友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

裁判員制度が始まった

2009年05月21日 21時23分48秒 | Weblog
 裁判員制度が今日から始まった。始まったというものの、すぐに裁判が始まるわけではない。今日以降に起訴された殺人や傷害致死のような重大事件について、初公判の始まる6週間前までに裁判員候補者に「呼び出し状」が送られてきて、その中から実際に裁判員となる人が決まり、そして裁判が始まるので7月下旬になるようだ。

 それでも、司法試験に合格し一定期間の修習を終えた者によって行なわれてきた裁判が大きく変わることは間違いない。知り合いの弁護士は「アメリカの策略ですよ」と言っていたが、真理のほどはわからない。「難しくてわかりにくい」とか「審理が長い」と批判されてきた裁判がこれで変わるとは私には思われないし、市民感覚が反映され司法への信頼が高まるとも思えない。

 審理が長すぎて、原告や被告が亡くなることがある。それは誠に残念だと思うけれど、審理を早めて間違った結論を出す方がもっと怖い。「やっぱり犯人に違いない」と思い込み、印象や雰囲気だけで無実の人が有罪にされてしまうことが怖い。裁判が公正で市民感覚を反映したものとなると、その判決を覆すことはかなり困難になるのではないだろうか。

 「人の一生を左右することは私には出来ない」というのが市民の本音だと思う。参考意見として聞くだけであるなら、市民でも裁判に参加する人はあるかもしれないが、実際に死刑とか無期懲役とかを自分が判断しなくてはならないとなれば躊躇する方が当たり前だと思う。市民は裁判官のように法的な知識を体系として積み上げていないし、ましてや公正な裁判の訓練も受けていない。

 今日の同じ新聞に、和歌山市の毒物カレー事件で、最高裁は林真須美被告の判決訂正申し立てを棄却する決定を報じていた。これで林被告の死刑が確定したことになる。もし、林被告が本当の犯人でなかったなら、これでもし、死刑が実施されたなら、林被告の無念は計り知れないだろう。決定した裁判官は胸が裂けそうな思いになるだろう。

 また、今日の新聞で愛知県西尾市の市議会が中村市長に対する不信任決議を全会一致で可決したと報じていた。これで中村市長は失職となった。中日新聞に「本会議での質疑や討論もなく、全員が採決でただ起立した」とあり、続いて「新人議員の一人は『あまりにも淡々として傍聴者も疑問に思う』と話した」とあった。私が怖いなと思うのは、中村市長は受託収賄罪で起訴されたわけだが、それは本当なのか仕組まれたものなのか、議会として調査する百条委員会の設置動議を賛成少数で否決していることだ。議会は自らの役目を放棄している。

 頭から決めてしまっていいのか、じっくり時間をかけて調査し審理しなくていいのか。いつ自分が被告の立場に立たされるかもしれないという気持ちがなくてはいけないのではないかと私は思う。人が人を裁くことは難しい。公正な裁判を訓練されてきた裁判官でさえきっと幾通りかの過った判決を下したかもしれない。一般の市民に裁判官と同じことを求めるのは酷だと私は思う。
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あるがままではダメなのか

2009年05月20日 20時31分21秒 | Weblog
 久しぶりに電車に乗った。地下鉄にも乗った。今日は30℃にもなる真夏日と言われていたが、車内の人々は真夏の服装ではなかった。男性は背広姿であったし、定年を過ぎているような人は長袖のシャツであった。さすがに女子大生らにはファッションを先取りしたようなパンツルックが見られたが、それでも半そで姿は少数派であった。少数派といえば、マスクをしている人も本当に少ない。マスクと半そで姿はともに1割に満たない様子だった。

 失礼かと思いながら車内を見渡してみると、夏モードであることは間違いない。それでも真夏のような半そで姿やノースリーブ姿は稀である。素足の人は圧倒的に多いけれど、サンダル履きの人は少なくて、靴の部分だけの纏足のような靴下を穿いている。男性はまだ黒の革靴が9割以上だが、中には女の子と間違えそうなカラフルな色の運動靴の学生がいた。ピンクの靴下にピンクの運動靴のその学生が読んでいたのは、きわめて専門的で難解な物理学の本だった。

