中学からの友だちが1日、彼のブログで「小牧工業高校のマーチングバンド部をドラマにしたものが、4日の午後3時から放映される」と書いていた。彼が私に知らせるためだ。4日・5日はマンションの井戸に手押しポンプを設置する日になりそうだったので、「ありがとう。録画しておきます」とコメントしたが、作業は9日に延期となったのでゆっくりドラマを観ることができた。
中京テレビ開局50周年を記念したドラマで『翔べ、工業高校マーチングバンド部』という題名だった。ドラマでは小牧市の東工業高校となっていたが、校章は小牧工業高校のもののような気がした。校舎の屋上に出たことはないが、風景としてはあんなものだったかも知れない。私が勤めていたのは45年も前になるから、当然その頃とは景色も違うだろう。
当時は吹奏楽部は無かったし、女生徒もいなかったと思う。工業高校に特有なのか、工業科の先生の存在が大きくて普通科の先生は添え物のようだった。普通科の先生は名古屋には置いておけない、いわゆる組合の先生が多くて、島流しの学校だった。それだけに優秀な先生がたくさんいて、著名な詩人もいた。工業科の先生の中にも若手は変わり種で、ものを書くのが好きな先生もいた。
マーチングバンド部を創設した先生も国語科のようなので、随分学校も変わって来ていたんだと思った。私の教員控室は3階の外れにあった。生徒から集めた画材のお金を控室の机に置いたまま、トイレに立ってしまった。戻って来た時、何か変な音がしたように思い、机の中を見るとお金が無くなっていた。この部屋にお金があることを知っているのは生徒しかいない。けれど、私のミスで起きたことなので犯人探しはしたくなかった。先生たちがみんなでカンパしてくれた思い出の学校である。