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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ヒロシマとナガサキ

2024-08-11 08:30:04 | 時事放談

 広島と長崎を漢字ではなく、ヒロシマ、ナガサキとカタカナで書くと、単なる地名であることを超えて、世界で唯一の原爆被爆地という特別の装いを帯びる。この季節は、特別な思いにとらわれる。

 今年は更に特別な事情が加わった。長崎市が、平和祈念式典で不測のセキュリティ・リスクを考慮し、イスラエルを招待しないと発表したことに、G7の6ヶ国の駐日大使が反発してご本人の出席を見合わせたからだ。

 私の知人は三国干渉の頃と変わらないじゃないかとムッとし、私も当初は踏み込んだ嫌がらせだと憤慨したものだが、調べてみると、長崎市は、駐日パレスチナ常駐総代表部には式典実施への支障はないと判断して招待状を送り、一等参事官が出席しているのを知って、翻意した。長崎市長は自民党の推薦を受けていたはずだが、今回の対応は不適切だったのではないか。

 広島市と長崎市のどちらもウクライナを招待しロシアとベラルーシを招待しなかったのは同じだが、イスラエルとパレスチナを巡っては正反対の対応となった。広島市はイスラエルを招待してパレスチナを招待しなかったのに対し、長崎市はパレスチナを招待してイスラエルを招待しなかったのである。そりゃ、G7の6ヶ国じゃなくても、疑問に思うだろう。この辺りが明確に報道されなかったのも問題だと思う。多くの報道で見られたように、イスラエルをロシアと同じ位置付けにしたというレトリックの方が受け入れられやすかったかもしれないが、要するにエマニュエル大使らは、長崎市がパレスチナを招待する一方、イスラエルを招待しないと決めたことにより、式典が政治化されたとして、参加を見合わせたのだった。

 報道では往々にして少数意見が大きく扱われて見間違うことがあるが、私を含め多くの日本人は広島市の対応を支持するだろう。それはイスラエルが今回(昨年10月)に限っては先制攻撃を受け、一般市民が殺害された上に、人質を取られたからだ。勿論、イスラエルの反撃は、自衛権正当化の三要件の一つ、必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)を逸脱しているが(因みに残りの二つの要件は、急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)と、他にこれを排除して国を防衛する手段がないこと(必要性))、戦争という異常心理状態で節度を保つのは容易ではない。また、ガザで無辜の市民に被害がでているのは事実だが、ハマスの戦闘員が非戦闘員たる市民を盾にし、あるいは市民の中に紛れ込んでいるため、イスラエルは市民を逃すために一定の時間的猶予を与える配慮をした上で攻撃しており、ロシアの無差別攻撃とは比べられない。更にこれまでの近隣への拡張主義的なイスラエルの姿勢は問題とされるべきだが、今回の人道的問題とはとりあえず切り離すべきだろう。昨年まではイスラエルも式典に招待されていたのだから。

 核兵器廃絶の願いは全ての日本人に共通するが、他方で、中国・ロシア・北朝鮮という核保有国に囲まれ、アメリカの核の傘に守られた日本が、NATO諸国やカナダ、オーストラリア、韓国とともに核兵器禁止条約に参加しないでいるのは、報道ではダブル・スタンダードと非難されようが、日本人が保つ現実感覚だろう。今回の事案でも報道が偏っている先には、今なおヒロシマとナガサキへのアンビバレントな心情があるせいだろう。それは日本人が先の戦争を今なお総括できないでいることと関係している。

 ヒロシマにまつわる有名なエピソードがそこを突いている。かつて、小野田寛郎・元少尉は戦争終結を知らず、戦後29年間にもわたってフィリピンのルバング島で戦闘状態を解除せず、1974年になってようやく帰国を果たした。後に戦友とともに広島の平和記念公園を訪れ、慰霊碑に刻まれた言葉「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」を見て、「これはアメリカが書いたものか?」と尋ねた。戦友は「いや、日本だ」。続いて小野田氏が「ウラの意味があるのか? 負けるような戦争は二度としないというような・・・」と尋ねると、戦友は黙って首を横に振った。戦前の軍人魂と片付けるのは、た易い。戦後29年経った日本に舞い戻った浦島太郎の小野田氏は、「人間の誇りまで忘れて経済大国に復興した日本に無条件降伏させられているのだ」(氏の著書から)と感じ、程なくして日本を離れ、新天地ブラジルに渡った。小野田氏の問いかけに、私たちは今なお黙って首を横に振るばかりで、それ以上の言葉を見出せないでいる。

