コメディアンの志村けんさんが亡くなったのは3月29日で、翌日からテレビで何度も取り上げられたし、特集番組も放映された。どういう訳か分からないが、私はドリフターズの『8時だよ、全員集合』を観た記憶があまりない。
私は結婚するまで、テレビの無い生活だった。1968年に結婚して、人並みにテレビが居間に置かれた。その時、私がよく観ていた番組は『コント55』だったようで、「どうしてそんなにおかしいのかと思うほど、テレビを観てひとりで笑っていた」とカミさんに言われる。
子どもの頃はラジオが中心だったから、フトンの中で落語や浪花節を聞いていた。日曜日の夜に放送されていた『ルーテルアワー』を何故かよく聞いていた。祖父がいる本宅にはテレビがあったが、スイッチもチャンネルも祖父が握っていて、おこぼれで観ていたに過ぎなかった。
志村けんさんの死で、新型コロナウイルスは俄然身近なものになった。小池都知事が「最後の功績」と言ったのは、言葉を扱う人にしては軽率だったが、コロナの怖さをみんなが知ることになった。それにしても、「非常事態宣言をせよ」と野党までも安倍首相に迫るのはいかがなものかと思う。
手洗いとマスクに加え、3つの「密」を守ることでしか蔓延を防ぐ手立てはないだろう。それは国民ひとりひとりの意識の問題だ。私がふざけて、「密室で密会し密意を交わしたいネ」と言うと、カミさんは怒って、「決してそんなことを人前で言ってはダメ」と目くじらを立てる。冗談が通じない閉塞社会になったものだ。志村けんさんなら、こんな時はどうやって笑いを取るのだろう。