友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

4回目のワクチン接種に行ってきた

2022年08月21日 17時51分19秒 | Weblog

 お盆を過ぎると朝晩は涼しくなるが、昼間はまだ暑さが厳しい。朝起きてルーフバルコニーの花たちを見て回った時は、空気が涼しくて気持ちよかったのに、午後はべったりとした暑さが漂っている。

 今朝、4回目のワクチン接種に行ってきた。日赤の医師に「ワクチンを接種してよいか?」と尋ねたところ、「よい」と答えをいただき、最も早く接種できる医院を探してもらったところ今日の医院になった。

 議員時代に健康診断でお世話になった医院だが、すっかり地元の馴染みの病院になっているようだ。指定された午前9時45分の受付に行くと、手際よく回されてすぐに注射され、15分待たされると「ご気分に変わりはありませんか」と問われ、「これは大切な書類ですから大事に保管してください」と接種済みの半紙を渡された。

 身体の変調も痛みも無い。コロナ感染はまだまだ収まりそうに無いけれど、そんなに神経質になることも無いようだ。極論を言うと叱られるが、運が悪い人は亡くなるしかない。高齢者があまりにも増えすぎた。少しずつ淘汰されて、若者に道を譲るべきだ。

 花を見ていると、古い花や枝は自ら朽ち果てていくが、その根元を見ると新しい芽が勢いよく育ってきている。人間も自然の掟に従いたいと思うが、救済が目的の医療は自然に逆らってしまう。これも自然のことと受け取れば、どこかでバランスを取っているのだろう。

 玄関の花瓶に活けたユリが、9日経てもなお咲き続けている。夏井先生に倣って俳句を作ろうとしてみたけれど何も浮かんでこない。朝日新聞にあった俵万智さん記事を思い出し、短歌にしてみた。「玄関で匂い続けるピンクのユリ あなたの面影思い浮かべる」「ありがとうあなたを想い触れてみる ピンクのユリのはな・指・肢体」

 明日は甲子園大会の決勝戦。投手力の豊富な仙台育英と勢いのある下関国際、どちらに優勝旗が渡るのか楽しみだ。明日が良い天気になりますようにと祈る。

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喜怒哀楽を与えてくれてありがとう

2022年08月20日 18時00分44秒 | Weblog

 高校野球の甲子園大会は、「準々決勝と準決勝が一番面白い」と言っていた人がいたが、大方の予想に反した試合展開になることからそんな風に言われたのかも知れない。準々決勝の第1試合の名電と仙台育英は、互角または名電の打力が勝ると思われたのに逆だった。

 第2試合の高松商と近江の試合は、接戦で近江が制した。第3試合の大阪桐蔭と下関国際の試合は、春夏連覇を目指す大阪桐蔭が圧倒するはずだったのに下関国際が勝利を手にした。第4試合もヤクルトの主砲村上の弟のいる九州学院が、聖光学院に勝つものと思われたのに、結果は聖光学院の打力が勝っていた。

 今日の準決勝ではあんなに打ち勝っていた聖光学院が、仙台育英の投手を打ち崩せずに18対4の超大差で負けた。近江と下関国際の試合も、打力とチャンスの強みで下関国際が8対2も大差で勝利した。「野球は筋書きのないドラマ」と長嶋茂雄さんが言った通りで、いろんな要素が絡み合って思わぬ展開になるものらしい。

 高校生たちの真剣で溌溂としたプレイは見ていても気持ちがいい。負けても勝っても、勝敗よりもそのプレイに価値があり、賞賛されるのは喜ばしい。負けても勝っても、これが最後の試合だからとベンチにいる選手を全員、グランドに立たせる監督の配慮にも共感する。

 それにしても、甲子園に出てくるチームのほとんどが私学で、しかも県外からも有力な選手を見つけてきて宿舎に入れ、朝から晩まで野球漬けの生活はどう見ても部活動とは言えない。プロ野球選手になるための手段になっていていいのかと思うが、高校を卒業すれば社会人となるのだから「就職活動だと思えばいい」と言う人もいる。

