友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ことば」は難しいな

2009年05月10日 18時04分41秒 | Weblog
 昨日は自治ネットの5月例会、そして夜は誕生日会と続いた。午前中のどこかで時間が取れるだろうと思っていたが、パソコンに向かう時間を作ることは出来なかった。そうした時のために、何本か書き溜めておこうと思うのだが、最近はそのためのテーマが見つからない。何か、思いついた時に書き留めておく「ブログ雑記帳」もあるのだが、かなり前から何も書かれていない。

 最も新しいメモ書きにはこんなものがある。いつ、何で書いたのか覚えがないが、多分テレビを見ていた時のセリフではないかと思う。「大事なことって、ちゃんと言えるチャンスが少ない」。「誰が先に死ぬかではなく、誰が最後まで生き抜くかである」。

 その次のメモは何だろう。「人間が社会的な存在であるから、表現=行為?(労働であったり、ものをつくることであったり‥‥)が必要であるが、人間と人間を結びつけるものとしての表現(としての性)が大切になってくる」。人間はものをつくったり、わたしたり、もらったりして、生きてきた。必要なことはつくるという表現=行為である。個人と個人の関係で重要なものは「ことば」であるが、性表現=行為は「ことば」を超えた結びつきである。そんなことなのだろうか。

 「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」(略称、自治ネット)では、毎年8月にフォーラムを開いてきたが、参加者が多い割りに自治ネットに入会したいという人が少ないことが話題になった。「だって、入会の誘いはなかったですよ」と新入会員は言う。どうも自分たちが議論することに喜んでいて、会員を増やすことに目が行ってなかったようだ。選挙になると、「無党派市民派」と名乗る候補者が多いのだから、当選してもその立場を貫く議員がいるはずである。「ことば」でもって呼びかけることの大切さを改めて確認した。

 さて昨夜、誕生日会に次女からもらったお菓子を持っていこうとすると、次女がいつものけたたましい調子で「どうして持っていちゃうの!」と言う。「食べきれないから皆さんに食べてもらってもいいと思って」と言えば、「まだ、お姉ちゃんたちは食べていない!」と指摘するから、「じゃあ、持っていかない」と答えると、「どうしてそういう言い方をするの!」と怒り出す。あまり口調がきつかったので、それはないだろうと思い、「いいや、もういらない!」と挑発してみた。私たちがもらった土産である。どのように使うかは私たちが決めてもよいはずだ。

 もちろん、次女には次女なりの思いがあるから、口に出したのだろうが、大体そんなにカッカとするようなことではない。何でも自分の思いどおりにしたい気持ちが強すぎる。まあ、それは私に似ているのだろうけれど、そんなに何もかも自分で仕切らない方がいいんだよと教えておきたいのだけれど、いつもうまくいかない。「ことば」は難しいなと思っていたら、今度の大和塾の機関紙『風』に長老が「言葉・ことば・文字」を寄せてくださった。
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未婚社会が意味するもの

2009年05月08日 19時14分09秒 | Weblog
 昨夜、NHKテレビで『どうする未婚社会』を取り上げていた。生涯未婚率が30%にもなると警鐘を鳴らしていた。未婚が多くなると何が問題なのだろう。まず、考えられることは出生率が下がるだろう。子どもの数が少なくなるということは人口が減るということだ。人口が減れば、これまで売れていた商品の数量も減る。家も車の服も相対的に数が減る。生産は減り右肩下がりの経済社会となる。

 地球の人口は増え続けているので、後何年か先には飽和状態になる。農地や水が不足する。それ以前に生産のために地球破壊が進む。人口の減少はこの悪循環を断ち切ることに少なくとも役立つであろう。人口が減ることは悪いことばかりではない。どうして政治家もマスコミも結婚しない人が増えることを否定的にとらえるのだろう。

 番組の中でもやり取りがあったけれど、なぜ未婚なのかといえば、その理由は様々ある。男からすると恋愛が面倒くさいし、その面倒を乗り越えて得られるものは何かわからない。女性に気を遣い、金を使い、そうまでして手に入れる価値があるものとは思えないと言う。女からは、男は草食動物で自分から口説いてくれない、結婚したら専業主婦がいい、そのためには収入が多い方がいい、最低でも年収は400万円以上なければ結婚しないと言う。

