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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

情報が入らない社会は過多の社会より怖い

2020年04月23日 17時22分51秒 | Weblog

 毎日、毎日、テレビも新聞も新型コロナウイルスの報道ばかりだ。いくら全国民の課題であっても、こんなに毎日同じことばかりで、私は食傷気味だ。飽きることもなく朝から晩まで、テレビと新聞にかじりついている姿を見ると、どういう神経なのかともエライなとも思えてくる。

 「3密」を守ることが感染防止に役立つこと異議はない。けれど、海でサーフィンやボール遊びをする人や公園で戯れる人を、まるで違反者のように扱うのはやり過ぎではないのか。スーパーに買い物に来る人が多すぎるから規制すべきだという主張まである。スーパーの営業時間を延ばし、働く人の賃金を高くすることが大事で、感染対策はスーパー側に任せればいい。

 事故が無いようにするには厳しい規制が手っ取り早い。がんじがらめに縛り付けて、一歩でも家から外に出た者を刑務所行きにするなら、誰も外には出ないだろう。でも、それで本当にいいのだろうか。世の中はいろんな仕事で支えられている。家に居られる人ばかりではない。

 どうしても外へ出らなければならない人に、感謝だけでなく賃金でも報いるべきだろう。一度、テレビも新聞も1週間か2週間、報道を休んでみたらどうだろうか。テレビが見られない、新聞が読めない、そういう生活もいい気がするが、「ダメよ。若い人はみんなスマホを見ているから」とカミさんは指摘する。

 どうやったらスマホを見られなくするのか、私には分からないが、情報が何も入らない社会は過多の社会よりも怖い気がする。誰もが情報を手に入れることができ、自分で取捨選択できる、それが健全な社会だろう。情報が嫌なら、私のように見なければいい。偏っていても、間違っていても、受け手が判断できる社会が一番いい。

 ルーフバルコニーのチューリップは終わりを迎えている。

 


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