筆舌に尽くし難き…

「筆舌に尽くしがたい」を英語で言えば、
”beyond description”だと受験の時おぼえた。

 これと密接な関係にある言葉が「禅問答」である。

 「禅問答」の国語の意味は、
 「第三者かたらみて理解しにくい質疑と応答のこと」だが、

 仏教では
 「問答は禅の修行の一つで、修行者が仏法についての疑問を師僧に問い、師僧がそれに応じること。または師僧が修行者に問いを投げかけ、その者の悟りの深さをためすことなどに行われる」

 『国語の中の仏教語辞典』によると、この後に参考として次のように付されている。
 「問答の第一の目的とするところは、自己のありのままの姿に目覚めさせ、真実の仏法への目を開かせることにある。ブッダはその教えの真髄をちょっとしたジェスチャーや簡単な言葉で説くことも多かったが、禅における問答も禅宗の盛行とともに,棒で打ったり、大声で一喝したり、ただ指をたてるなどといったことも盛んに行われた。」
 ここからが面白い!
 「これは仏教が、日常の思考パターンを越えて「無分別智(ありのままを見る力)」を悟りとして、それは言葉では言い表せないとしたからで、禅問答はこうした言葉を越えたところでコミュニケーションをとろうとしたものである」

 言葉を越えた思いも、やはりジェスチャーになるのだな。
 合掌も、柏手も、真言宗の印もそうした流れの中にあるのだな……。と今頃感心している。わはははは。 
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コメント
 
 
 
Unknown (Taka)
2008-01-03 10:08:57
「言葉を超えた思い」って
確かにたくさんありますね。
私はそれを絵に描けるよう、
今年も日々、勉強です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
まったくだ。 (和尚)
2008-01-03 22:22:53
昨年は個展に伺えずに失礼しました。┏〇"┓。
タカさんが絵をかいているように、かつてのお坊さんたちも曼荼羅を描いたんだろうね(v^ー゜)。
 
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