 ゲストの菊川玲さんが「えつ、どうして?好きな人と一緒に暮らしたいんじゃないの?愛はどうでもいいの?」と絶叫していた。私の知り合いは見合いで結婚したが、「まず相手の収入を見て次にどこに勤めているかで決めた」と言っていた。「相手の人と話はしなかったの?」と聞くと、「結婚式の日まで口を利いたことがなかった」と答えた。それでも5人の子どもを生み、「お父さん、お父さん」とご主人に甘えていた。

 大正・昭和は日本に資本主義が根を張る時代で、勤め人が増えてきたが、それはまだ明治の富国強兵政策下にあったから、男は外で働き女は家を守る社会であった。戦後、高度経済成長が続くと働き手が不足し、男女共同社会の名の下に女性の社会進出が推し進められた。家庭は夫婦単位となり、さらに単身赴任も生まれ、家庭の形も変わってきた。フランスでは結婚しない男女も結婚した男女と同じ扱いとしているそうだ。今、一緒に暮らしているけれど、夫婦という法的な縛りがなくなっているから家庭とは言えない、テレビでの討論も賛否両論であった。

 けれどもそういう社会になっていくであろうと私は思う。結婚したい人はすればいい。結婚したくない人までも結婚させることはない。恋愛は面倒?当たり前だ。好きな人に会いに行く、そのドキドキとした気持ちが恋だと思うけれど、そんなものは要らないというなら仕方ないと思う。好きな人と一緒にいることの歓びや肌の暖かさよりも、パソコンの方が好きなら仕方ない。別に麻生首相のように「子どもをつくることは義務」ではない。人類はいつもどんな時も結果を背負ってきた。当たり前のことだ。
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女流作家は元気がいい

2009年05月07日 21時03分04秒 | Weblog
 連休中に何人かの女流作家の作品を読んだ。別に意識して女流作家を避けてきたわけではないが、心のどこかで男の気持ちを女は書けないだろうと思い込んでいたのかもしれない。逆に、女の気持ちを男が本当に言い当てているのか、疑問も残る。けれどもトルストイの『アンナ・カレリーナ』、バルザックの『ボバリー夫人』、イプセンの『人形の家』など、どれも女性が主人公で、その彼女たちの感受性や心の動きは実に見事だ。優れた作品というものは、男も女も関係なく、人間に対する洞察力とその表現力にあるようだ。

 女流作家は人間の心をよく捕らえているけれど、その人間が生きている社会とのかかわりが弱いとも言われるけれど、そういう目で見れば男性の作家が必ずしも人間を社会と結びつけて描いているわけではないし、女流作家の中にもたとえば大原富枝さんのような人もいる。大原さんの『アブラハムの幕舎』は、「イエスの箱舟」だったと思うけれど、そういう社会性のある人々を題材にした作品であった。ストーリーは忘れてしまったが、重い作品だったことだけが残っている。人の心の動きだけでなく、もっと社会全体の中で捉えている作品だった。

 年老いてから小説を読むと、意外なほど早く読める。作家が自分よりも歳若く、明治・大正の作家のような難解な言葉が少ないせいだろう。女流作家は男性の作品よりも読みやすいようにも思う。連休中に、田口ランディさんの『蝿男』、女流作家の小品を集めた『恋する男たち』、村山由佳さんの『ダブル・ファンタジー』を読んだ。『ダブル・ファンタジー』は500ページ近くもある長編で、劇作家の生き様が描かれていて面白かった。新聞広告などでは女の性欲を真正面から捉えた作品と書かれていたけれど、人の心をよく描いていて、若いけれどなかなかの作家じゃないかと思った。

 女に性欲はないとしたのは、その方がよいと思った男が作り上げたものだ。ただし、男も女も人間の性欲は動物のような生理的な欲とは違うと思う。食欲もただ空腹を満たすだけではないように、いや空腹の時はたとえば泥水も飲んだというし、戦争の時に兵隊は人肉も食べたというから、動物と変わらないかもしてない。しかし、性欲は飢えているからと満たすようなものではない。人間の欲は快楽を目指しているところが動物とは違うと、私は思っている。

 誰だったか、人間の性欲は幻想で成り立っていると書いていたが、私はその幻想を愛と呼称してよいと思っている。女流作家が女の性を真正面から取り上げ、人間に迫ろうとするのはすごいなと思う。村山さんはなかなかの作家だと書いたけれど、この作品が「週刊文春」に連載された作品であったために、読者に媚びた部分があり、それが残念な気がする。それにしても、何だか男よりも女の方が頑張っていないだろうか。
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連休最後の日