 社会に出れば誰もが働いて生活の糧を稼ぐ。誰もが自分の価値や技能を高めることを目指している。テレビで放映されるから球児を特別な存在のように思ってしまうが、これから社会に出ていく高校生に過ぎない。喜怒哀楽を与えてくれて、「ありがとう」と言ってあげた方がよい高校生かも知れない。

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目標が出来て丁度よいようだ

2022年08月19日 18時33分14秒 | Weblog

 

 昨日から涼しくなった。今日も晴れて太陽は輝いていたが、風があって爽やかで涼しかった。暴風のような風雨で痛んだ花たちを見て回り、痛んだ枝を切り取り、鉢の位置も変えてやった。写真は午後5時に撮ったので、西陽が強い。

 このところ余り食欲が無い。食べるのに人の倍の時間がかかる。噛むと歯が痛くて、ものが食べられないのだ。中学1年の時はクラスで歯の優良児だったのに、今ではすっかり歯の無い老人だ。食後の歯磨きは欠かしたことが無いのに、まるでだらしない人のように歯が悪い。

 カミさんは8020で表彰されるくらい歯が丈夫だ。キチンと手入れしているかと言えば、私よりも歯磨きは少ない。どうもこれは持って生まれた体質のようだ。カミさんは長女でお腹にいる時からお母さんが食べ物に気を付けていたのだろう。私は3男で、戦時中の生まれだから食べ物も無かったに違いない。もう一つの大きな違いは、私に歯ぎしりをする癖があることだ。奥歯を噛みしめるから、歯がボロボロになっていった。

 そんな言い訳をしてもどうしようも無いので、今日の午後に歯科医に行ってきた。かぶせてあった歯がポロリと取れてしまったからだ。潰瘍になったのは、歯科医が歯のぐらつきを止めるために施したものが外れたためのような気がしてならないが、歯が無くてはものが食べられないので黙って診てもらった。

 人間は歯で噛み下し、腸で吸収してエネルギーに変える。歯で噛めなくなったら人としては終末を迎えることになる。私は充分に生きてきたから、いつでも旅立てると思ってきたが、歯の治療を受けてみると、もう少し生きていてもいいのかという気がした。

 21日には4回目のワクチンを接種するし、24日には市の特定検診を受診する。26日は日赤でペースメーカーの診断を受け、9月1日は再び歯科医で治療が予定されている。ヒマな人間には目標が出来て丁度よいようだ。明日は高校野球の準決勝戦、強豪と言われていたチームが敗退し、ゲームとしては面白くなった。

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酒を飲んでみようと思う

2022年08月18日 17時59分17秒 | Weblog

 退院後初めての診察を昨日受けてきた。若いなかなか気さくな男性医師だった。確か、私が緊急搬送された時、内視鏡で胃の中や十二指腸を観察・治療していた何人かの医師の一人だった気がする。医師はデーターを見ながら、「今は普通に食べられていますか?」と聞く。

 「はい、おかげさまで順調に回復しています」と答える。「便はどうですか?」と質問され、「黄金色です」と答えたら大笑いして黄金色と打ち込み、「黄金では困るので褐色としておきますね」と言う。飲んでいる薬の話になり、「入院以来、血圧は上は100から130以内に安定しています」と話し、「血圧の薬はもう必要ないですか?」と聞いてみた。

 「そうですね。安定しているようなら必要ないでしょう」と答えてくれた。これは調子がいいぞと思い、「コーヒーは飲んでいいですか?」と聞く。「ええ、いいですよ」と言う。「じゃー、お酒は?」と尋ねると、笑って「医師の立場からは勧められませんから、ご自分の判断で」と言う。

 私は酒がやめられないほど好きと言う訳ではないが、仕事も公務も無くなって、食事の時には酒があった方が楽しい。「酒を飲むと赤くなるタイプは酒に弱いので、無理をしないようにね」と医師はまた笑う。それからピロリ菌の冊子を差出して、「これを読んでおいてください。潰瘍の治療のためにピロリ菌の駆除をしましょう」と言う。