 視覚障害の方が乗ってきた時、真っ先に席を立って譲ったのは学生ではなく、その視覚障害の方よりも年齢は上の男性だった。また、2歳くらいの女の子を連れた若いお母さんが乗ってきた時に席を立ったのは学生風の男の子だった。ところが女子大生と年齢的には変わらないそのお母さんは好意を受け取らず席に座らなかったので、彼はそのまま座ることはなく立っていた。こういう時は座り直していいものか確かに判断に迷う。

 2歳の女の子はジッとしていることが出来ず、まだ覚えたばかりの言葉を発しながら、若い母親に絡み付いていた。ぐずったり甘えたりよじ登ったり靴を脱ごうとしたり、どうやらこの子は甘えて育てられたなと判断できるような子であった。母親はこの子を何歳で産んだのだろう。18歳か19歳の若さで生んだのかもしれないなと勝手に想像していた。彼女の前の女子大生はピチピチのジーンズを履いていたが、私には若い母親のダボッとしたジーンズが寂しそうな気さえした。

 地下鉄で車内放送があった。「名古屋市からのお知らせです」と前置きして、「名古屋市では新型インフルエンザ対策として、混雑した場所でのマスクの使用と外出からお帰りになった際には、うがいと手洗いを行なってくださいますようにお願いしております」。そんなこともするのだと思った。けれども、マスクをしている人は本当に数えるほどしかいない。この地域ではまだ大丈夫と思っているのか、それとも私のように騒ぎすぎではないのかとヘソを曲げているのか。

 あるがままに受け入れることが私たちは出来なくなっているように思う。暑くなれば冷房を入れ、寒くなれば暖房し、熱が出そうだと薬を飲み、人の臓器を移植してまで生きようとする。あるがままではダメなのだろうか。夏には夏のファッションがあり、冬には冬の服装があるように。
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学生は元気な方がいいけれど

2009年05月19日 18時38分54秒 | Weblog
 私の住むマンションに芸術大学の留学生が寝泊りしている部屋がある。今回は3人の白人女子大生が入っている。女子学生の時は不特定の人が大勢出入りするし、男子学生の時も多くの女子学生が部屋に入り込んでいた。私の学生時代を思い出してみても、夜遅くまで酒を飲みながら議論したりしていたことがよくあったから、一般市民の生活とはかなり違っていた。それは学生の特権みたいなもので、時間に制約されることのない青春を大いに楽しめばよいと思う。

 ところが、不幸なことにその部屋は上の階にある。外国人であるから生活習慣も価値観も違うだろうと多少のことには目を瞑ってきた。ところが夜中の12時まではうるさくても仕方ないと耐えてられても、午前3時や4時までもドンチャンやられたり、ベランダで花火を打ち上げられたり、飲み過ぎてベランダから階下に向かってゲロゲロやられたり、余りにも非常識なことをされたのでは我慢にも限界がある。

 外国人学生を目の敵にしたことはなく、家に招いて交流にも努めてきた。おそらくコンクリート建築のしっかりした建物だから、多少騒いでもそんなに音がうるさいとは思っていないのだろうが、音の遮断はかなり悪い。何年か前、クリスマスの時だったと思うけれど、たくさんの人が集まってパーティーが開かれていた。ステレオから流される大音響は階下の部屋では地獄の雄たけびである。午前4時になっても鳴り止まず、もう限界だと怒鳴り込んでいった。大学の学長にも会い、マンションを学生のために使うことはやめて欲しいと申し入れたが、その当初は静かになってもまた新しく学生がやってくるから同じことである。

 生活のパターンの違う学生を一般市民が暮らすマンションで生活させる大学の感性が私には理解できない。昔から多くの大学には学生寮が独立してあるが、それは学生たちが自由に議論したりワイワイ騒いだり出来るようにとの大人の配慮だろう。学生たちがおとなしい羊であってはならない。一匹狼であろうと、群れた狼であろうと、世の中に向かって吠える存在であって欲しい。

