友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カルガモ親子の行列

2009年05月27日 21時09分28秒 | Weblog
 夕方だった。両脇にまだ水田が広がっているが直線の県道で、交通量も多いし事故も多い。車はかなりのスピードで走っている。その県道を走っていると前方に見られないが見えた。それはこちらに向かって来る。小さくなったり大きくなったりしている。何だろうとスピードを落とす。カルガモ親子が歩いているのだ。ビックリして車を停める。私の車の後は大型のトラックだが、車間距離は充分にある。トラックの運転手は前方の車の異変に気がついたのか、ゆっくりとしか進んでこない。

 カルガモ親子はどっちへ行くのか。左側へ進んでくれれば、街路樹の垣根へ入り込むことが出来る。右側は車の通行量が多くて危険だ。どうしよう。降りて誘導するべきか。そう思っていたら、一瞬、交通が途絶えた右側へ渡り始めた。親を先頭にかなり小走りだ。それでも車は走ってくる。運転手は気がつくだろうか。1番目だけでなく、2番目の車も気がつかなければ、玉突き事故になってしまう。一番目の車が急停車した。続いて2番目の車も、3番目の車も次々と停車した。その停車した一瞬の間に、カルガモ親子は垣根の中に飛び込んだ。

 私はそれを確認して車を走らせたけれど、後のトラックの運転手もきっとあの高い運転席からこの様子を見ていたのだろう。運転手の顔までは確認できなかったけれど、トラックは相変わらずゆっくりしたスピードで走り去っていった。私の反対側を走っていて、カルガモ親子に出会った運転手が優しい人でよかった。いや、次の車の運転手が充分な車間距離を取っていたから玉突き事故が起きなかったのだろう。人のちょっとした優しさがカルガモ親子の命を救ってくれた。

 人はこんな風にいつも優しくなれないのだろうか。自己主張の強い北朝鮮は相変わらず駄々っ子のようだ。イランだって古代ササン朝ペルシャの誇りにかけて核兵器を持とうとしている。みんながみんな同じ大量破壊兵器を持てば対等に話が出来ると信じている。50万の兵隊を持つなら、こちらも同じ50万の兵隊を持ち、相手が核兵器を持つならこちらも核兵器を持つことで、対等となると信じている。おそらく軍事力学では同じ兵力なら対等なのであろう。

 兵器は殺し合うためにある。どんなに優れた兵器を持とうと、必ず追いつき追い越されるであろう。いつも歴史はそうだった。だから兵器よりも「優しい気持ち」の方がはるかに強い。人はなかなか自分自身が信じられないのと同じで、心よりも確かな、槍であったり刀であったり銃であったり、確実に相手を殺してくれる兵器を信じてきた。しかし、核兵器という人類そのものを根絶できる兵器を創り出してみて、兵器は結局、自分で自分を殺すものであることを知った。

 どんなにいやなやつであろうと、生きていかなくてはならない。生きていくための方策とその心構えこそが大事になってくる。
コメント
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