風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ポスト・モダン考

2014-10-05 15:08:38 | 時事放談
 二週間前のブログで、ロシアのクリミア併合問題が象徴的なように、現代は「プレ近代(=混沌圏)」「近代(国民国家)」「ポスト近代(=新中世圏)」が拮抗する世界で、欧米を中心とする「ポスト近代」の原理だけでは対応できないことがはっきりしたこと、世界の脅威は、戦争を当然の手段とする近代を脱していない「近代圏」の国々や、不安定な「混沌圏」(アフリカや旧ソ連諸国)の地域から生まれてくる、といった話を紹介しました。欧米や日本は、ロシアや中国とは歴史の位相が異なるとするものですが、それではロシアや中国がいずれ国民国家として「近代」の仲間入りをするのかというと、とてもそうは思えません。歴史の位相は、時差の問題としていずれ「近代」そして「ポスト近代」へと変貌を遂げる進歩史観の文脈で語られるものではなく、歴史的実存に根差したいわば国柄の問題であるように思います。
 ここで「近代」と簡単に言いますが、自発的に、所謂「内発的近代化」を実現したのは、西欧と日本だけで、上記三つのカテゴリーの中で言うと今や「ポスト近代」に分類されます。それ以外の国々で今「近代」に分類されるのは、西欧列強による植民地化の過程で近代化の種を植えつけられ、今、育てつつある、所謂「外発的近代化」を実現しつつある国々です。例えば卑近なアジアを例にとると、かつてNIEsと呼ばれたシンガポールや香港は華人社会ですが、英国による統治下に、韓国と台湾は、日本の植民地統治下に、近代国民国家(前二者はどちらかと言うと都市国家レベルですが)の基盤が整備されました。とりわけ日韓併合当時、国民の8割が農民で遅れた農業社会だった韓国は、売官・売職が当たり前で腐敗しきって民乱が絶えない未開社会で、欧米社会からは完全に見放されていたのが、つい100年前の姿ですから、見違えるようですが、それでも成熟した民主制国家とは言えず、精神上は発展途上であるところは周知の通りで、言いたいことは山ほどありますが稿をあらためます。そして、世界には「近代化」の要件を備えない国が多々あります。
 それでは、近代化の「内発的」と「外発的」の差をもたらしたものは何か。西欧と日本だけが近代化を成し得たのは何故かということでは、ご存知の通り、近代化をもたらしたのは封建制の経験である、という有名なテーゼがあります。
 日本では、封建制なるものは西欧に独自の社会構成であって、日本にはなかったとする真面目な主張もありますが、むしろ、伝統的に左翼史観が根強かったため、封建制と言えば頑迷固陋な旧弊で克服すべきものとの認識が一般的で、今も、封建制の評価は高くない・・・と言うより、強いて言えば歴史上の通過点に過ぎず「無視されたまま」ではないでしょうか。ドイツ生まれでアメリカに帰化した社会学者カール・ウィットフォーゲル氏の論考を下敷きにしたとされる、ハーバード大学の東洋史研究者で駐日大使を務めたエドウィン・ライシャワー氏が立てた命題「封建制の経験が、どうして近代化に資するのか?」、いわば近代化論を、堀米庸三氏が要約されています(というのを今谷明氏の本から抜粋します・・・曾孫引きどころか玄孫引きになって恐縮です)。

(1)専制制度に比べると、封建制度の下では、法律的な権利と義務が重視されていたので、近代の法概念に適応するような社会の発達がいくらか助長された。
(2)封建領主は、土地の所有と地租の徴収に専念していたので、商人と製造業者は、専制政治の下におけるよりも、大幅の活動範囲と保障を得ることが出来たらしい。
(3)領主(武士)階級以外は、政治権力から除外されていたので、身分志向的な倫理観よりも、目的志向定な倫理観が助長された。

 ここに言う専制制度は、中国などのアジア的専制をイメージすればいいと思います(因みにウィットフォーゲル氏の「オリエンタル・デスポティズム」の翻訳(初版1991年)は、ソフトカバー再販(1995年)でもアマゾンで中古品価格17,510円の高値がついていました)。それはともかくとして、以上のように規定した上で、(1)と(2)から「さらに進んだ経済制度(株式会社等)」を生み出し、(3)からは「進取の気象に富んだ活動力と企業精神」を生み出したとします。なんとなく日本の歴史(とりわけ武士の世の中)を眺めれば、納得できるのではないでしょうか。
 近代国民国家(nation state)は、ウェストファリア体制(1648年~)以来の伝統で、線引きは難しいけれどもとりあえず国境線が引かれ、「こののち、ヨーロッパでは17世紀のイギリス市民革命(清教徒革命、名誉革命)、18世紀のフランス革命などにみられるように、絶対王政に対する批判として君主に代わって「国民」が主権者の位置につくことによって近代国家が形成された」(Wikipedia)のでした。日本では、線引きをするまでもなく島国として自然の領域が定められ、西欧でそのきっかけとなった30年戦争と比べるほどの戦争はありませんでしたし、その後の革命に比するほどの革命的な動きもありませんでしたが(明治維新の無血革命を除き)、既に中世の比叡山延暦寺では民主的な合議が行われていたことを山本七平氏が指摘していますし、マックス・ウェーバーがプロテスタントに見出した資本主義の精神(禁欲のエートス)が、江戸初期の曹洞宗の僧侶・鈴木正三の「職分説」やその後の石門心学が説いたところにも見られ、近代国民国家の要件「資本主義と議会制民主主義(とそれらのベースになる法の支配)」が準備されていたことが知られます。
 ところが中国にはそもそも国境の観念がありません。自分の勢力が及ぶ範囲が領土だと心得ているところがあります(歴史的に“中国”とはそういうところですし、最近の東・南シナ海への海洋進出を見ても分かりますね)。漢民族だけでなく異民族も含めた王朝による東洋的専制が続き(今は共産党の王朝が君臨)、庶民の側にはそれを受け入れる土壌があって、為政者が変わっても世の中の太平を楽しむ「鼓腹撃壌」や、「上に政策あれば、下に対策あり」といった言葉があります。庶民が頼りにするのは、国家の統治機構であったためしがなく、時間軸で縦を貫く血縁(=宗族)と、空間軸で横に広がる地縁・業縁・友人関係(=幇)などの共同体であって、国家観が希薄です。中国人かと聞かれればそうだと答えるでしょうが、北京人(北京出身)や上海人(上海出身)など出身地で答えるのが普通です。そして何よりも、インドではイギリスの過酷な植民地支配があり、今では世界最大の民主主義国として、選挙を行い民意に従った議会制民主主義が行われていますが、中国では植民地支配と言っても部分的に押さえられただけで、国全体として見れば極めて中途半端に終わり、「外発的近代化」のチャンスもなく、戦後は(かつての王朝に代わり)共産党による一党独裁体制が続いています(1979年以来、改革開放により市場主義が取り入れられていますが、今なお国営企業が多く、西欧や日本と区別するため国家資本主義と呼ばれているのは周知の通り)。世界に向けては、国際法下の国家間システムに従っているように見せながら、お膝元では、昔ながらの中華思想と華夷秩序による地域システムを志向しています。
 タイトルを「ポスト・モダン考」としながら、近代化について、くどくどと述べて来ましたが、近代化を盲目的に信奉するつもりはありません。歴史の流れの必然として受け止めつつ、しかし近代化の光と影を見極めながら、その反省の上に、これから我々が向かうであろうポスト・モダンな世界を築き上げて行かねばならない。あらためて、フランス革命を批判したエドマンド・バークに始まる西欧の保守主義の伝統に学びたいと思っています。
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