2009年05月06日 19時47分16秒 | Weblog
 とうとう連休の最後の日となってしまった。今日は孫娘にとっても水泳大会の最後の日である。長女のダンナの両親が孫娘の応援に来てくださるという。それなのに私たちが行かないというわけにはいかない。もし逆の立場であったなら、なぜ来ないのかといぶかしく思うだろう。長女に予定を聞いたところ、午前9時半に駅に迎いに行って試合を見てもらい、お昼ご飯を一緒に食べて、その後は自由にしてもらうつもりだと言う。

 午前9時半には間に合わないが、お昼を一緒に食べることはできるからと出かけた。水泳大会は50m10コースで行なわれるが、東海3県のスイミングスクールの子どもたちが参加するので、ほとんど間を取ることなく次々とスタートする。種目そのものでは長いものでも800mだから時間は9分から10分だが、短いものなら50mだから何秒という世界である。しかも観覧席はプールから離れているので子どもの姿を確認することも容易ではない。

 飛び込んでゴールするまで、アッという間の水泳大会だから婿の両親はどんな感想かなと思ったが、孫娘が所属するスイミングスクールの子どもたちが出ている種目になるとかなり熱っぽく応援している。なかなか熱い人なのでホッとした。お父さんの方は私よりも年上で、今は山村に土地を持っていて、「毎日のように出かけている」とお母さんが言う。「山菜取りをしてくるのはいいけれど、その始末が大変なのよ」とも。男はどこへ行っても自分本位なのかもしれない。裏返せば、自分本位なれる基盤があるということなのだろう。

 お昼ご飯を食べながら話が盛り上がった。婿のお父さんは健康には人一倍気をつけてみえるが、息子は理屈で考えようとして、経験派の父親と対立しているかのように見える。けれども物事を論理的に考えようとする理屈っぽさでは大きな差はない。婿は毎日、私のブログを見ていてくれるようで、昨夜の『ダンスリサイタル』についても「批判的に書いてあった」と評してくれた。婿は音楽に携わっているから、音の作り方で気に入らないところがあったようだが、私はダンスとは何なのかがしっくりこなかった。

 ダンスは優美で華麗な世界を見せるものなのか、それならば若さに勝る何かが必要だと思う。会場でいただいたプログラムに楽曲を提供した弥富又八さんが寄せていた一文が心に残った。それは、「(長女の友だちが)ふっと見せる寂しげな表情に心打たれる。太陽のような明るさで人と接し、あらゆることに全力で取り組む彼女から、それはアーティストの孤独を垣間見る一瞬。長いダンサー生活の中で彼女が流した汗と涙、喜びと挫折。ダンスと同じだけ人間も愛そうとする姿勢‥‥様々なものがひらめく一瞬」とあった。

 少女歌劇の作り笑いではなく、「喜びと挫折、汗と涙、人の孤独‥」を表現できるダンサーになって欲しいと思う。年を重ねてもなお輝いているためにも。
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雨降りになった

2009年05月05日 18時42分18秒 | Weblog
 久しぶりに雨降りである。まだ、子どもたちが小さかった頃、ゴールデンウィークは連泊で出かけることが慣例だった。ところが連休のどこかで必ず雨が降り、何か一日損をしてしまったような気がしたものだった。子どもたちが巣立ち、出かけることがなくなり、連休中に一日こうして雨が降ると、庭の鉢植えの樹木や草花に水をやらなくても済むので、ほっとできる惠の雨に変わっていった。

 今朝早く、孫娘を水泳大会の会場へと送っていく。午前7時前に孫娘に「頑張れよ」と言って分かれると、このままどこか車で走っていきたい気持ちになった。けれども雨が降り出してきた。これではどこへ行っても気は晴れないだろう。しばらくグルグル回って帰ってきた。

 次女夫婦はダンナの実家へ出かけ、カミさんは友だちと食事会だ。たくさんの人がいた家にひとりぽつんといるのは意外と寂しいものだ。中学・高校からの友だちが法事のために一家で出かけなくてはならないのに、体調不良で家に居るとブログに書いていた。電話して久しぶりに会おうかと思ったが、体調不良だというのに出られるわけはないかと気が付いた。彼は大丈夫なのだろうか。それにしても人のつながりがある人はいいなと思う。

