友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ごもっともであるけれど

2009年05月26日 22時13分17秒 | Weblog
 NPOおたすけの会議の後、県税務所に提出する書類を出すための準備をしていると、知人が家に訪ねてきた。住民検診で行なわれる脳波の検査がなぜ65歳に限られているのか、(ちなみに彼は65歳以上である)「役所に問い合わせたけれど、全く答えられない」。そこで彼は責任者を電話の窓口に出すようにと言った。ところがその責任者も、予算が限られているからとか、国の厚生省の方針でとか、全然質問に答えられない。こんな連中に任せておいていいのかと言うのである。

 ごもっともな意見ではあるけれど、じゃあどうするのか。何度も役所に電話するなり出かけていって文句を言えば、頭のいい責任者ならすぐに謝りに来るだろう。その気がなくてもとりあえず謝っておけばすむことなら頭を下げることなど何とも思っていないだろう。彼の意見を取り入れて年齢幅を来年は広げることも可能だろう。役人にとっては「間違いがない」ことが大事なことであって、65歳で線引きをしたはっきりとした根拠などはないし、そんなことはどうでもいいことなのだ。

 役人が前例を踏襲するのは「間違いがない」ためである。自己保身に走るのは役所に勤めた時からずうーとそう言われ続けてきたからである。役人は住民の代わりに仕事をしているのだけれど、役人自身にはそうした気持ちは薄いだろう。もっと前なら、自分たちが住民を管理し導いていると思っている連中が多かった。確かに明治の頃なら、役人は一般住民よりも多くの知識を有し、国の将来を真剣に考えていたであろうが、長くその制度が続くと次第に人間は気迫を失うようだ。

 結局は格別な落ち度が役所の側にあるわけではないから、これ以上に問題にすることは出来ない。私も彼の相談を受けて、具体的な解決策は思い浮かばない。「やっぱり、オンブズマンを立ち上げないと役所を変えることは出来ませんか」と彼は言う。それは大事なことではないですかと答える。「一緒にオンブズマンを立ち上げませんか」と彼は言う。今の私は事務方で手伝えと言われれば手伝いますが、表に立ってやる気持ちはありませんと答える。彼は、面白くないという表情をチラッと見せたが、さすがに大人だから、「オンブズマンしか手はありませんね」と微笑んで部屋を後にした。

 私は再び県税務所に提出する書類を作ろうとパソコンに向かうが、エクセルをワードで作っているせいなのか、全くうまくいかない。半日も苦戦しているのに埒が明かないので、もういいやこの程度にしておこうと決めた。行間とか文字が揃わないとか、完全ではないけれど、間違っているわけではないのでこれでいいだろうというわけである。

 孫娘は今朝、学校へ出かけて行ったけれど、やはり熱が出て帰ってきた。ゆっくり休むのが一番なのにそうできない。カミさんはイライラしているがどうしようもないことはどうしようもない。なるようになるしかないと私が言うので余計にイライラするようだ。
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