友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

久しぶりに3家族で食事

2009年05月02日 18時48分11秒 | Weblog
 昨夜は「すき焼きが食べたい」という次女夫婦の要望に応え、カミさんはかなりよい肉を買ってきた。次女夫婦はお酒を飲むからつまみになるものを6品も用意していた。豪華なものではなく、タイでは食べられないようなものばかりである。次女のダンナの実家から送られてきた採りたてのタケノコでタケノコご飯を炊いた。そのタケノコとワカメとの若竹煮、友人が潮干狩りに行って来たとおすそ分けしてくださったアサリをつかった酒蒸、ホタルイカの醤油煮、カズノコ、サヤインゲンを茹でてすりゴマをかけたもの、枝豆、「美味しい漬物が食べたい」と言うので買ってきたナスとダイコン、そんなどこにでもありそうなものばかりであった。

 次女夫婦と長女と孫娘と私たちの6人に、仕事を終えて急いで駆けつけてくれた長女のダンナも加わり、久しぶりに大家族となった。ビールは瞬く間に空になっていく。仕事の話や社会情勢の話などが、留まることなく続いていた。次女のダンナは今朝はゴルフに出かけると、また長女のダンナは仕事があるからということであったのに、結局は12時近くまで続いてしまった。二人とも大丈夫だったのだろうか、遅刻せずに行けたのだろうか。我が家のお開きはデザートで、昨夜は長女が買ってきたイチゴのタルトを食べた。

 お酒を飲んだ後にケーキを食べるの?と初めは面食らったそうだが、今ではなじんだのか、我慢しているのか、男たちもケーキを食べている。これは私の家の習慣かもしれない。母が亡くなり、父と妹と私の3人でしばらく暮らしていた時があった。父は晩酌をしなかったためか、晩御飯を食べたにもかかわらず、「ちょっと小腹が空いたね」と言って、近所のお菓子屋でお菓子を買ってきてくれたり、私に買いに行かせたりした。お饅頭でも3人分の3個しか買わなかったから、今なら少し恥ずかしいが当時は何も思わなかった。父が食べたかったのか、私たちに食べさせたかったのか、どちらだったのだろう。

 今、我が家にお客が来たりして宴会の時は、最後にはお茶とお菓子になる。これは我が家だけのことかと思ったけれど、大人になって、和食でも洋食でも同じように作法だと知った。イタリアに行った時にレストランで見ていたら、イタリア人はスパゲッティでビールを飲み、お肉でワインを飲み、最後にコーヒーでケーキを食べていた。よくしゃべり、よく飲み、よく食べていた。2時間以上も食事をしている。

 我が家も普通の時でも最低1時間くらい食事をしている。お客が来れば、3時間や4時間かかっている。昨夜も男たちは話しに夢中になっていたけれど、次女と孫娘は席を立って流しで洗い物をしていた。そういえば、カミさんの実家で食事の時、娘たちはおばあちゃんと一緒に洗い物をしていたことを思い出した。おばあちゃんのしつけが生きている。
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