友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

グリム童話の『寿命』

2010年10月15日 21時57分49秒 | Weblog
 「グリム童話に、『寿命』という話があるが知っているか」と聞かれた。そこで、パソコンで調べてみた。こんな話だった。

 世界を造った神様が次に生き物たちの寿命を決めようとしたところへ、ロバがやって来た。「30年はどうかね?」と神様が言うと、ロバは「朝から晩まで重い荷物を運ばされ、もっと働けと鞭打たれます。どうか、寿命を減らしてください」と言う。神様は気の毒に思い、ロバの寿命を18年とした。次にイヌが来たので神様は「おまえは30年でいいだろう」と言うのだが、イヌは「30年も走れないし、噛み付く歯も抜けてしまいます」と答える。神様は納得し、イヌに12年の寿命を与えた。その次にやって来たのはサルで、神様は「おまえはいつも楽しそうにしているし、30年でいいだろう」と言うと、サルは「私は人を笑わせるためにおかしなことばかりしていなくてはなりません。こんな生活を30年も続けることは我慢できません」と言う。神様は同情し、寿命を10年にした。

 そして最後に人間がやって来た。神様は「30年でいいね」と聞く。すると人間は「そんな短くては家を建てたばかりだ」と答える。そこで神様は、「ロバの寿命とイヌの寿命をたしてやろう」と言うけれど、「それではまだ足りない」と人間は言うので、「サルの分もたしてやろう。これ以上はやれないよ」と神様は言う。それで人間の寿命の70年となったのである。それでめでたし、めでたしなのかというとそうではないところがグリム童話の意味深さだ。つまり人間は、30年間は人間として生き、次の18年間はロバのように働き、その次の12年で足腰が弱まり、最後の10年はいつも楽しそうにしているように見えるけれど、実は笑われるつもりではないというものなのだ。

 人間は20世紀半ばから急激に寿命を延ばしてきた。ペットのイヌも寿命を延ばしている。けれど、寿命が延びていいことがあるのだろうか。今、人は60歳で定年退職するけれど、それは定年後は好きなように生きられるはずであったが、実際は社会とのかかわりを失い魂が抜けたような日々を送る人が多い。男ばかりではない。女もダンナのあるいは家庭のためにひたすら自分を押さえて生きてきたけれど、新しい人生が始まることを期待したのに何も変わらない。そればかりか、ダンナは濡れ落ち葉のようにまつわりついてくる。こんな人生でいいのだろうかと考える男と女がいるのも当然である。

 聖路加病院の日野原重明先生は99歳だが、人生にこれで終わりということはないと話している。野球だって9回のウラが終わらなければ、試合が終了したことにはならない。9回のウラに何が起きるか分からないからだ。確かに野球は筋書きのないドラマで、9回のウラのツゥーアウトから、えっーこんなことが起きるのというような大逆転劇があった。そんなことを期待しながら人生を送ることはないけれど、少なくとも今、充分に生きていることが自分の幸せであり、人を幸せにしていることは確かである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中日文化センターの特別講座... | トップ | 平等か不平等か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事