友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悔いが無ければ「よし」と思う

2020年04月22日 17時38分28秒 | Weblog

 「千載一遇の友」と自らを称する小学校の同級生がメールをくれた。先日、毎日の価値を体積で評価する案を送ってくれた男だ。その時も「日々生きる時間のことに関して考えている」とあったが、今回は長い文章が送られてきた。

 「ギリシア神話に『時』に関係した神様がいます。その名は『クロノス』と『カイロス』です。私たちが生きている時間は『クロノス』の口から次々と生み出され、この世に留まることなく流れ出ています。その端の方に『カイロス』がいて、留まることのなく流れて来る時間をどんどん飲み込んでいます。私たちは『クロノス』の口と『カイロス』の口の間で、留まることなく流れ続ける時間の上で生活しているのです」とある。

 「生き方をよく考えず無計画な生活をする者は、時間の流れとともに流され、時間に追われ、背後に迫る『カイロス』の口に飲み込まれることから逃れるために、必死になって生きる生活を送っています。一方生き方をよく考えて計画的な生活を送る者は先を見通し、『クロノス』の口に近づき、時間の流れを見極め上手にコントロールし、余裕を持った生活ができるのです」と。

 そして、「現役の頃、時間に追われたり、追ったりする生活を体験し、幾多の修羅場を潜ってきました。現役を引退した今は、時間を追うことも追われることもなく、ゆったりと生活している。時の流れに合わせ徐々に『カイロス』の口に近づき、最後に時間の流れとともに『カイロス』の口に飲み込まれ寿命を閉じることになると思う」とある。

 小学校の頃は一番のひょうきん者でよく笑わせてくれた。何時からキリスト教徒になったのか知らないが、随分真面目になってしまった。幼い時から目標を立てて、しっかりと歩み続けてきた人もいるだろうが、多くの人は計画的で余裕のある生活からは無縁だっただろう。時間に追われるばかりの人生であっても、振り返って「悔い」が無ければ「よし」と私は思う。

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