 駆除薬を飲むように言われたが、説明書をよく見ると朝晩1週間飲み続けなくてはならない。コーヒーも酒もOKになったと思ったのに、その間は禁酒だから、結局まだ禁止が続くことになる。でも24日は市の特定検診の受信日だから、薬を飲むことは出来ないので、ピロリ菌の薬は25日から飲み始めることにする。今晩は試しに少し酒を飲んでみようと思う。

 13日に友だちから頂いたピンクのユリが今も盛んに咲いている。

  

 

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楽しいひと時をありがとう

2022年08月17日 18時18分47秒 | Weblog

 子どもは少し見ないうちに大きく成長している。昨年の11月に、次女の娘の七五三祝いを熱田神宮で行い、娘たち夫婦とダンナの両親と私たちの3家族は長島温泉で1泊した。翌日は私たち老人組とは別行動となり、長女一家も加わって娘たち家族は子どもたちのためにナガシマスーパーランドへ出かけた。

 その時、長女の娘は小6、次女の娘は小1だったが、まだ幼さないと思っていたが、それは私がよく観察できていなかったようだ。15日の夕方から16日までのたった2日間だけだったが、ふたりとも確実に何か変わってきていた。中1の孫娘の夏休みの宿題帳は思っていた以上に難しかった。

 中1の孫娘は「やりたくない」と言いながらも、それなりに勉強時間を守って取り組み、「理科は全部できた」と言う。チェックまではしなかったが、本人が「できた」と言うのに、「見せてみて」と問うのもヤボな気がした。次女の小2の娘はひとりっ子の本領発揮なのか、毎日1つ本読みをするからと朗読を聞かせてくれた。

 昨夜は、中1と小2の孫娘がそれぞれに卵巻きを作り、盛り付けもしてくれた。小さな時の5歳の差は大きく、出来上がったものは断然違うけれど、小2の孫娘の負けず嫌いな面が面白かった。小2の孫娘は観察力にも長けていて、「"これでいいのかな"がママちゃんの口癖」と指摘する。

 中1の孫娘は夜中の1時や2時までスマホを見ているようで、自分でもスマホ依存症だとわかっているのか、「中3になったらスマホは見ない」と宣言した。果たして約束は実現されるかと思うけれど、ジジババは「強制すべきではない」と考える父親の教育方針に従う他ない。

 カード遊びで「ウノ」の他、「なんじゃもんじゃ」なるものを教えてもらったが、私には理解不能の遊びだった。禁酒・禁コーヒーで、娘のダンナたちと交わう機会は少なかったが、またいつか打ち解け合って飲む機会もあるだろう。皆さん、楽しいひと時をありがとう。

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これは美点なのか汚点なのか

2022年08月14日 17時51分14秒 | Weblog

 日本人にとって8月は、77年前を振り返る大事な時期のようだ。とはいえ、1944年生まれの私は戦後の社会しか覚えていない。昭和15年生まれの先輩たちは、B29による空襲を覚えていて、時には街が焼ける様子を語ることもある。

 また、市街地は危ないからと田舎の叔母の家に向かっていた時、「急にグラマンが現れて、機銃掃射を受けたことがある。もう命は無いと思った」、そんな体験も話してくれた。私は地域新聞を出していた時、沖縄戦を体験した人の話を聞いた。

 そんな戦争体験を語れる人も数少なくなっている。戦後に生まれ世代の子どもたちも今や世間の中堅どころになっている。戦争体験世代が減少し、戦争は遠い過去になっている。けれど、戦争について考えたり意見を公表したりすることは出来る。

 「神国日本」、「鬼畜米英」、「ひとりになっても最後まで戦う」と勇ましい国であった日本。戦場では肉弾戦も拒わず、特攻隊や人間魚雷や竹ヤリ隊まで組織し、最後まで総力で戦う決意だった日本。だから沖縄に上陸したアメリカ軍は徹底壊滅戦術を行ってきた。

 ところが8月15日に天皇が、降伏をラジオで流した。皇居前で割腹自殺した軍人はいたが、戦争に導いた軍首脳部や許可した天皇は責任をとって自殺したりすることはなかった。あれだけ「最後まで戦う」と声を上げていた人々も、上陸した米軍に刃を向けることは無かった。

