昨日は自治ネットの5月例会、そして夜は誕生日会と続いた。午前中のどこかで時間が取れるだろうと思っていたが、パソコンに向かう時間を作ることは出来なかった。そうした時のために、何本か書き溜めておこうと思うのだが、最近はそのためのテーマが見つからない。何か、思いついた時に書き留めておく「ブログ雑記帳」もあるのだが、かなり前から何も書かれていない。
最も新しいメモ書きにはこんなものがある。いつ、何で書いたのか覚えがないが、多分テレビを見ていた時のセリフではないかと思う。「大事なことって、ちゃんと言えるチャンスが少ない」。「誰が先に死ぬかではなく、誰が最後まで生き抜くかである」。
その次のメモは何だろう。「人間が社会的な存在であるから、表現=行為?(労働であったり、ものをつくることであったり‥‥)が必要であるが、人間と人間を結びつけるものとしての表現(としての性)が大切になってくる」。人間はものをつくったり、わたしたり、もらったりして、生きてきた。必要なことはつくるという表現=行為である。個人と個人の関係で重要なものは「ことば」であるが、性表現=行為は「ことば」を超えた結びつきである。そんなことなのだろうか。
「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」(略称、自治ネット)では、毎年8月にフォーラムを開いてきたが、参加者が多い割りに自治ネットに入会したいという人が少ないことが話題になった。「だって、入会の誘いはなかったですよ」と新入会員は言う。どうも自分たちが議論することに喜んでいて、会員を増やすことに目が行ってなかったようだ。選挙になると、「無党派市民派」と名乗る候補者が多いのだから、当選してもその立場を貫く議員がいるはずである。「ことば」でもって呼びかけることの大切さを改めて確認した。
さて昨夜、誕生日会に次女からもらったお菓子を持っていこうとすると、次女がいつものけたたましい調子で「どうして持っていちゃうの!」と言う。「食べきれないから皆さんに食べてもらってもいいと思って」と言えば、「まだ、お姉ちゃんたちは食べていない!」と指摘するから、「じゃあ、持っていかない」と答えると、「どうしてそういう言い方をするの!」と怒り出す。あまり口調がきつかったので、それはないだろうと思い、「いいや、もういらない!」と挑発してみた。私たちがもらった土産である。どのように使うかは私たちが決めてもよいはずだ。
もちろん、次女には次女なりの思いがあるから、口に出したのだろうが、大体そんなにカッカとするようなことではない。何でも自分の思いどおりにしたい気持ちが強すぎる。まあ、それは私に似ているのだろうけれど、そんなに何もかも自分で仕切らない方がいいんだよと教えておきたいのだけれど、いつもうまくいかない。「ことば」は難しいなと思っていたら、今度の大和塾の機関紙『風』に長老が「言葉・ことば・文字」を寄せてくださった。
最も新しいメモ書きにはこんなものがある。いつ、何で書いたのか覚えがないが、多分テレビを見ていた時のセリフではないかと思う。「大事なことって、ちゃんと言えるチャンスが少ない」。「誰が先に死ぬかではなく、誰が最後まで生き抜くかである」。
その次のメモは何だろう。「人間が社会的な存在であるから、表現=行為?(労働であったり、ものをつくることであったり‥‥)が必要であるが、人間と人間を結びつけるものとしての表現(としての性)が大切になってくる」。人間はものをつくったり、わたしたり、もらったりして、生きてきた。必要なことはつくるという表現=行為である。個人と個人の関係で重要なものは「ことば」であるが、性表現=行為は「ことば」を超えた結びつきである。そんなことなのだろうか。
「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」(略称、自治ネット)では、毎年8月にフォーラムを開いてきたが、参加者が多い割りに自治ネットに入会したいという人が少ないことが話題になった。「だって、入会の誘いはなかったですよ」と新入会員は言う。どうも自分たちが議論することに喜んでいて、会員を増やすことに目が行ってなかったようだ。選挙になると、「無党派市民派」と名乗る候補者が多いのだから、当選してもその立場を貫く議員がいるはずである。「ことば」でもって呼びかけることの大切さを改めて確認した。
さて昨夜、誕生日会に次女からもらったお菓子を持っていこうとすると、次女がいつものけたたましい調子で「どうして持っていちゃうの!」と言う。「食べきれないから皆さんに食べてもらってもいいと思って」と言えば、「まだ、お姉ちゃんたちは食べていない!」と指摘するから、「じゃあ、持っていかない」と答えると、「どうしてそういう言い方をするの!」と怒り出す。あまり口調がきつかったので、それはないだろうと思い、「いいや、もういらない!」と挑発してみた。私たちがもらった土産である。どのように使うかは私たちが決めてもよいはずだ。
もちろん、次女には次女なりの思いがあるから、口に出したのだろうが、大体そんなにカッカとするようなことではない。何でも自分の思いどおりにしたい気持ちが強すぎる。まあ、それは私に似ているのだろうけれど、そんなに何もかも自分で仕切らない方がいいんだよと教えておきたいのだけれど、いつもうまくいかない。「ことば」は難しいなと思っていたら、今度の大和塾の機関紙『風』に長老が「言葉・ことば・文字」を寄せてくださった。