風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

伝統文化としての漆

2015-06-08 22:57:32 | 日々の生活
 実に9000年前から日本で馴染みの伝統工芸・・・ひょんことから「漆」の話を聞きました(なお「漆」と書けば「樹液」としての「うるし」であり、「ウルシ」と書けば「樹木」としての「うるし」として区別するそうです)。
 三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂するにあたって、その関係者から相談を受けた漆芸家で人間国宝の室瀬和美さんは、30ほどの漆塗りの椀を製作してあげたそうです。空気が薄く寒暖の差が激しい8000メートルを越える高地では、人間の体力年齢は倍老いるのだそうで(三浦雄一郎さんに至っては160歳!?になってしまいますが)、体力回復のため暖かい食事を提供したいという関係者の熱い思いから、漆塗りの保温力に白羽の矢が立ったという、日本の伝統工芸の凄さを思わせるエピソードです(が、三浦雄一郎さんくらいになると、人間国宝に製作して貰えるのかと、妙なところで感心してしまいました)。
 それはともかく、その漆は、9000年前の遺跡から、繊維状のものに塗ったものが見つかっているそうですし、3500年前の遺跡からは、割れた土器を接着するのに使われた形跡もあるそうです。化学性接着剤と比べても引けをとらない接着力を誇るのは、古伊万里のヒビ割れ(にゅう)を修復するのに利用され、表面に金粉をまぶして蒔絵にして景色をつくることでも知られます。
 そんな漆ですが、すっかり利用が減り、国産ウルシの生産量がガタ落ちなのだそうです。そりゃそうでしょう。今どき、漆塗りの「椀」で吸い物を飲み、漆塗りの「椀」でご飯を食べる贅沢をする人がどれだけいることでしょう。実際、ご飯を食べるのに茶碗と言って、本来はお茶用の陶磁器である「碗」を当てているのは、漢字として見ると分かるように、「木」偏の(すなわち漆塗りの)「椀」ではなく、「石」偏の(すなわち陶磁器の)「碗」であり、しかし本来は、ご飯も「椀」(つまり木製で漆塗り)で食べるものだったのだそうです。しかし、最近、重要文化財の修復に、これまで使用してきた合成樹脂に代わって、漆には漆が良いと見直され、とりわけ地方創生の掛け声とともに、漆/ウルシを広めるための「漆サミット」なるものも2011年から開催されているそうです。
 国産漆は、中国産や東南アジア産の漆に比べると、(乾燥しにくいものの、いったん乾燥すると)塗膜表面が硬くなり、透明度が高く、半艶で、接着力も強いという地域特徴があるそうです。漆芸品としても、日本では、漆で描いた文様に蒔絵粉を蒔いて更に全面を漆で塗り込めて文様が浮き出るまで表面を研ぐ「蒔絵」が有名ですが、中国に行けば、柔らかい漆を何層にも塗り込めて彫ることで文様を描き出す「彫漆」となり、さらに南に下ってミャンマーあたりまで行くと、竹で編んだ柔らかい素材に薄く漆を塗った「椀」のような、くねくね湾曲する工芸品が一般的で、そんなものに日本産の漆を塗って湾曲させたら割れてしまうだろう・・・という話です。
 以前、このブログでも、浅田次郎さんの「地下鉄に乗って」という小説を読んで、大正期の日本にはホンモノが一杯あった、それが今では身の回りはマガイモノ(合成樹脂や合成繊維など)だらけになってしまった、と慨嘆したことがありました。広く普及しないと値段が下がらない、値段が下がらないと普及しない、というジレンマはあるものの、そろそろ日本人も、モノの豊かさ(量)より心の豊かさ(質)、すなわち伝統工芸を見直し、Quality of Lifeを追求してもよいお年頃ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
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