 私だってつながりがないわけではない。昨日も、私の選挙を手伝ってくれた友人からケイタイに何年かぶりで電話が入っていた。昨夜は長女の幼友だちの『ダンスリサイタル』を見に行っていたので、ケイタイは持たずに出かけていた。それで、今朝気が付いたけれど、余りに早い時間ではいけないだろうと思い、午前8時に電話を入れた。80歳近い方でしかも病気で倒れたこともあったから、ひょっとしてご家族からの連絡かと心配だった。

 電話の相手はすこぶる元気で、「何やっとる?そろそろ選挙の準備じゃないかと思って」と逆に私を気遣って電話をしてくれたのだ。もう選挙には立たないからと話すと、「その方がいいかもしれん」と言ってくれた。今は井戸掘りをしていること、お酒が飲めるようだったらまたみんなで飲みましょうと伝える。80歳近いのに歌はフォークソングが好きで、若いミュージシャンの追いかけもやっていた。「これからは若い人に頑張ってもらわなきゃー」が口癖だ。

 そういえば、昨夜の『ダンスリサイタル』も長女の同級生だからアラホー世代だ。3歳からクラシックダンスを初め、18歳でOSKに入団して娘役で舞台に立ってきた。OSKを退団してからもダンスの世界で活躍している。彼女から「パパとママにもよろしく」と伝言をいただいたので、家族みんなで出かけることにした。20畳もないこじんまりした舞台であったが、1時間半ほど踊りっぱなしだったから体力がなくては務められない。以前の彼女よりもいっそうきびきびした踊りになっていたけれど、身体は余りに細くなっていて驚いた。

 ダンスが肉体の美を表現するものであるのなら、もう少し女性の身体の柔らかさがあった方がいいと私は思った。観客は男役の女性に魅力を感じるようだけれど、私は気味が悪かった。踊って歌って、華麗な世界を見せる舞台よりも、人間のおどろおどろしたものを踊りで表現した土方撰の舞踊に心惹かれる。
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日米では違う野球の楽しみ方

2009年05月04日 16時17分48秒 | Weblog
 午前9時からNHK衛星第1でアメリカ大リーグ戦のアスレチック対マリナーズの試合を見ていた。アスレチックスにリードされ、城島やイチローの活躍で同点に追いついたものの、逆転には至らなくて5時間を越える長い試合となった。余りにも長くて見ている方が集中できない。私は野球にそれほど関心がある方ではないからか、「なんだかつまらない試合だなー」と思いながら見ていた。正確に言えば、小説を読みながら時々テレビを見ていた。

 プロ野球もそうだけれど、なぜか迫力を感じない。高校野球はプロ野球と比べれば確かに体格の上では子どもの野球だけれど、見ていて面白いし、ハラハラドキドキしてしまう。アメリカの野球は大味なのか、そのハラハラドキドキ感がない。野球は、ピッチャーとバッターの真剣勝負でその駆け引きが面白いから、日本人には受けるスポーツだと思う。これに日本人は大技小技を加え、アメリカで作られた野球を日本人好みに仕上げた。そういう野球を見ているためか、大リーグ野球は物足りない。

 野球はピッチャーとバッターの真剣勝負であるが、そこに日本人はチームプレーを織り込んだ。それがいっそうチームに対する愛着や熱狂的ファンを生んだのだと思う。試合の様子を放映する中で、時々は観客席が映し出されるが、日本人のようにまとまって好みのチームを応援する姿は見られなかった。チームと同じユニホームを着ているけれど、日本人のようにみんなでメガホンを打ち鳴らし、相手チームに罵声を浴びせる、そういう行為は見られない。

 不思議だなと思うのは、試合の応援に来ているとは思えないカップルがいることだ。まるで映画館にでも来ているように、抱擁しキスをしている。プレイをしている選手たちも試合に命を懸けているというよりも、野球の好きな連中が楽しんでやっている、日本ならば草野球の雰囲気だ。そうか、アメリカ人は野球をみんなで楽しんでいるのか、そう思った。何が何でもこの試合に勝たなければいけない、もちろんそうなのだろうけれど、その前にいいプレイをして、あるいはそれを見て、楽しもうよという気持ちが強いのかもしれない。

