【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

笠置寺

2023-12-06 | デジカメ紀行
笠置寺は京都府の南東部、奈良県境に位置する笠置町にあり、東西に流れる木津川の南岸、標高289メートルの笠置山を境内としています。

笠置寺の創建は古く、すでに2000年前から笠置山の巨石は信仰の対象となっていました。このことは笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかりますが、実際に建物が建てられ人が住み着いたのは1300年前。
1300年前、東大寺の実忠和尚、その師 良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えました。平安時代 永承7年(1052)以後、末法思想の流行とともに笠置寺の磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰を受けました。
鎌倉時代 建久2年(1191)藤原貞慶(後の解脱上人)が日本の宗教改革者として、その運動を笠置寺から展開するとき、笠置山は宗教の山、信仰の山として全盛を極めましたが、元弘元年(1331)8月27日に倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当山に迎えたことにより、攻防1ヶ月、笠置山は全山焼亡。以後、室町時代に少々の復興をみたが、江戸中期より荒廃。明治初期に無住の寺となりました。明治9年、丈英和尚狐狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興に尽くすこと20年、ようやく今日の山容となりました。

11月30日訪れました。

<境内図>

本堂、 正月堂をはじめ、大師堂、毘沙門堂、椿本護王宮、春日明神社、稲荷社、鐘楼、文化財収蔵庫と、堂宇が点在し、巨石を巡る、奈良時代に開かれた800mの修行場は、遊歩道として整備され自然を楽しむ場となっています。

駐車場に車を停めて坂道を登ってきました。







<山門>


山門をくぐります。

<筋土塀>









<解脱鐘>



蓮の花をモチーフに底部に六つの切り込みが施された釣鐘。
重要文化財に指定。






<鎮守社>











坂道を下り左手へ。





左上に<大師堂>を見ながら矢印に沿って進みます。




<笠置寺本堂・正月堂>



観音悔過法の会場として、東大寺実忠和尚によって建立された御堂を起源とします。
現在まで伝わる「お水取り」発祥の場です。

<弥勒磨崖仏>



奈良時代後期、高さ15.6m、幅15m
巨石に刻まれた仏は「天人の作」と伝えられ、遥かな未来に仏教を再興される仏ですが、元弘の戦乱の兵火を最後に焼亡したと言われています。


<十三重石塔>



重要文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 470cm。
「元弘の乱」の戦死者を供養する塔と伝えられています。



正月堂の横を、さらに下って行きます。





<千手窟>



東大寺大仏殿建立のため良弁和尚が千手の秘法を行い、一大事業を成し遂げました。
実忠和尚はこの龍穴から弥勒の世界に至って、観音悔過法を学びました。


<伝虚空蔵磨崖仏>



岩肌に刻まれた9mの仏像は、記憶力がよくなるというご利益のある虚空蔵菩薩さま。
元弘の兵火に焼かれることもなく、姿をとどめています。



<胎内くぐり>

修行場のスタート場所。
岩の洞窟を母胎にたとえ、通り抜けることによって生まれ変わるとされました。


<野良猫「笠やん」の碑>



<太鼓石>

重なる巨石。
丸くはがれている部分の右脇をたたくと「ポンポン」と鼓のような音がするそう。


<ゆるぎ石>



後醍醐天皇の籠る笠置山を取り囲む鎌倉幕府軍。
元弘の戦乱において武器として使われた岩の残りは、端を押すとゴトゴトと動きます。







紅葉の季節から早春にかけて、放射冷却で冷え、風が穏やかな朝に谷間に立ちこめる川霧は雲海となります。
笠置山から見下ろす、朝日を受けて変わりゆく姿は、仙人にでもなったような気持ちにさせてくれます。


<後醍醐天皇行在所 >

山頂へと続く階段を登ると、後醍醐天皇の行在所跡です。












< もみじ公園>
80本を数えるもみじ公園。春には青もみじ、秋には錦に彩られます。








<大師堂>











巡って元に戻ってきました。

<毘沙門堂>





<稲荷社>






  








<御朱印>


説明文は公式サイトを参考にしました。

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