友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

老侍の生き様なのか恋なのか

2009年05月15日 00時01分58秒 | Weblog
 5月1日にタイから帰国した次女夫婦が今日、タイへと帰っていった。2週間の長い休日であったけれど、充分に満足できたのだろうか。次女のダンナの実家にも行くことが出来たし、ダンナの親族の皆さんともあるいは二人のそれぞれの友だちとも親交を暖める機会が今回はあったようだけれど、十分に出来たのであろうか。先回は姉の結婚式に合わせての短い帰国だっただけに、今回はゆったりと時間をとったようであったけれど、過ぎてしまえばあっという間の2週間であった。私たちも気を遣ったけれど、次女のダンナも気疲れしただろうなと心配している。

 私からすると、昨夜、長女のダンナが次女夫婦を自分たちの新婚の家庭に招いてバーベキューを設定してくれたことが一番有難かった。姉妹は血でつながっているけれど、その夫となる二人を結びつけてくれたことにとても感謝している。彼自身は「結婚したらやりたいと思っていたことがいっぱいあるんですよ」と言っていたけれど、そうやって妹夫婦を招き入れ、自分たちが兄弟になったことを喜んでくれた。それを素直に受け止めてくれた次女のダンナにも、長女のダンナと同じように、私は男同士の絆のようなものを感じた。

 さて、今晩は私ひとりでの名演の鑑賞になってしまったけれど、やはり人の出会いとか生き様とかにかかわる芝居であった。藤沢周平原作の「三屋清左衛門残日録」を劇団俳優座が演じたものだった。確かテレビでは俳優の仲代達也が演じていたと思う。幕が開くと、年寄りの侍と中年の女性が寄り添い、女性が「私を抱いてくれませんか」というセリフで始まった。結局舞台の最後が同じ場面だったけれど、三屋清左衛門という隠居した侍が出会ったお家騒動を巡る事件を軸に展開する物語である。

 観ている側からすると殿様に仕える者の、つまりは会社員である者の、悲哀を描きたかったのか、それとも年寄りの恋を描きたかったのか、よくわからなかった。三屋清左衛門は小料理屋の女将に惹かれていたかもしれない。また男運の悪かった女将も清左衛門と同じフトンで一夜を過ごしているから、清左衛門を好きになったのかもしれない。けれども侍と町人では結ばれることはないわけで、それが舞台の始めと最後に、「抱いてくれませんか」のセルフによく表れている。

 名演には珍しく色っぽい場面もあったが、生きることの難しさを強調するには今ひとつ物足りなかった。
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