 私は小学校の時、少々運動神経がよかったからか、子ども会のソフトボールチームにいた。自分の意思で入ったわけではなかったから、毎週日曜日に行なわれる練習がイヤで仕方なかった。イヤイヤやっているからそこそこの選手でしかなかったのに、監督をしていた青年に可愛がられて、特別にノックを受けたり試合に出されたりで、ますますイヤになってしまった。みんなで隊列を組んでグランドを走ることは気持ち悪かった。小学校を卒業し、子ども会から解放されて、ホッとした。

 何かのためにひたすら練習することが苦手なのは、根っからの怠け者なんだと人生の終末を迎えて気が付いた。
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何を守るのか

2009年05月03日 19時23分40秒 | Weblog
 孫娘の水泳の練習のために、春日井市の温水プールまで送っていった。余りにも周囲の緑がきれいだったので、プールで待つよりも植物園に行ってみようと思った。プールの受付嬢にどう行ったらよいかと尋ねたけれど、行き方を説明するのは難しいようだったので、「近くに目標となる建物はありませんか?」と聞いてみた。以前に行ったことがあったのに、どこにあったのか思い出せなかった。

 教えてもらった方向へと車を走らせて行く。高蔵寺ニュータウンの文字が見えてきて思い出した。このニュータウンの開発を手がけ、ここに住み着いた津端修一先生のお宅を訪ねた時であったか、ここに新しく学習塾を開こうとする人のための下見だったか、定かではないけれど、確かにここに2度3度来たことがある。ニュータウンは森の中の街になっていた。交通の便が悪いことから、居住者は減っているとも聞いた。工場誘致のために開発された区画は今も売れ残っていた。

 植物園はこのニュータウンの北端にあり、今日は『植物園祭り』で盛況だった。たくさんの親子やジジババづれが来ていた。ボランティアによる草花の育て方や木工のキーホルダー作り、手作りバターの実演などが行なわれていた。手打ちそばコーナーは完売になっていたし、野点の茶席では着物姿の女性がかいがいしく動き回っていた。芝生の広場では親子でボール遊びをする姿が、また池ではボート遊びのカップルの姿が見られた。

 近か場で、お金のかからない、こうした場所が連休には丁度よい遊び場なのかもしれない。今日の新聞を見ていたら、高速道路は予想以上に大渋滞であったようだ。昨日、長女たちは滋賀県長浜へ、また次女のダンナは友だちとゴルフに出かけたけれど、大変だったのではないだろうか。新聞各紙は憲法記念日らしい特集をしているのかと期待したが、毎年扱いは小さくなっていくように思う。憲法改正に反対か賛成かという単純な質問が相変わらず行なわれている。民主党が「時代に合わなければ改正もありうる」というようなことを言っているそうだが、そんな当たり前のことを言っているからダメなんじゃないかと思う。

 憲法は絶対に改正してはならないものではない。そんなことよりも憲法の前文に掲げた「理想」をどう実現していくか、第9条はその指針であるのだから、これを全世界に発信することこそが日本人の務めだと思う。それを見失っているから、「海賊にどう対処するか」「ミサイルがわが国の上空を通過するのは許されない」「この重大な時期は国益をまず優先させるべきだ」の大合唱が生まれてくるし、全く反対論を展開できずにいる。「国民を守る」「国の安全を守る」「国の利益を守る」という「守る」ことに、何一つ反論できない。

 この豊かな緑も見られなくなってしまうのだろうか、いや「この緑を守るために国論を統一せよ」となっていくのだろうか。
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久しぶりに3家族で食事

2009年05月02日 18時48分11秒 | Weblog
 昨夜は「すき焼きが食べたい」という次女夫婦の要望に応え、カミさんはかなりよい肉を買ってきた。次女夫婦はお酒を飲むからつまみになるものを6品も用意していた。豪華なものではなく、タイでは食べられないようなものばかりである。次女のダンナの実家から送られてきた採りたてのタケノコでタケノコご飯を炊いた。そのタケノコとワカメとの若竹煮、友人が潮干狩りに行って来たとおすそ分けしてくださったアサリをつかった酒蒸、ホタルイカの醤油煮、カズノコ、サヤインゲンを茹でてすりゴマをかけたもの、枝豆、「美味しい漬物が食べたい」と言うので買ってきたナスとダイコン、そんなどこにでもありそうなものばかりであった。