 当事者のアメリカは、戦争を終わらせるためとして原爆投下を正当化し、心の平穏を保とうとしてきた。故・安倍さんはオバマ氏との間で、ヒロシマと真珠湾への首脳の相互訪問を実現したが、安倍さんはバーターではないと明言されている。真珠湾攻撃は、宣戦布告の手交が遅れて、アメリカからは騙し討ちだと非難されるが、戦後の少なくない戦闘行為に宣戦布告があったかどうか寡聞にして知らないし、当時、日米間には友好的な空気はもはやなく、交渉は決裂していたし、学術的には、行き過ぎた制裁は武力行使を止められない、所謂「抑止」の失敗事例と捉えられるし、軍事施設を狙った、それ自体は合法的な攻撃であって、ヒロシマやナガサキへの原爆投下や日本中の主要都市への絨毯爆撃のような戦争犯罪とは区別されるべきものだからだ。

 暑い夏のさなか、8月6、9、15日と、毎年、脳裡をかすめるトラウマである。一部の(しかし声が大きい)リベラルなメディア報道と、近隣国による密かな世論戦(とまで言うと陰謀論に扱われかねないが 笑)と、内外から撹乱されて複雑な状況の中で、核兵器禁止条約への対応と同様、私たち日本人自身の良識が問われる問題である。

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オリンピックのスポーツと「道」の間

2024-08-04 05:53:41 | スポーツ・芸能好き

 柔道混合団体・決勝で、前回・東京大会で銀メダリストの日本は金メダリストのフランスと再戦し、3-4で敗れて、二大会連続の銀メダルに終わった。

 柔よく剛を制すとはよく言ったもので、第二試合では髙山莉加が一階級差、第四試合では角田夏実が二階級差をものともせずに勝利し、3-1まで追い詰めたが、続く第五試合では阿部一二三が一階級上のメダリストに敗れるなど、3-3でゴールデンスコアによる代表戦にもつれ込み、ネットでは仕込みがあったのではないかと騒がれたデジタル・ルーレットの抽選でよりによって90キロ超級が選ばれ、本戦に続き斉藤立がリネールと再戦し、6分26秒の死闘の末に地元フランスの英雄に屈し、リベンジはならなかった。

 この大会では(でも、と言うべきだろう)、男子60キロ級準々決勝の永山竜樹や、男子73キロ級準々決勝の橋本壮市など、不可解な判定が続出し、SNS上では“誤審ピック”なる言葉も出て来た。日本人ばかりでなく、イタリア柔道連盟は、母国代表選手らが受けた判定を不服として国際柔道連盟に正式抗議した。人間のなすことだから完璧ではないが、審判は絶対である以上、選手たちの真摯な戦いに応えるために厳正であって欲しい。

 他方、男子90kg級決勝の村尾三四郎のように、ルールはルールとは言え、微妙な判定には不満が残った。男子100キロ超級準々決勝のリネール対ツシシビリ戦では乱闘寸前の騒ぎになり、男子81kg級の表彰台では金メダリスト永瀬貴規を押しのける形で銅メダリストが前に出て目立つなど、柔道「らしからぬ」態度が物議を醸した。私たち日本人は、どうしても柔道は武道との思いが抜けきらないし、戦う選手たちも、ポイント狙いの柔道を嫌ってリスクを負ってでも一本を取るために組み合うことが多いと言われる。翻って、日本の大相撲は様式美を尊ぶ伝統芸能であって、格闘技と勘違いして横綱らしさに欠けた朝青龍や白鵬を批判するのは正当だと思うが、柔の道がスポーツの祭典オリンピックの競技種目に採用された以上は、判定や柔道着に関するルールにしても、それに臨む選手の態度にしても、「道」から外れてスポーツ「らしく」なることに、文句は言えない。

 それでもなおスポーツの国際舞台でも「道」を極めようとする日本人柔道家は、言ってみれば勝手なのだが、私はそれを美しいと思うし、本家本元の日本としては、それでも良いと思うし、それでも勝つ彼ら・彼女らを誇らしく思う。

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オリンピックに棲む魔物

2024-07-31 00:49:46 | スポーツ・芸能好き

 勝負の世界には魔物が棲む。勝利は間違いないと確信したところに思いもよらない陥穽が待ち受け、あるいはその逆に諦めかけたところにどんでん返しが起こり、筋書きのないドラマが生まれる。オリンピックのような四年に一度の(今回は三年しか経っていないが)晴れ舞台では、選手たちの思い入れが強く、抱えているものも重いだけに、神様の采配は気紛れに映る。

 27日の男子バレーボールで、日本はドイツ相手に勝利まであと一歩というところで勝ち切れなかった。続く卓球では、国際大会で優勝を重ね、第二シードで金メダルも期待された“はりひな”ペアが、初戦で北朝鮮ペアに完敗した。

