”と考えたのは無理からぬこと。

―――と、ここまでは私見であります。

 さて、日本では和歌山県の南、洋上にボータラークがあると信じていた人々もいました。実際に、数日間の食料を用意して南へ小舟を漕ぎだした人々(多くは僧侶)もいたという記録があります。青い海へ漕ぎだして、観音さまの島の浜(岸)を目指したのです。

 そしてまた、同じ和歌山県の海を望む聖地、熊野の南端に位置する那智一体も、ポータラークであるとする信仰があります。

 実際に、熊野を往来していた修行者や一般の人々は、山中で人々のやさしさにふれて、「ここは観音さまがいるところだな」と思ったことでしょう。

 他に日本で有名なのは、関東の北、華厳滝の源である中禅寺湖を懐にいだく男体山、女体山がボータラークであると信じられています。

 ポータラークという言葉は、中国語に音訳されて普陀落(ふーだらーく)となり、日本の下野(つもつけ、栃木県)の国では“ふたらく”と読み替えられ、“二荒(ふたあら)”と漢字が当てられます(今でも男体山女体山の神社は「二荒山神社」(地元の人は「ふたら」と“あ”を省略して呼びます)。

 やがて「二荒」は、“ふたあら”から、音読されて“にこう”になりました。
この「にこう」の音に、今度は「日光」という漢字が当てられて、今にいたるという――あちこち寄り道の――歴史があります。

 さて、南の洋上にあるという観音さまの浄土、普陀落。波がいつもチャプチャプ打ち寄せる南の島。
 
 これがわからないと、西国第一番那智の、青岸渡寺をお参りした時に花山法皇が奉納したご詠歌がわかりません。
フーッ。

次回、花山の思い1(オーバーラップ)では、いよいよ、そのご詠歌

普陀落(ふだらく)や 岸打つ波は み熊野の 那智のお山に 響く瀧つ瀬

の思いに漂ってみましょうか。


   ○     ○     ○     ○

「歯の痛みと出産の痛さはどちらが痛いか?」-この質問に対して家内の答えは・・・
「あはははは。出産の痛みに比べれば、歯の痛みなんて、ヘノカッパよ。ヘノカッパ」
 恐れ入りました。やはり男の私は出産の苦しみには耐えられそうにありません。ぐはははは。

 戸籍上は長男。お坊さんの社会では(出家しているので〕弟子を密蔵院の副住職にしようと、包括団体である宗派に届け出をしたのは2週間も前のこと。
 でも、せっかくハンコを押してもらった世話人さんたちの任期が切れてますとのこと。ぎゃっ!
 普通のお寺は、世話人さんの任期が切れたたごとに、再任の手続きなんかしてないと思う。
 でも、世の中には悪い奴らがいて、宗教法人をカクレミノにして税金逃れをしようとしたり、ウサンクサイ商売をする。
 そのような悪さを横行させないようにするこために、手続きとしては役所並の細かい手続きが必要になります。
 ということで、今日は午後から世話人さんにハンコを押してもらうために、街中をグルグルまわりました。
「こんちはー。お寺でーす」という具合です。ああ、いい運動になった。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


« 花山(かざん... 花山の思い1... »


 
コメント
 
 
 
ボータラーク (酔 太郎)
2009-09-14 01:17:30
高知県の足摺岬の38番札所 金剛福寺の前の海はるか先にボータラークがあるとか無いとか 聞きましたぞょ 昔の人たちは そこを目指して船出したとか
 ありゃ補陀洛かな、違ったか
 
 
 
面白いです! (ruri)
2009-09-14 13:07:23
33話、楽しみです。仏教のお話って、聞いていると(読んでいると)SFもののようですね。観音様たちは空を飛んだり、姿を変えたり。いろんなところに瞬時に現れたり。時を越えたり。
憧れのお札巡り。四国のでしたか、番傘に「同行二人」と書かれているそうですね。素敵。。。
ああ、、私も鹿骨に住みたいです。
あの小さな体の奥様から3人も立派なお子様をお産みになったかと思うと。。。がんばられたんだなあ。。
 
 
 
仏教は面白い。 (和尚)
2009-09-14 14:59:00
酔さん>「ぞょ」というのはどこの言葉でしょう。わははは。

ruriさん>えーと、今回お送りしているのは、四国88箇所ではなく、西国(さいごく)33観音のご詠歌でございます。四国のご詠歌については、ずっと後でやろうと思います。これまたお楽しみに。
うちの家内は小柄なほうではないッスよ。たいしたもんです。ぎゃははは。
 
 
 
そうそう (ruri)
2009-09-14 16:17:22
お盆にうちの母がうたってるご詠歌は、いづこの?子供の頃、まだかまだか。今どの寺なんや?とせっついたもんです。「やっと○○の△△寺や。もう一息やな。」と再開。キンコンカン♪
四国には、ALTの友人が学校のお休みの時に回ってきたそうなんです。その時に「同行二人」のことを始めて聞いたもので。全部は回れなかったようですがね。88箇所は、かなりのものですよね。行ったつもりの裏技とかあったりして?えへへ。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。