「東大法学部」 という 水木楊 さんの本を読みました。
明治政府の国策 として、創立以来、官僚組織 は もちろん、 政財界 にも、幹部候補生を供給してきた 「東大法学部」について、そもそもが 国家公務員試験 および 司法試験に向けた 「予備校」 であり、巨大な 「公共投資」 であった、としています。
「これからの大学のあり方」 (多額の税金を投入して、今後も 法曹界や外資系に人材を送る必要性があるのか。)、「真のエリート」 (学生には、自分がリーダーになるという意識が希薄、頭がいいという自意識しかない。) といったテーマにも触れています。
全体を通して、批判的な論調ですが、それは、筆者が現代の日本を、とても憂いているからだと思います。
公のために何をすべきか、公のために貢献する人間とはどのような人間か、そのような人間をどのように育てるべきかといったこと が、国民的議論になってしかるべきだと言います。
著者自身が、「東大法学部」 とは、まったく 逆の教育(自由学園最高学部卒)を受けてきたからこそ、書けた本ではないかと思いました。
今日は、娘の中学校の 「入学式」 でした。
娘は、最初だけ 「いやだなぁ」 と言ってたのですが、午後からは、他の学校から来た友達3人と遊んで、すっかり仲良くなって帰ってきました。
私は といえば、保護者の中で、最後まで決まらなかった役員を引き受けることにしました。 3年間の仕事ということで、「いやだなぁ」 という気持ちが 全くないわけではないのですが、多分、なんとかなる・・・(のでしょうか?)
ちなみに、前出の本によると、東大の入学式は、「武道館」で行われ、学生3千人余に、父兄5千人弱を合わせて、約8千人という 出席者数 になるそうです。
著者は、平成16、17年と その様子を取材したそうですが、総長のスピーチで 「卓越性の追求」 といった言葉が多用されたことに疑問を感じたそうです。
いま求められているのは、他に抜きんでる 「卓越性」 よりも、専門分野に閉じこもらない視野の広さと、全体が良い方向に進んでいるかどうか をしっかりと判断できる識見ではないかと、述べていて、私も同感でした。
「一応、東大なんですけど・・・」 と入学した本人が言わざるを得ない状況は、「富士山型」 の教育制度が生み出したものであって、これからは 「八ヶ岳型」の教育制度 に変わっていくべきだと結んでいます。