 そうかと思えば、土壇場で勝負強さを発揮することもある。スケートボード男子ストリートの堀米雄斗は、ベストトリックの最終5本目で大技を決め、メダル圏外からトップに浮上し、見事に連覇した。体操男子団体総合では、最後の種目・鉄棒を残してトップの中国に「3.267」もの差を広げられながら、中国の選手が二度落下するようなあり得ないミスに助けられ、奇跡的な逆転優勝をもぎ取り、僅か「0.103」の差で金メダルを逃した前回・東京オリンピックの雪辱を果たした。

 私にとって、魔物が牙を剥いた最たるものは、柔道女子52キロ級の阿部詩だったかもしれない。二回戦の残り56秒、一瞬の隙を付かれて谷落としをかけられ、まさかの一本負けを喫した。東京五輪金メダル獲得以降、負けなしのまま、兄妹同日連覇の夢を懸けて臨んだパリ五輪だった。昨秋に腰痛を発症し、10月に予定していた国際大会出場を取り止めても、年明け二大会を挟めばシード獲得は確実だったが、シードに入るよりも自分のコンディション調整を優先して自重し、2回戦では世界ランク一位に当たって、そこで敗れたために敗者復活にも引っ掛からなかった。

 立ち上がれなくなるほど、赤ん坊のように「ギャン泣き」したことが物議を醸した。一本勝ちにも喜ばなかった相手選手に失礼だとか、次の試合開始が遅れて運営側から早く退場するよう促されたと批判され、東国原英夫氏は「武道家として如何なものか」と苦言を呈した。普通ならばその通りだろう。ケガなどの特別なことから小さいことまで凡ゆることを、三年またはそれ以上の年月にわたり、この日のために調整して来たのだ。抱えて来たもの、背負ってきたものの重さを、私たちは知らない。出来れば、彼女のいつもの満面の笑顔を見たかった。

 国別対抗など今さら古いと、わけ知り顔に言うリベラル系の人がいる。しかしウクライナや中東で、はたまたコロナ禍で、国家の存在感が増しているのが現実である。国家間の確執をしばしスポーツの勝負に昇華し、国家間の壁を超越したところでスポーツが持つ普遍的な感動を分かち合うことにこそ意味があるように思う。

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米大統領選の行方

2024-07-23 23:56:20 | 時事放談

 選挙イヤーの今年は選挙が荒れる…とは言っても致命的な大波ではなく、小波程度の混乱ではあるのだが。

 アメリカ大統領選ネタが続く。バイデン氏が、現職大統領として56年振りに再選出馬を断念したことには、予想されたとは言え驚いた。断念させられたと言う方が正しいし、先月27日のTV討論会以降は周囲に不満と言う名の断念圧力が燻り、今月13日のトランプ前大統領暗殺未遂事件以降はそれが爆発すると言うよりも、さ〜っとまるで潮が引いたように人気がなくなり、バイデン大統領が一人取り残されたような寂寥感は、自業自得とは言え気の毒なほどだった。シューマー院内総務やペロシ前下院議長に続き盟友オバマ元大統領まで離れてしまった。さぞやご本人は無念だっただろう。所詮、政治家は次の選挙に(バイデン氏が"顔"では)勝てないことを最も恐れるのだ(厳密には神学者ジェームズ・フリーマン・クラークは政治屋と政治家を区別して曰く、政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の世代のことを考える)。手のひらを返したように、なぜここまで決断が遅れたのか、などと後出しジャンケンよろしく論評され、やれバイデン氏は頑固だの、やれ側近はイエスマンだらけだの、何を今さら裸の王様だったかのような書き振りには違和感がある。バイデン氏に代わる候補者などいなかったはずだ(彼の肩を持つつもりはないが)。

 それが僅か一日で、民主党は図ったように一枚岩になって、後継候補がカマラ・ハリス副大統領に一本化されたことにも驚いた。副大統領職は「人類が発明した最も重要性に乏しい公職」(ジョン・アダムズの言葉)とされることなど忘れたかのように、やれ行政や外交の経験が乏しいだの、やれ(ハリス氏が担った)不法移民対策は難航し成果が乏しいだの、やれ側近が相次いで離れて組織をまとめあげる能力や人望が乏しいだの、やれインテリで冷淡な印象だのと貶めて、一顧だにしなかったではなかったか。それが、手のひらを返したように、やれ検事出身で弁舌に定評があるだの、やれ若者や女性や非白人の支持を獲得でき、トランプ氏と正反対の人として有効な候補者だの、やれダイナミズムがあり期待を持てるハリス氏が出て来たことで民主党が活性化するだの、提灯記事には些か片腹痛い。

