節分(せつぶん)とは、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が各地で行われます。
2月3日、京都市東山区にある 法住寺へ行ってきました。
後白河法皇御所聖跡 天台宗 法住寺(ほうじゅうじ)
天台宗の仏教寺院。
創建988年(永延2年) 平安時代中期に藤原為光によって創設。後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたっています。
本尊の、煩悩を焼き払う炎「迦楼羅焔(カルラえん)」を背負う「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)像」は、平安期の作風とされています。この不動明像は寺伝では円仁(慈覚大師)が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったようです。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられ、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)が営まれるそうです。
あらゆる災厄から、身代りとなってお護りくださるので「身代りさん」と呼ばれています。
江戸時代には赤穂浪士大石内蔵助が山科に隠棲中、遊郭へ通う道すがら、身代不動明王に参拝したと言われており、その縁から堂内には四十七士の木像が安置されています。
四十七士像は寄木細工で作られ、漆や螺鈿で飾られているようで、一体一体の模様等に違いがみられました。
毎年12月14日の討ち入りの日には「義士会法要」が開催されるそうです。
また、サザエさんの作者、長谷川町子さんの菩提寺になっています。生前、法住寺を訪れ先代住職とお話された縁で、遺骨が安置されています。
振る舞いの甘酒をいただきました。身体が暖まります。
赤鬼は、貪欲。全ての悪心の象徴で、豆をぶつけることで自分の中の悪い心が取り除かれる。
青鬼は、怒り・貧相。自分自身に豆をぶつけることで、徳を呼びこむ。
黒鬼は、愚痴。卑しい気持ちを追い払い、豆をぶつけて平穏を願う。
ちなみに
黄鬼は、我執(がしゅう)。自己中心的な甘えを反省し、豆をぶつける。
緑鬼は、不健康。不摂生を反省し、健康を願って豆をぶつける。
法弓
東・西・南・北・中央の5箇所に向かい矢を射ます。悪鬼、邪霊を降伏して平和を守ることを意味しています。
この射られた矢を手に入れた人は1年間幸運が続くと言われているそうです。
やはり背の高い人の方が有利(笑)。
続いて、開運厄除けを祈願して、採灯大護摩供(さいとうおおごまく)が行われます。護摩木を外で焚く大きな護摩供養です。
普段はこの場所(護摩壇が組まれているところ)は、枯山水になっており、毎年元日から大根焚き(1月15日に近い日曜日で、今年は1月18日)前日までは、その年の干支(今年は「羊」の文字)が描かれ、節分会前日までは「鬼」の字が描かれていました。当日は「鬼」が出ていくように、この場所で大護摩供が行われます。
2月3日、京都市東山区にある 法住寺へ行ってきました。
後白河法皇御所聖跡 天台宗 法住寺(ほうじゅうじ)
天台宗の仏教寺院。
創建988年(永延2年) 平安時代中期に藤原為光によって創設。後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたっています。
後白河天皇法住寺陵
法住寺に隣接しています。
法住寺に隣接しています。
本尊の、煩悩を焼き払う炎「迦楼羅焔(カルラえん)」を背負う「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)像」は、平安期の作風とされています。この不動明像は寺伝では円仁(慈覚大師)が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったようです。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられ、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)が営まれるそうです。
あらゆる災厄から、身代りとなってお護りくださるので「身代りさん」と呼ばれています。
江戸時代には赤穂浪士大石内蔵助が山科に隠棲中、遊郭へ通う道すがら、身代不動明王に参拝したと言われており、その縁から堂内には四十七士の木像が安置されています。
四十七士像は寄木細工で作られ、漆や螺鈿で飾られているようで、一体一体の模様等に違いがみられました。
毎年12月14日の討ち入りの日には「義士会法要」が開催されるそうです。
