風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日記

2013-10-04 02:45:30 | たまに文学・歴史・芸術も
 日記は個人的な記録であり、多くは他人に読まれることを想定しません。その意味で、ブログという一種の技術はある種の転換をもたらし、他人の共感を得るために自らの生活の一部を公開するという文化を、職業作家ではない一般人の間に生み出しました。私も日記をつける習慣はありませんでしたが、とりわけ海外生活を通して、とりわけこれからの日本を支える若い人たちに伝えたい思いがあり、正確に言うと、ある年齢を過ぎてから、その思いを伝えたいと思うようになり、細々と続けて来ました。しかし、職業作家となると、話は別です。勿論、私的文書故、生前は公刊を許さなかった作家もいますが、多くは読まれることを期待し、日記文学と呼ばれるカテゴリーが生まれました。ドナルド・キーンさんは、永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎といった著名な作家の日記の中から、大東亜戦争が始まる1941年後半から、GHQの占領の初年度が終わる1946年後半までの間に描かれた部分を抜粋しながら、当時の日本人が戦争に、ある時は寄り添い、ある時は対峙した様を赤裸々に綴る、「作家の日記を読む」と副題をつけた「日本人の戦争」(文春文庫)をものしておられます。
 いくつかの発見がありました。
 先ずは、ドナルド・キーンさんが、お名前はかねがね伺っていましたが、ケンブリッジ大学や京都大学に留学する前に、米・海軍日本語学校で学んだ後、情報将校として海軍に属し、太平洋戦線で日本語の通訳官を務めておられたとは知りませんでした。具体的には、3年間、押収された文書(中には太平洋の環礁の上や海の中で死んだに違いない兵士や水平の日記)を読むことを仕事とされていたそうです。その関連では、以前、「日本兵捕虜は何をしゃべったか」(山本武利著)という本を読んで、アメリカが、太平洋の戦域において6千人もの日系二世の情報兵を動員し(白人の数は僅かに7百人)、捕虜や遺棄文書から貴重な情報を獲得して、すぐさま前線にフィードバックし、自軍の作戦に役立てるというサイクルを、実にシステマティックに実行していたことを知って、愕然としたことがありました(過去ブログ参照:http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20100902)。ドナルド・キーンさんは、まさにそうした米軍の組織の一員だったわけです。
 それはともかくとして、当時の日記を見ると、未曾有の国難としての戦争に遭遇し、作家たちが、実に様々な反応を見せていたことに驚かされます。中には軍が始めた戦争によって好物の紅茶が奪われたがために軍に反発する永井荷風のような大物もいれば、政府の報道班員として戦地に赴き、戦前はマルクス主義運度に関わりながら、東南アジア諸国が白人の植民地支配から解放されることを心から望む人がいたりします。英文学の翻訳家でありながら、アングロサクソンの列強を破ることが、日本人が世界で最も素晴らしい人種であることを示す好機であると、戦争に狂喜した人もいれば、「日本には正直に政治を語る機会は全くない」と憤慨し、徒に戦争で名誉ある死を煽るマスコミ報道に危機感を募らせた人もいます。挙句は、本書ではほとんど取り上げられませんでしたが、谷崎潤一郎のように、疎開先で食事に困ることがなかったがために目ぼしい日記の記述がないといったような大御所もいます。いずれも当時の日本の知性の反応です。一つ言えることは、我々の目は、戦後GHQの検閲をきっかけとする思想統制を受けて、すっかり曇っていることであり、そのあたりの事情は、江藤淳さんの労作「閉された言語空間」(文春文庫)に詳しいですし、西尾幹二さんは、そうした検閲の結果として、実に7000余点もの戦前・戦中の出版物が焚書されるという、秦の始皇帝の時代に遡るかのような蛮挙の中で、目ぼしい図書を掘り起こし、戦前の日本人の知性と理性を明らかにする丹念な作業を続け、「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)というシリーズものを現在も続けておられます。
 また、軍の徴用で中国と満州に派遣され、中国人に対する日本軍部の残忍な行為を目撃した経験から、GHQの寛大さに感服する人もいましたが、武装解除した日本に乗り込んで戦後統治した人たちであれば余裕があるのは当然のことでしょう。戦時中の欧米の軍人が、まるで羊を扱う羊飼いの如くアジア人を扱ったと証言する「アーロン収容所」(会田雄次著)のような書もあります。日本軍は残酷だったという証言をよく聞きますが(逆に、日本軍は極めてストイックで現地人から尊敬されていたという極論もまたよく聞きます)、甚だ怪しい・・・と言うより、どちらも真実でしょうし、人は限られた経験からしか語れない制約があることがよく分かります。それは戦時下の言論統制についても同様で、総力戦のもとでは、日本だけでなく他国でも、多かれ少なかれ戦時統制は行われたでしょうし、とりわけ第一次大戦ではまともな戦闘がなかったがために総力戦に国民全体として不慣れでそもそも真面目な日本にあっては、多少、イビツに行われることがあったとしてもやむを得ない部分はあったのではないかと思ったりします。
 いずれにせよ、戦時下の出版物が、当時の政府や軍部の目を気にしていたのと対照的に、日記という個人的な記録の、その肉声には傾聴すべきものが多いのを感じます。ところが、先ほども触れたGHQの思想統制によるものか(それを察する出版社や編集者の意向か、はたまた戦前・後で価値観がひっくり返ったことによる作家の変節か)、戦後、公刊された日記の中には、時流に沿うように改竄されたものが多いと言いますから、驚かされます。「戦艦大和の最後」(吉田満著)も、GHQの検閲方針に触れて出版が難航し、筆者自身、極めて不本意な形で世に出ることを余儀なくされたと語っていました(過去ブログ参照、http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20101028)。
 こうして見ると、図書館の役割について考えさせられます。ベストセラーの待ち行列が出来ている話をよく聞きますし、お年寄りが朝から冷暖房完備の快適な環境のもとで新聞・雑誌を読み耽る姿を目撃しますが、本来、公営の図書館は、どこでも入手可能な最新のベストセラー本や新聞・雑誌を置くべきではなく、商業主義の本屋では扱えないような、日本人の文化・伝統を伝える古典を取り揃えておくべきだと思います。焚書という、僅か65年前に行われた蛮行を受け入れるのではなく、それによって葬り去られた書籍、当時の日本人の知性を読んでみたい。それらが復活されることを、日本人の一人として祈念する・・・ドナルド・キーンさんの本書を読んで、そんなことをつらつら思わせられました。
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