 1970年代は世界中で学生たちが吠えまくっていた。大学解体や自己否定や造反有理や‥、今から思えば随分と頭でっかちな連中であった。私はすでに社会人となっていたけれど、学生たちのでたらめでむちゃくちゃな主張に共感するところは多かった。人はなぜ生きるのか、ゴーギャンの作品の題名にあるように、わたしたちはどこから来てどこへ行くのか、根本的な部分での詰問であった。そして実際には社会という大きな波の中に飲み込まれ、問うたことさえも忘れた生活をしてきた。

 それでよいと思う。結局は皆自分に出来ることしか出来ない。精一杯に生きるしかない。そうしていくうちに人類はどこかへたどり着くだろう。たとえ、たどり着かないままに終わるとしても、そこが到達点であることは間違いない。
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インフルエンザとことばづかい

2009年05月18日 18時53分01秒 | Weblog
 新型インフルエンザが日本でもいっきに広がっている。発生源は北米という説の根拠はどこから生まれたのだろう。外国からの感染を前提にした水際作戦が行なわれてられてきたけれど、外国に発生源があったわけではないのではと思うのは間違いなのだろうか。

 風邪にしても、インフルエンザにしても、いろんな病気の原因の中には、もちろん特定の地域にしかなかった菌やウイルスが、何かの拍子に拡大した例は過去にもある。けれどもこのウイルスは新型のインフルエンザではなく、実は身体の中に潜んでいたものではなかったのだろうか。

 まあ、そんなことはどちらでもいいのかな。もし仮にこの新型インフルエンザの大流行で多くの人が死ぬようなことになれば、それは改めて人類への警鐘であろう。何を警鐘するものなのか、しっかりと受け止めなくてはならないのではないのだろうか。
 
 新型インフルエンザの流行は何かの前触れではないだろうか。

 今朝、テレビの『特ダネ!』という番組の冒頭で、女の子が男ことばを使っていることを話題にしていた。そればかりか男の子というよりも男性でも中年の方は、女ことばになっているとも言っていた。昨夜は名古屋大学交響楽団のコンサートのチケットをいただいたので出かけた。会場は大学生の交響楽団の演奏会とは思えないほど大勢の人がいた。私の前のご婦人は、大学生の演奏会を聴いて「プロの演奏家になるわけでもないのに、結構レベルが高いし、お金は高くないので私には充分」と話しかけてくれた。今日で5校目の交響楽団の演奏会だとも言う。

 この婦人のような例は特別で、ほとんどの観客は交響楽団のメンバーとなんらかのかかわりがある人たちだろう。圧倒的に多いのは家族とその親族および私たちのような友人、その次に多いのはメンバーの友だちとその友人といったところだ。たまたま、私の前も後も大学生だったけれど、面白いなと思ったのは、会話をリードしているのは前の席のグループも後の席のグループも女の子の方だった。しかも、女の子の方がきわどい質問を男の子に浴びせていた。草食系男子が増えたといわれているけれど、確かに女の子の方が元気がいいんだと実感した。

 彼女たちは大学生ということもあって、言葉使いは男ことばではなかったけれど、確かに高校生や中学生そして小学生までも女の子が男ことばを使っている。「おまえ」「ざけんじゃーねえ」などなど、えっ!そんなことを言うのと思うことは何度もある。私の孫娘も「ヤバイ!」といったよな言葉使いをするので、その度にやり直しをさせるようにしているが、考えてみれば孫娘の母親の世代から女の子が男ことばを使うようになったように思う。おそらく、男ことばの方がその時の気持ちにピッタリ合うのだろう。それはそれで仕方がないことだと私は思っている。

 インフルエンザが流行るのも、女の子に男ことばが流行るのも、同じところに原因があるのかもしれない。何かが大きく変わろうとしている、そんな時期なのではないだろうか。
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バラを題材に4点作る

2009年05月17日 15時43分58秒 | Weblog
 真夏のような日々が続いたかと思うと、寒さを感じる日々が続き、すっかり体調を崩してしまった人も多いようだ。火曜日から始まる中間試験に向けて、「ヤバイよ、本気でやらんとイカン!」と勉強している孫娘は少々鼻声だ。「熱は無い」と言うけれど、身体は重いようだ。それでも学習塾は休んでも水泳教室だけは休まないから、私とは根性が違う。「睡眠が一番大事だよ」と言ってやるけれど、そんな時間はあるわけがないから、全く聞く耳を持たない。