 次女夫婦と長女と孫娘と私たちの6人に、仕事を終えて急いで駆けつけてくれた長女のダンナも加わり、久しぶりに大家族となった。ビールは瞬く間に空になっていく。仕事の話や社会情勢の話などが、留まることなく続いていた。次女のダンナは今朝はゴルフに出かけると、また長女のダンナは仕事があるからということであったのに、結局は12時近くまで続いてしまった。二人とも大丈夫だったのだろうか、遅刻せずに行けたのだろうか。我が家のお開きはデザートで、昨夜は長女が買ってきたイチゴのタルトを食べた。

 お酒を飲んだ後にケーキを食べるの?と初めは面食らったそうだが、今ではなじんだのか、我慢しているのか、男たちもケーキを食べている。これは私の家の習慣かもしれない。母が亡くなり、父と妹と私の3人でしばらく暮らしていた時があった。父は晩酌をしなかったためか、晩御飯を食べたにもかかわらず、「ちょっと小腹が空いたね」と言って、近所のお菓子屋でお菓子を買ってきてくれたり、私に買いに行かせたりした。お饅頭でも3人分の3個しか買わなかったから、今なら少し恥ずかしいが当時は何も思わなかった。父が食べたかったのか、私たちに食べさせたかったのか、どちらだったのだろう。

 今、我が家にお客が来たりして宴会の時は、最後にはお茶とお菓子になる。これは我が家だけのことかと思ったけれど、大人になって、和食でも洋食でも同じように作法だと知った。イタリアに行った時にレストランで見ていたら、イタリア人はスパゲッティでビールを飲み、お肉でワインを飲み、最後にコーヒーでケーキを食べていた。よくしゃべり、よく飲み、よく食べていた。2時間以上も食事をしている。

 我が家も普通の時でも最低1時間くらい食事をしている。お客が来れば、3時間や4時間かかっている。昨夜も男たちは話しに夢中になっていたけれど、次女と孫娘は席を立って流しで洗い物をしていた。そういえば、カミさんの実家で食事の時、娘たちはおばあちゃんと一緒に洗い物をしていたことを思い出した。おばあちゃんのしつけが生きている。
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今日はメーデー

2009年05月01日 17時20分25秒 | Weblog
 早いもので、今日から5月である。若葉が本当に美しい。一昔前であったなら、どこを見ても新緑の樹木であったからそれほどの感激がなかったけれど、今は緑に出会うことが少ない分だけ感激が大きいように思う。新緑はなぜかウキウキした気分にさせてくれるし、頑張ろうという気にもさせてくれる。樹木に負けていられない、そんな気持ちになるのかもしれない。

 5月1日の今日はメーデーである。私も働いていた時は、メーデーに参加したことがある。ぞろぞろとお祭り気分でデモ行進していて、こんなのでいいのかと思う反面、たくさんの労働者が集まってシュプレヒコールをすることで、高揚した気分にもなった。近頃のメーデーは労働者の権利を主張するというよりも、環境とか雇用とかがテーマになっているそうだ。

 メーデーが最初に組織されたのは1890年だから、もう120年も前のことになる。これよりも4年前だったか6年前だったか忘れてしまったが、よく覚えているのは、アメリカの労働者が8時間労働を要求してゼネストを行なったことから、労働者の全国的なそして全世界的な組織化が進み、第2インターナショナルが生まれ、この第2インターナショナルが1889年に呼びかけ、翌年5月1日にアメリカの労働者と連帯して世界各国で一斉に集会やデモを行なった。以後毎年5月1日に行われてきたのだ。

 工業の盛んなイギリスではなく、そしてまた共産主義者が多くいたフランスやドイツではなく、アメリカがゼネストの発祥地というのも皮肉な気がする。ロシア革命が成功したのは1917年だから、最初のメーデーから40年近くも経ている。当時のロシアは全くの農業国だった。けれど、西洋かぶれの革新的な貴族は農民の解放と協同営農を試みている。トルストイの『アンナ・カレリーナ』を読んでそんなロシア事情がよくわかった。

 日本の最初のメーデーは1920年、ロシア革命後である。しかし、軍国主義化が進み、労働者が自らの権利を主張できるようになったのは戦後になってからだ。今日では組合の組織率は低下しているから、労働者という意識すら薄れてしまっている。赤旗が風にはためき、労働者が『インターナショナル』を歌う、そんな光景はもう見られないのだろうか。

 豚インフルエンザのために入国審査に手間取るかと思われたけれども、次女夫婦は「意外にすんなり済みました」と、今日から日本での休みを満喫するためにタイから帰ってきた。「新緑が美しく気持ちがいい」とご機嫌である。これからにぎやかな2週間になる。
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