友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日米では違う野球の楽しみ方

2009年05月04日 16時17分48秒 | Weblog
 午前9時からNHK衛星第1でアメリカ大リーグ戦のアスレチック対マリナーズの試合を見ていた。アスレチックスにリードされ、城島やイチローの活躍で同点に追いついたものの、逆転には至らなくて5時間を越える長い試合となった。余りにも長くて見ている方が集中できない。私は野球にそれほど関心がある方ではないからか、「なんだかつまらない試合だなー」と思いながら見ていた。正確に言えば、小説を読みながら時々テレビを見ていた。

 プロ野球もそうだけれど、なぜか迫力を感じない。高校野球はプロ野球と比べれば確かに体格の上では子どもの野球だけれど、見ていて面白いし、ハラハラドキドキしてしまう。アメリカの野球は大味なのか、そのハラハラドキドキ感がない。野球は、ピッチャーとバッターの真剣勝負でその駆け引きが面白いから、日本人には受けるスポーツだと思う。これに日本人は大技小技を加え、アメリカで作られた野球を日本人好みに仕上げた。そういう野球を見ているためか、大リーグ野球は物足りない。

 野球はピッチャーとバッターの真剣勝負であるが、そこに日本人はチームプレーを織り込んだ。それがいっそうチームに対する愛着や熱狂的ファンを生んだのだと思う。試合の様子を放映する中で、時々は観客席が映し出されるが、日本人のようにまとまって好みのチームを応援する姿は見られなかった。チームと同じユニホームを着ているけれど、日本人のようにみんなでメガホンを打ち鳴らし、相手チームに罵声を浴びせる、そういう行為は見られない。

 不思議だなと思うのは、試合の応援に来ているとは思えないカップルがいることだ。まるで映画館にでも来ているように、抱擁しキスをしている。プレイをしている選手たちも試合に命を懸けているというよりも、野球の好きな連中が楽しんでやっている、日本ならば草野球の雰囲気だ。そうか、アメリカ人は野球をみんなで楽しんでいるのか、そう思った。何が何でもこの試合に勝たなければいけない、もちろんそうなのだろうけれど、その前にいいプレイをして、あるいはそれを見て、楽しもうよという気持ちが強いのかもしれない。

 私は小学校の時、少々運動神経がよかったからか、子ども会のソフトボールチームにいた。自分の意思で入ったわけではなかったから、毎週日曜日に行なわれる練習がイヤで仕方なかった。イヤイヤやっているからそこそこの選手でしかなかったのに、監督をしていた青年に可愛がられて、特別にノックを受けたり試合に出されたりで、ますますイヤになってしまった。みんなで隊列を組んでグランドを走ることは気持ち悪かった。小学校を卒業し、子ども会から解放されて、ホッとした。

 何かのためにひたすら練習することが苦手なのは、根っからの怠け者なんだと人生の終末を迎えて気が付いた。
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