 イスラム教徒なら一人でも自爆テロを行うし、キリスト教徒でも敵討ちに出てしまう人もいる。けれど日本人は、天皇が降伏を受け入れると、戦争の責任を追及することも無く、易々と受け入れてこれに従った。これは美点なのか汚点なのか、78歳になった今も分からない。

 明日から娘たちが我が家にやってくるので、15日と16日はブログを休みます。

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日常は淡々と流れていく

2022年08月13日 17時35分15秒 | Weblog

 マンションの隣室は以前、長女の一家が住んでいた。隣人が引っ越した時、長女が「パパ買っておいてよ」というので、高校の後輩が支店長だった銀行で融通してもらって購入した。けれど、長女一家が引っ越していったが、荷物の多くが置いたままだった。結局、私のアトリエにはならずに、娘たちが帰ってきた時の部屋になっている。

 電気はいつでも必要なのでそのままにしているが、水道とガスは事故が起きてはいけないので止めている。そこで、娘たちが帰ってくる度に弁を開けてもらう。水道はマンションの管理事務所で開けてもらえるが、ガスは東邦ガスに連絡しないといけない。いつも来てくれる下請けのガス屋は、既に盆休みに入っていた。

 東邦ガスの本社から従業員が午前中にやって来て、汗をいっぱい流しながら開栓作業をしてくれた。午後、カミさんとふたりで、6人分のフトンを用意する。娘たちが泊まる度にフトンを揃えるのは結構大変な作業だ。カミさんは張り切っていろいろ考えを巡らしているが、果たしていつまで続けられるだろう。

 午前中、友だちが花を持って見舞いに来てくれた。優しい心遣いに感謝する。彼女は夫に先立たれたが、夫との音楽活動は続けている。保育園や幼稚園あるいは老人ホームなどでの演奏活動も行っている。「忙しいですね」と言うと、「貧乏暇なし」と笑う顔が可愛い。盆休みは息子さんのところで、孫のお守りのようだ。

 高校野球、昨年の優勝校の智辯和歌山が国学院栃木に5対3で敗れた。高校野球ではまさかと思うことが起きる。圧倒的に優勢だろうと思っていたのは私の勝手な思い込みだった。高校生ひとり一人にそれほど力の差は無い。思わぬ好プレイや珍プレイが飛び出すのも、高校野球の面白いところ。勝敗は時の運という。

 日常は淡々と流れていく。何事も無いことが一番いい。けれど、いつか終止符が打たれる時がやってくる。ゲームセットである。

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家族というのは、そういうものなんだ

2022年08月12日 17時54分37秒 | Weblog

 私を見て、「なんか年取ったね」とカミさんが言う。自分では変わっていないつもりでいたが、鏡の中の自分を見て、確かに年老いたと思った。退院以来の閉じ籠り生活で、顔は洗っても髭を剃ることを忘れていたり、長い間床屋にも行っていないから、髪も伸びてだらしない風貌になっている。

 頭の中央はますます薄くなっているし、伸びた左右の髪が貧相さを強調している。身体を心配してくれた先輩が、「歩かないとそのうち歩けなくなるぞ。階段の上り下りが無理なら、せめて歩くことだ」と言ってくれたことを思い出し、娘たちが来る前に床屋へ行ってこようと外に出た。

 何となく足取りがおぼつかないが、慣れてきたら周囲の様子もよく見える。大学がある街だが、夏休みなので女子大生を見かけることは無い。いやそもそも、暑さの中を歩いている人はめったにいない。床屋も客はいなくて、カミさんが女子ゴルフを見ていた。床屋のダンナとは同年で、保育園の会長同士で知り合ったが、何年か前にガンで亡くなった。

 店はカミさんと息子夫婦で続けているが、息子は母親を残して出かけていた。「私も歳だからすぐ疲れるので、代わって欲しいのに、何でも私に押し付けてくるの。お父さんのお墓の掃除も、お盆の準備も、みんな私がしなくちゃーいけない。文句を言うとケンカになるので黙ってやってはいるけど」と愚痴を零す。

