友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間は歴史から何を学んだのだろう

2020年04月12日 17時25分36秒 | Weblog

 午前中に、以前掘った井戸のポンプを見に行ってきた。1カ所は最も初期のもので、1つの井戸から電動ポンプと手押しポンプの双方から水が出るタイプのもの、もう1つは手押しポンプだけのものだ。双方から水が出るようにした方の、手押しポンプの木製の台座が腐ってしまっている。

 庭には様々の樹木が植えてあるからどうしても水が必要である。手押しポンプの方は使っていないが、「捨ててしまうのは忍びない」と言う。近所の保育園の幼児たちが水汲みに来たこともあり、「活かしたい」との希望を受け、ブロックで台座を作り直すことにした。

 もう一カ所は、ピストンが壊れてしまっているので直せば水は出るように思う。そうしているうちにお昼になってしまった。「飯食いに行こう」と先輩が言うが、「止めておこう。コロナで騒いでいる中でわざわざ行くことはない」と否定されてしまう。わが街でも、コロナの影響は確実に大きくなっている。

 人間には何ともならない災害が生まれると、これを誰かのせいにしたくなる性質があるようだ。日本でも欧州でも世界中で、そんな史実が見られる。悪魔祓いは最たるものだろう。「犠牲者を差し出せば災害は収まる」などと誰かが言い出せば、「処女を差し出せ」と群衆は叫ぶ。

 16世紀の欧州で蔓延した魔女狩りでは6万人の女性が殺された。キリスト教では罪の無い者を罰してはならない。魔女裁判では自白を重要視し、狂気じみた拷問が「正義」の名の下に行われた。そんなバカなことと思うが、「正義」を行う側にいると残虐さが快感になるようだ。

 コロナ騒ぎで、原因を暴き出し批難することで、「我が身」あるいは「我が国」の正しさを強調しようとする動きは、なんとなく魔女狩りに近い気がしてしまう。誰かに、どこかに、責任を押し付けないと気が済まないのだろう。人間はなかなか歴史から学ぶことは無いようだ。

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