 私も昨日今日と、鼻水が出る。少々寒いなと感じるのだから服を一枚着ればよいものを、初夏なのにと思って薄着をしていた。午後になって、寒いなと思う時は着ればいいと素直に考えることにして、実際は考えて行動しているわけではないけれど、部屋にいながら上着を着込み、靴下も履いた。するとあんなに鼻水が出ていたのに止まった。やはり、クシャミ鼻水は身体からの信号なのだと思った。

 私の中学・高校からの友だちも体調不良のようだ。彼は浅い眠りの中で、12年間以上付き合ってきた女友だちの夢を見た。彼は言う。「あれから、ずっと考えていたんだよ。おれたちの仲を」。彼女は言う。「私たちの仲をもうおしまいにしたいと思ってたら、電話なんかする訳ないでしょ」。彼は言う。「おれたちの仲の終着点が見えないんだ」。彼女は言う。「互いに必要な人間なのは間違いないのだから、付き合えるところまで、何も考えずに一緒に生きていきましょ」。そんな夢であったそうだ。

 私は心理学者ではないから、夢の分析は出来ないけれど、まるで小説のような“出来た話だ”と感心した。おそらく、実際の彼と彼女の会話なのだろうなと思った。いつもそんな風に彼はすねてみせ、彼女は「あなたは私の気持ちが少しもわからないのね」と言い合っているのだろう。恋に年齢は関係ないというけれど、本当のことだと思う。歌人の齋藤茂吉は20歳ほど年下の女性に恋してしまい、「ああ、恋しくて、もう駄目です。(その女性の名前を2度記し)なぜ、こんなにいいひとなのですか」と手紙に書いている。

 彼も高校時代に短歌を作っていた。私もこの歳になって、短歌を作ってみたくなって教室に4月から通っている。先回が2度目の作品の提出日だった。

 1)青空に赤白ピンク咲き誇るバラ園を二人手をつなぎ行く
 2)大輪の甘き香りのバラを指し私のようだと言い切るあなた
 3)バラ園で聴くシャンソンは少しだけ恋の悲しさ秘めて香れり
 4)ガラス壜に一本のバラ活けてあり床に花弁幾枚か散る

 この4作を提出したのだが、皆さんの評価はいかがでしょうか。
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好きなことは続けられる

2009年05月16日 20時05分17秒 | Weblog
 14日にタイへ帰っていった次女夫婦が寝泊りしていた部屋を片付け、元のように家具を置くとやっと以前の生活に戻ったような気持ちになった。そのせいなのかどうかはわからないが、カミさんはお昼からずっと『数独』に取り組んでいる。かれこれ4時間も続けているのだから、たいしたものである。私も時々クイズをやってみることがあるけれど、そんなに長い時間続けることは出来ない。解き明かせないことの方が癪に障ると彼女は言うが、投げ出したくならないことの方が不思議だ。

 私が出来ることは、文章を書いていたり、絵を描いていたり、そういうことなら何時間でも同じことを続けていられる。だから、好きなことは続けられるということだろう。私は小さな時から絵を描くことが好きだった。その絵を描くことよりも夢中になったのは、家の間取り図を描くことだった。家業が材木屋であったから好きということではなく、新しい家に住みたいとの思いが間取り図を描かせたのだった。

 父は長男であったのに、小説家になりたい、小説家になるには医者になり時間とお金を保証したい、などと考えるとんでもなく現実離れした人だったようだ。結局は小学校の先生で一生を終えたけれど、小説家になりたい思いで家を飛び出していたので、戻ることはなかったようだ。跡継ぎである父の弟が戦死し、家業を兄が継いだので、兄の要請で私たちも材木屋に移った。けれども住居とは名ばかりで、倉庫の一部を改装した部屋だった。洗面も風呂も母屋にしかなく、とても不自由な生活だった。