また、サザエさんの作者、長谷川町子さんの菩提寺になっています。生前、法住寺を訪れ先代住職とお話された縁で、遺骨が安置されています。
看板
京阪電車七条駅で降り、東方面へ歩いていくと、節分会の案内がありました。「南へ100m」の表示。住職さんが描かれたそうです。
京阪電車七条駅で降り、東方面へ歩いていくと、節分会の案内がありました。「南へ100m」の表示。住職さんが描かれたそうです。
法住寺
正面です。「身代不動尊」ののぼりも見えます。
正面です。「身代不動尊」ののぼりも見えます。
旧御陵正門
分離される前はこちらが正面だったんでしょうか・・・。
分離される前はこちらが正面だったんでしょうか・・・。
練り歩き
お寺周辺(七条、今熊野界隈)の街の治安を守る儀式(鬼退治)に出発です。 住職や天狗、鬼達が邪気を払いお店等の開運厄除けを祈ります。
後ろは、三十三間堂です。
お寺周辺(七条、今熊野界隈)の街の治安を守る儀式(鬼退治)に出発です。 住職や天狗、鬼達が邪気を払いお店等の開運厄除けを祈ります。
後ろは、三十三間堂です。
振る舞いの甘酒をいただきました。身体が暖まります。
餅つき
本堂の前で。飛び入りで参拝者もつくことができます。
本堂の前で。飛び入りで参拝者もつくことができます。
小餅まるめ
島原の「菊川太夫」と「禿」がつきあがったお餅を丸めていきます。ぜんざいのお供養が行われます。
「禿」役の女の子の仕草が可愛い。
島原の「菊川太夫」と「禿」がつきあがったお餅を丸めていきます。ぜんざいのお供養が行われます。
「禿」役の女の子の仕草が可愛い。
ぜんざい
丸められたお餅の入ったぜんざいです。あっさりとしておいしかったです。ごちそうさまでした。
丸められたお餅の入ったぜんざいです。あっさりとしておいしかったです。ごちそうさまでした。
本堂前で
住職の開始の掛け声と山伏が法螺貝を拭き「鬼法楽」の始まりです。 和太鼓と法螺貝の音で鬼たちがやってきます。行事の前に本堂で報告です。
住職の開始の掛け声と山伏が法螺貝を拭き「鬼法楽」の始まりです。 和太鼓と法螺貝の音で鬼たちがやってきます。行事の前に本堂で報告です。
鬼法楽
ロープ(結界線)が張られている中で厄を払う儀式が行なわれ、赤鬼、青鬼、黒鬼達が歩き回ります。右手に剣と左手に松明を持った赤鬼が、あばれます。
小さい子供達は少しこわいよう・・・。
ロープ(結界線)が張られている中で厄を払う儀式が行なわれ、赤鬼、青鬼、黒鬼達が歩き回ります。右手に剣と左手に松明を持った赤鬼が、あばれます。
小さい子供達は少しこわいよう・・・。
豆まき
「鬼は外~ 福は内~」 豆まきで鬼退治です。住職や太夫により豆まきが行われ、天狗が参拝者の厄を祓います。
「鬼は外~ 福は内~」 豆まきで鬼退治です。住職や太夫により豆まきが行われ、天狗が参拝者の厄を祓います。
法住寺には赤鬼、青鬼、黒鬼が現れました。
赤鬼は、貪欲。全ての悪心の象徴で、豆をぶつけることで自分の中の悪い心が取り除かれる。
青鬼は、怒り・貧相。自分自身に豆をぶつけることで、徳を呼びこむ。
黒鬼は、愚痴。卑しい気持ちを追い払い、豆をぶつけて平穏を願う。
ちなみに
黄鬼は、我執(がしゅう)。自己中心的な甘えを反省し、豆をぶつける。
緑鬼は、不健康。不摂生を反省し、健康を願って豆をぶつける。
法弓
東・西・南・北・中央の5箇所に向かい矢を射ます。悪鬼、邪霊を降伏して平和を守ることを意味しています。
この射られた矢を手に入れた人は1年間幸運が続くと言われているそうです。
やはり背の高い人の方が有利(笑)。
続いて、開運厄除けを祈願して、採灯大護摩供(さいとうおおごまく)が行われます。護摩木を外で焚く大きな護摩供養です。
普段はこの場所(護摩壇が組まれているところ)は、枯山水になっており、毎年元日から大根焚き(1月15日に近い日曜日で、今年は1月18日)前日までは、その年の干支(今年は「羊」の文字)が描かれ、節分会前日までは「鬼」の字が描かれていました。当日は「鬼」が出ていくように、この場所で大護摩供が行われます。
「鬼」の字
1月25日に主人が撮ってきていました。
1月25日に主人が撮ってきていました。
点火
護摩木に火をつけて、護摩壇に点火です。
護摩木に火をつけて、護摩壇に点火です。
煙
この煙を浴びるとご利益があるので、服や髪に煙の匂いがついても我慢・・・。
この煙を浴びるとご利益があるので、服や髪に煙の匂いがついても我慢・・・。
笹酒供養
天狗による長寿笹酒のお供養です。
天狗による長寿笹酒のお供養です。
梅蕾
蕾かたし。
福豆
厄が払われ、開運、福が訪れるように願いを込めていただきました。いくつ食べたかは、ひ・み・つ。
蕾かたし。
福豆
厄が払われ、開運、福が訪れるように願いを込めていただきました。いくつ食べたかは、ひ・み・つ。
(ウィキペディア、 法住寺ホームページを参考にしました。)