中学3年生の女の子が、面識のない親子を包丁で刺して重傷を負わせた。刺された親子は50代の母親と10代の女性で、「人が殺せるか、練習のために刺した」と中3の女子は言っている。自分が嫌いな母親に似てきて、「母親を殺したい、母親を殺されるのを見る弟はかわいそうだから、弟も殺す」と供述しているようだ。
弟思いの優しい女の子なのに、なぜ面識のない親子に危害を加えたのだろう。親子が雨の中、1つの傘で歩いていたので、仲良し親子と思って妬ましかったのだろうか。何も関係のない他人を殺害する事件が多いのはどうしてなのだろう。スマホで見るバーチャルな世界と自分のいる世界との区別がつかないのだろうか。
子どもの頃、お寺の襖に地獄の様子が描かれていて怖いと思った。悪いことをしたら、地獄でこんな目に遭うのかと想像した。小学生の時、図書館で読んだ『アンクル・トムの小屋』に心奪われた。どんなにひどい目に遭っても、キリストを信じて強く生きていく姿に魅かれ、キリスト教を知りたくて教会に通った。
高校生になり、何のために勉強しているのかと、学校教育に矛盾を感じた。たくさんの人が国会を囲み、「安保反対」と叫んでいるのをテレビで見た。学校教育の矛盾は社会そのものの矛盾だった。高1の時に出会った友だちが、「俺が委員長になったら君が書記長、俺が総理大臣なら、君は官房長官」と、将来を誓い合った。
彼は私をよく知ると思う。私は彼の後を受けて後期生徒会長になったが、トップの座よりも事務方が合っていたと思う。彼とは違う生徒会長を目指したが、もし政治家になっていたら、どうなっていたのだろう。私は議員よりも首長を望んだが、彼は議員に徹していた。
高校野球を観ていた時、素敵なスローガンがあった。八戸光星高校の「一人一役全員主役」である。人にはそれぞれの役割があり、それぞれが主役なのだと実感する。殺傷事件を起こした中3の女の子も、被害者の親子も、世の中のすべての人は幸せになる権利を持って生まれてきている。それを保障するのが政治だと思う。みんなが生き生きと暮らせるように、一人ひとりが求めるなら実現できるはずだ。