 だからだと思うけれど、材木屋の事務所に置いてあった建築雑誌を見るのが好きで、そしていつしか方眼ノートに間取り図を描くようになっていた。また、見よう見まねで完成予想図や部屋の様子をスケッチブックに描いていた。試験中でも何か思いつけば、そっとノートに書き込み、試験勉強よりも夢中になってしまったこともあった。あのたくさんのノートと何冊かのスケッチブックはどうしたのか、覚えていない。

 材木屋がつぶれて、すでに父も母もいなかったが、兄夫婦は離婚し、妹は姉のところへ、私は大学の先生の家の書生となり、一家は離散した。今は兄の二人の息子とその家族とはお正月には私の家で、お盆は墓参りをした後で一緒に食事会をしている。兄の子どもたち、そういってもすでに50歳近くなるが、子どもの頃は苦労したのだろうと思うものの、だからといってどうしてやることもできず、毎年集まって酒を酌み交わし、できる限り兄や祖父母である父や母のことを話すようにしている。

 私はあんなに間取り図を描くことが好きだったのに、自分の家は建てられなかった。それで、住んでいるマンションの改装は自分で間取りを描いて業者さんにお願いしている。マンションならばこんな風な間取りにすれば快適な暮らしになるのではないか、そんなことをマンションや建売住宅の折り込みチラシを眺めながら考えるのが、今も好きだ。
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老侍の生き様なのか恋なのか

2009年05月15日 00時01分58秒 | Weblog
 5月1日にタイから帰国した次女夫婦が今日、タイへと帰っていった。2週間の長い休日であったけれど、充分に満足できたのだろうか。次女のダンナの実家にも行くことが出来たし、ダンナの親族の皆さんともあるいは二人のそれぞれの友だちとも親交を暖める機会が今回はあったようだけれど、十分に出来たのであろうか。先回は姉の結婚式に合わせての短い帰国だっただけに、今回はゆったりと時間をとったようであったけれど、過ぎてしまえばあっという間の2週間であった。私たちも気を遣ったけれど、次女のダンナも気疲れしただろうなと心配している。

 私からすると、昨夜、長女のダンナが次女夫婦を自分たちの新婚の家庭に招いてバーベキューを設定してくれたことが一番有難かった。姉妹は血でつながっているけれど、その夫となる二人を結びつけてくれたことにとても感謝している。彼自身は「結婚したらやりたいと思っていたことがいっぱいあるんですよ」と言っていたけれど、そうやって妹夫婦を招き入れ、自分たちが兄弟になったことを喜んでくれた。それを素直に受け止めてくれた次女のダンナにも、長女のダンナと同じように、私は男同士の絆のようなものを感じた。

 さて、今晩は私ひとりでの名演の鑑賞になってしまったけれど、やはり人の出会いとか生き様とかにかかわる芝居であった。藤沢周平原作の「三屋清左衛門残日録」を劇団俳優座が演じたものだった。確かテレビでは俳優の仲代達也が演じていたと思う。幕が開くと、年寄りの侍と中年の女性が寄り添い、女性が「私を抱いてくれませんか」というセリフで始まった。結局舞台の最後が同じ場面だったけれど、三屋清左衛門という隠居した侍が出会ったお家騒動を巡る事件を軸に展開する物語である。

 観ている側からすると殿様に仕える者の、つまりは会社員である者の、悲哀を描きたかったのか、それとも年寄りの恋を描きたかったのか、よくわからなかった。三屋清左衛門は小料理屋の女将に惹かれていたかもしれない。また男運の悪かった女将も清左衛門と同じフトンで一夜を過ごしているから、清左衛門を好きになったのかもしれない。けれども侍と町人では結ばれることはないわけで、それが舞台の始めと最後に、「抱いてくれませんか」のセルフによく表れている。

 名演には珍しく色っぽい場面もあったが、生きることの難しさを強調するには今ひとつ物足りなかった。
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バラの庭でシャンソンを聴く

2009年05月13日 15時21分03秒 | Weblog
 昨日は真夏日のような暑さだった。そんな日に、友だちの家の庭で、バラとシャンソンを楽しむ「薔薇の庭オープンガーデン」が開かれた。私が遠慮するとでも思ったのか、彼女はわざわざ電話をかけてきてくれた。「人が入りきれないほどいっぱいになるよ」と話したけれど、なんとなく人の集まりが悪いのではないか、そんな予感があって電話をしてきたならと思い、誕生日会の皆さんに声をかけて出かけていった。