 実はトランプ氏にとってバイデン氏のままの方が戦いやすかったとの苛立ちも見られるようだ。何しろ敵は自分より年上のバイデン氏81歳から、年下のハリス氏59歳へと若返り、自ら高齢批判に晒される立場に逆転するからだ。おまけに、前回ブログに書いたように年齢(や性別や人種)などの属性による対決を煽るのは、本来、ご法度であることを弁えつつ、次のTV討論会は、冴えない「高齢者」対決から、まるで「犯罪容疑者」対「検察官」であるかのような緊張感あふれる対決となり、ただの野次馬には見応えがありそうだ。

 選挙では(選挙だけに限らないが)一寸先は闇との思いを強くする。そしてメディアのご都合主義も甚だしい。

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大統領と年齢

2024-07-19 00:44:51 | 時事放談

 本来、年齢による衰えは(ある年齢を超えると)人それぞれなのだから、若くても意志と能力さえあれば抜擢されるべきという議論があるならば、年寄りだから若者に譲るべきという議論はナンセンスだ。アメリカ大統領選での問題は、先般のTV討論会で見せた、そしてまたこれまでにも垣間見させた老いによる現実的な「衰え(健康不安)」にある。

 それでもなお(しつこく)年齢に着目すると、バイデン氏は1942年11月20日生まれの81歳、トランプ氏は1946年1月14日生まれの78歳、このままでは二人とも史上最高齢の大統領候補者になる(バイデン氏が民主党大会で順調に指名されれば)。これでは四つ足して任期を全うする年齢まで数えると不安になる。

 Potus.comによれば、アメリカ大統領は平均すると55歳で就任して来たそうだ。かつて最高齢は、69歳で就任したロナルド・レーガンだったが、トランプ氏が70歳、バイデン氏が78歳と、次々に更新した。逆に若い方を見ると、テディ・ルーズベルトが史上最年少の42歳で就任し、次いでJFK43歳、ビル・クリントン氏46歳と続く。そのビル・クリントン氏(1946年8月19日生まれの77歳)が選出されたのは30年以上も前のことなのに、彼よりも年上の二人が今なお大統領の座を巡って争っているというのは、清少納言が今を生きていたら「いと浅まし」と嘆きそうな悲劇であり、喜劇だ。

 こうして、大統領に不測の事態が発生して副大統領が大統領に昇格する可能性はこれまでになく高いと言われ、副大統領が誰なのかが注目される仕儀となる。

 西山隆行氏(成蹊大学教授)によれば、米国の副大統領に関して、憲法制定者は必ずしも大きな関心を持っていなかったという。「アレグザンダー・ハミルトンは『フェデラリスト』の第68篇で副大統領についても言及しているが、その職の基本的な役割について説明していない。初代の副大統領となったジョン・アダムズは、その職を『人類が発明した最も重要性に乏しい公職』だと評したことは知られているかもしれない」(同氏)。そして驚くことに、副大統領に欠員が生じた場合の補充方法についての規定が定められたのは、ようやく1967年の合衆国憲法修正第25条においてだったということだ。

 その副大統領候補となりそうな民主党側のカマラ・ハリス氏はマネジメントに問題があると言われ、実際に今一つも二つも冴えないし、共和党側のトランプ氏が選んだジェームズ・デービッド・バンス氏(39歳)は若くて未知数、輪をかけたトランプ主義者で、結局、大統領候補のお二人に頑張って貰わなければならないと思う気持ちになる。

 しかし繰り返すが、年齢による衰えは人それぞれだから、年齢による決め付けは余計なお世話なのだろう。

 一方の、暗殺未遂事件で見せつけたトランプ氏の危機における超人的なタフさ(気力・胆力など)は、大統領時代に多少の訓練を受けていたであろうことが想像されるとは言え、彼自身のキャラと相俟って、演技がかって、やや無謀とすら思わせるが、特筆されるべきであり、世界最強の米軍・指揮官としての要件の一つを満たすと人々をして思わせるものがあった。しかし、そこに神が介在していたなどと、神がかりなことを言ったところで、トランプ支持者にしか受けないだろう。なお、1992年3月、右翼団体の構成員から銃撃を受けた金丸信氏(当時自民党副総裁、77歳)は、弾が逸れて無傷だったものの、その場で腰を抜かして自らの力では立ち上がれなかったそうだ。自分だったら、腰を抜かしてしょん●んをちびって立ち上がれなかっただろうと白状した人もいたが、ムベなるかな。

 他方、民主党ではバイデン降ろしが本格化しつつあるが、代わりが思い浮かぶわけではないのが悩ましい。まさに健康不安を払拭し、年齢を感じさせないタフさ加減を見せつけるべき正念場であろう(が、今更もう手遅れなのかもしれない、少なくともメディア報道によれば)。

 大統領選は相変わらず混沌としている。暗殺未遂事件は、アメリカ社会の分断を深めるばかりとなった。犯人が共和党員だったことで、辛うじて深刻な事態は避けることが出来たのかもしれない。

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