朝から雨が降っている。まるで梅雨のようなシトシト雨だ。マンションの桜も7・8分咲きのまま、雨に耐えているように見える。世間はますます新型コロナウイルスの拡大を心配し、曇り空のように重い空気が漂っている。
あと14日で私の76回目の誕生日がやって来る。75歳のうちに逝きたいと思っていたが叶えられそうにないみたいだ。もう充分生きたと思っているが、まだ未練があるのかも知れない。情けないと思いながら、未練は何かと詮索してみる。
高校生の時、中学の時から好きだった女の子がいたのに、その子の誕生日に花屋からバラの花束を贈ったけど、毎朝、新聞部の部室の前を通って音楽室でピアノを弾いていた女の子に便せん13枚の手紙を送った。手紙はその子の友だちが返して来た。封も切らずに。
好きな女の子がいるのに、別の女の子に手紙を出してしまう自分の「罪」に苦しんだ。そればかりか、「大人の女」に惹かれている自分がいて、その「罪」に押しつぶされそうだった。「清純な愛」を貫くことが出来ない。これではとても牧師にはなれない、そう思った。
瀬戸内寂聴さんの「仕方ないじゃないの。好きなんだから」をもっと前に聞いていればよかった。人は人を好きになるようにできている。私の中学からの友だちも、10年間以上もカミさん以外の人と付き合っていた。彼のブログのおかげで、私も花の名所へ行かせてもらった。
中学から書いてきた日記は、私が敬愛する作家のところに送った。残る手紙も処分すれば、痕跡の大部分は無くなる。希望の無い日々はただ時間を潰しているだけで退屈だ。明日は雨、止むのだろうか。