 私の予想通り、すでにたくさんの人たちがバラを眺めていた。シャンソン歌手は本当に歌が好きで、歌っているうちに本格的にシャンソンを習うようになったという女性だった。北海道出身の彼女には気の毒なくらい太陽が燦々とその白い肌に降り注ぎ、「お好み焼になっちゃう」と悲鳴を上げていたが、それでも最後まで日向で歌い続けた。「目がくらくらするわ」と言っていた。

 今年は早くから暑い日が続くかと思えば急に寒くなったりして、気候の変化はバラにも影響したようだ。いつもならば、もっと一斉に咲き誇るところなのに、咲き終わったものもあればまだつぼみのものもある。「バラの庭がバラバラになってしまった」と冗談を飛ばしていたが、今年は確かにそんな印象だった。彼女の庭のバラが満開になってから10日ほど後で、可児の花フェスタのバラが満開になるはずだが、今年は予想がつかない。

 「薔薇の庭オープンガーデン」にやってきた人の大半は女性だった。彼女の知り合いは私の知り合いでもあるから、「お元気そうですね。今は何をされているの?」とか「市長選には出られないんですか?」とか声をかけられる。丁度よい機会だと考え直し、大和塾やNPOおたすけの話をして、「そんなことで楽しんでいます。お世話になりました」と答えて回った。

 庭の主である彼女は、私が地域新聞を発行して何年か経った時、広告の集金が出来なくなってきて手伝いをお願いした人である。ある日、取材が重なり困っていると「私が行きましょうか」と申し出てくれた。以来、集金よりも取材して記事を書くことの方が「面白い」と言ってくれたので、記者となって働いてもらった。花の名所や美術館など、実によく知っていて、やがて地域新聞主催のバスツアーへと発展していった。

 私の家のルーフガーデンで、ビアパーティーを開いた時、友だちの大学の先生に彼女が「ウチの子どもを先生の大学に入学させたい」と盛んに言っていたが、その時まだ中学生だった息子さんは今では嫁をもらい、2歳の娘の父親となっていた。あれから何年経ったのだろう。少なくとも20年近い時間が流れていったのではないだろうか。
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政権交代のための政党ではダメだ

2009年05月12日 19時16分50秒 | Weblog
 民主党の小沢代表がやっと辞任を表明した。13日に麻生首相との党首討論が予定されていたから、その前に辞任するだろうと憶測されていたが、やはりそのとおりになった。小沢さんは西松建設の問題について、「法にのっとりきちんとやっているので何の問題もない」と言い、この時期に検察が動くのは「きわめて政治的だ」と批判していたが、結局最後まで政治献金について何も説明しなかった。

 小沢さんが口にするのは「政権交代」だけだ。なぜ「政権交代」なのか?自民党政権を腐敗していると断定するが、どこがどのように腐敗しているのか、その原因がどこにあり、根絶するためにどうするのか、全く何も語っていない。小泉さんと同じスタイルで、スローガンを述べているだけだ。小泉さんはその物言いがさわやかで情熱的であったから、多くの国民が何かをやってくれると期待してしまった。けれども、小沢さんの語りにはそのような説得力がない。

 麻生首相が失言もせずにじっとしていただけで内閣の支持率は5%も上がった。小沢さんに政治資金規正法の問題が生まれただけで、民主党の支持率はガタンと下がった。小沢さんが「やましいことはなにもない」と百万回繰り返しても、そんな法律上の問題ではないことくらい国民はわかっているから、「民主党も結局、自民党と同じか」と感じている。実際に、民主党は自民党とどれほどの差があるのか。だから小沢さんは、差がないから民主党に政権を渡しても問題ないはずだと考えているのかもしれないが。

 国民はそれほど馬鹿ではないことに気付いて欲しいと思う。小沢さんは官憲による圧力に屈しないために「代表の座から降りない」と言い続けてきた。検察の動きは「きわめて政治的だ」と国民の多くも感じている。次の衆議院選挙で政権交代が生まれるかもしれない、そのぎりぎりのところに来ているのだから当然だろう。けれども、じゃあ国民はどういう政治を望んでいるのか、確かに自民党政権に終止符を打つべきだと感じているとしても、自民党政権に代わる政権はどうあるべきだと考えているのだろう。

