カフェ・クレームたぁ、驚いた
午前中から90分の講義を二つ。
お坊さんとして、何をどう話すかという内容だが、つまりは自分が一人の人間として、何を感じて、それをいかに自然に話すかということに他ならない。
講師などと言える者ではないが、自分でも苦労しているぶん、多少なりともアドバイスさせていただいた。
終えて夕方から、日比谷帝国ホテルで、友人の役職就任祝賀会。
あと一時間あるので会場近くのカフェで、こうしてお茶しながらブログ書き。
カフェオレを頼もうと思ったたら、洒落たお店だけあって、カフェクレームというのだそうだ。
人が何をしたわけでもない、自ずから然るべくそうなっている「自然」をジネンと読むようなものか……。
お坊さんとして、何をどう話すかという内容だが、つまりは自分が一人の人間として、何を感じて、それをいかに自然に話すかということに他ならない。
講師などと言える者ではないが、自分でも苦労しているぶん、多少なりともアドバイスさせていただいた。
終えて夕方から、日比谷帝国ホテルで、友人の役職就任祝賀会。
あと一時間あるので会場近くのカフェで、こうしてお茶しながらブログ書き。
カフェオレを頼もうと思ったたら、洒落たお店だけあって、カフェクレームというのだそうだ。
人が何をしたわけでもない、自ずから然るべくそうなっている「自然」をジネンと読むようなものか……。
弔辞
謹んで 〇〇様にお別れの御挨拶をします。
〇〇さんが、□□建設を退職され早十年の年月です。初めは当社の先代がお願いした、当時進めていたプロジェクトを手伝っていただくためにパソコンを使って沢山の資料の整理をしてくださいました。
その後、平成十年に当社の先代が亡くなった時、まだ三八才で代表になった私を心配して下さり、時には一緒に酒を飲み、悩みを聞いてもらったり、時には瀬戸内寂生さんの法話CDを『これは、ためになることが有るから聴いてみんさい』と貸して下さったりしてもらったことは良い思い出です。今、考えますに 自分の子供のように 遠くから暖かい気持ちで接して頂いたのが良くわかります。
退職された後も、頼みごとをしにきた私に『みなまで言わんでもいい』と快くお引き受け頂いたこともありました。
困っている人があれば、『何とかならんかな』と心を痛めておられた〇〇さんの優しい慈悲のような心を知っているのは私だけではないと思います。
だんだんと、〇〇さんのような方がおられなくなる事が寂しい事です。
〇〇さん安らかにお眠り下さい。そして、ありがとうございました。
平成二十二年十一月二十四日
□□建設株式会社 代表取締役 プラケア
上手ではありませんでしたが、あまり弔辞を読む事が少ない地域なので個人のことが良くわかってよかったよとお言葉を頂きました。
出しゃばって良かったと思いました。(普段は、どちらかというと、おこがましいと思うほうです)
プラケアさん>具体がたくさんあって、いい弔辞ですね。親しい人を送る、良い手段の一つだと私は思います。
私も、お檀家さんを前に、お話をする機会を頂くのですが、若輩すぎて偉そうなことは言えないし、でもつまらないことを言ってもしょうがないし、だったら何も言わずに、一生懸命お勤めをすればいいか。。。
など毎回の法事の度に悩みながら、終わった時の空気を感じながら、自分の言葉で話せることだけ話したり、師匠の真似をしてみたり、何も話さなかったり、しています。
先生の講義で、
できるだけ自然に話す。普段の話し方で話す。自分が感じていることがあるはず、ということが残りました。
ついつい、何かためになるようなことを、とか、いいことを、とか、師匠にできるだけ近づいたものを、とか、思ってしまうのですが、
力が入ってしっくりきません。
僧侶として、ということは脇に置いて、一人の人間として感じること、それを自然に表現してみればいい、ということ、これなら肩ひじ張らずにできるかも、と思いました。
あの講義で、お坊さんは五感、六感を張り開いているものなのかもしれないと、弘法大師が、密教を伝えた時に目や耳や鼻などをフル活用して感じさせようとしていたのかな?ということを思い出しました。
ちょっとしたことで、アンテナを閉じてしまうこともある最近でしたが、心新たに、私も開いているブログにできるだけ毎日、感じたことを書いていきたいと思いました。
ありがとうございました。