 「息子さんにしてみれば、仕事を取ったら老け込んじゃうと心配しているんだよ」と励ますが、どこの家も同じだ。夫婦でも親子でも、お互いにいたわっているつもりなのに、なかなか相手には伝わらない。家族というのはそういうものなんだと思うしかない。我が家も、娘たちの家族が15日にやってくるので、カミさんはその準備で張り切っている。

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人は生き抜いていく

2022年08月11日 17時35分38秒 | Weblog

 新型コロナ感染の第7波が拡大している。それでも帰郷する人、行楽地に出かける人、都心で楽しむ人、皆これ以上は我慢できない心境にある。私も退院以来じっと家に籠っているが、出来ることならどこかへ出かけたい。風光明媚な土地でなくても、名作を上映している映画館でいい。

 最近は新聞に映画館の上映広告が掲載されないから、どこでどんな映画が上映されているのか分からない。パソコンで調べればすぐ分かると言うが、調べてみる気力が欠けてきている。せっかく長女のダンナが、テレビで映画が見られるようにしていってくれたのに、操作も忘れてしまっている。

 市の拡声器から、「警察官を名乗った詐欺の電話がかかっています」とアナウンスがある。ニセ警察官が「通帳が紛失していないか」と電話してくるらしい。そんなことでどうして騙されるのかと思うが、言葉巧みに誘導されると心配性の年寄りは不安を感じて通帳を探し、言わなくてもいい金額までしゃべってしまうのだ。

 世の中には、真面目で親切で世話好きな人がいるが、どういう訳か他人を騙して金を巻き上げようと企む人もいる。人は生まれてきた時は皆、善人ばかりなのに成長するにしたがって悪人になってしまう人がいるのはどうしてなのだろう。「核廃絶は理想だが、現実を見ない平和ボケだ」と主張する人がいる。

 理想をバカにするのは間違っている。理想に向かっていくように、政治に求めていかなければ、この世は現実重視で何も変わらない。力が支配する現実を、本当にそれでよいのかと問い返さなければ理想へは近づけない。コロナ禍を乗り越え、核の脅威を克服し、人は生き抜いていく。

 15日には娘たちが家族揃ってやってくる。久しぶりの家族の集いである。

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サボっているからではないだろうか

2022年08月10日 17時34分44秒 | Weblog

 変な天候で、薄曇りだったけれど陽射しがあり、洗濯物はバルコニーに干した。高校野球に見入っていたら、何となく窓外で雨音がする。今朝は花たちに水遣りをしたのに要らなかったのか。でも、しばらくすると雨は止み陽が差してきた。

 天候の変化は仕方がないが、統一教会と政治家の関係はなかなかすっきりしない。政教分離と信仰の自由がごちゃ混ぜになっている。政教分離は国家や行政が、特定の宗教を国民・市民に押し付けないことだ。みんなで揃っての靖国神社参拝を強要するとか、参拝料を町内で一律に集めたりしてはダメということだ。

 だから、政治家が1つの宗教を信奉しても、ある宗教がひとりの政治家を応援することをダメだということではない。ただ、その宗教に対する立場を問われて、キチンと説明できないような政治家は、宗教を利用しているのであって信仰心はないと言える。

 選挙を経験した人なら、たとえ5百票や1千票で当選できる地方議員選挙でも、大勢の支持者がいなければ勝利できないことをしっている。候補者を知ってもらうために、チラシを配ってくれる、あるいは自分と一緒に地域を歩いてくれる、そういう運動員が必要だ。

 候補者の人となりで、自然に支持者が集まってくれるけれど、そこにどういう立場で協力してくれている人かまで、調べたりはしないだろう。候補者が自分が何をどうしたいか、立場をはっきりすれば、協力するか否かも自ずとはっきりする。

 何が何でも当選したい、それを目的にしていない候補者かを有権者は見極めることだ。ただ、お祭りのような選挙をさせないためには、有権者はトコトン候補者の政治信条や政策や人柄を知る必要がある。しかし有権者の立場で見ると、何となくボンヤリとしか見えていない。これは有権者がサボっているからではないだろうか。

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