 残念ながら小沢民主の政権では、自民党政権と何も変わるところがないだろう。小沢さんは田中角栄さんの下で、どうすることで権力の座を勝ち取るかを学んだが、どのようにすれば理想的な国家に近づけることが出来るかを見落としてきた。政治の腐敗がどこに生まれるのかを、官僚政治の打破に置き換え目的にしてしまった。小沢さんが代表の座を降りることで、民主党は支持率の低下を抑えたいのだが決してそうはいかないだろう。民主党がもっと国民と討論する機会を増やし、国民の気持ちを受け止める体質に自ら変えていくことが必要だと思う。

 政権交代のための政党ではなく、この政党だから政権交代が必要なのだとならなくてはダメだ。
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SEXしない男女

2009年05月11日 20時09分15秒 | Weblog
 連休に日光へ出かけた70代のご夫婦がいる。「ちょっと奮発して」、名前の通ったホテルに連泊したそうだ。連泊したおかげで、何組かの宿泊客と親しくなった。「その中に若いカップルがいたんですよ。新婚なの?と聞いてみたら、まだ学生だと言うんですよ。驚きましたね。それで見ていると、朝はバイキングだったんですが、料理を取りに行くのは男の方なんです。何が欲しいかと聞いては取りに行くんですよ」と、ご主人は不思議な光景だと話してくれた。

 そういえば私も、確かに若い人たちの中には男の方が席を立って料理を運んでくる姿を見たことがある。私の母の口癖は「ジェントルマンになれ」だった。「女が荷物を持っていたなら、男のあなたが持ちなさい。席に座るのも女が先で男は後」と言っていた。ドアを開けるのは男の役割というように、西洋風のマナーを子どもに教えるちょっと変わった明治生まれだった。けれども男子厨房に入らずで、父はただ座っているだけで、家事の一切は母親が担っていた。両親は共働きであったから、共働きが当たり前のことのように思っていた。私は家事を引き受けることに抵抗はないけれど、それでもさすがにホテルで料理を運ぶことはない。

 結婚前だから、男が女にサービスしているのだろうと思ったが、ご主人に言わせると決してそうではなく、やはり男の方が生真面目に動いていると言う。「そればかりじゃないんですよ」と続ける。「結婚前に二人で旅行に来ていていいのかと聞いてみたんですよ。すると、何にもしないと言うんです。そんなことはありえない。若い男と女が二人で部屋にいて、何もないなんて考えられますか。私なんか、やりたいばっかりだった」。「まあそうですよね。それが普通でしょう」と答えると、「本当に何もしないのかと女の子の方にも聞いてみたんです。そうしたら、やっぱり何もしないというんです。今の若い子は欲情しないんですかね」と私に聞く。

 本人ではないからなんとも言えないが、少なくとも私はSEXは素敵なものだと思っているので、何もしないと言う人の気持ちがわからない。結婚までは純潔を守るという人はいるし、私も結婚するまでは手を握ったことがなかった。結婚してSEXを知ってからは最高の快楽だと思っている。けれども世の中ではSEXしない男女が増えているそうだ。夫婦であってもそういう傾向にあるという。相手が好きでいとおしく思うのであれば、自然に相手の身体に触りたいものではないのだろうか。

 もっとも、自然にと書いたけれど実は人間のSEXは動物とはかなり違うようだ。身体でSEXすると同時に脳でもSEXしていると言ってよいだろう。つまり幻想で成り立つというわけだ。脳で高められていくから快楽になる。脳が快楽を認識するためには学習が決め手となる。SEXを汚れたものとか神に反するものと考えるなら、快楽とはならないだろう。若い人たちが何もしないのは、もっと違う快楽が存在するからかもしれないし、人類が滅亡の道を歩み始めたからかもしれない。

 どっちにしても、個々の人間の問題であって、他人がどうこう言うようなことではないだろう。どのように生きるか、何が大切なのか、自分で決める他ない。
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