白内障の手術を受けて、今日で1週間になる。午前中に受診するが、今日は遅めに出かけた。私たち高齢の男性が勝手に憧れているマドンナが先日、連れて行ってくれた看板の無い喫茶店で、ランチを食べたかったからだ。
相変わらず女性客が多いが、座る席に余裕はあった。この喫茶店はまるで図書館のような店で、書棚があって、たくさんの書籍が並べてある。「欧州の庭」とか「孫子の兵法」とか、全く雑多である。私の書籍を寄贈したいくらいだ。
そんな中に『リュック・ゴダール』が、目に飛び込んできた。フランスの映画監督で、ヌーベルバーグの旗手と言われた人だ。それまでは、アメリカで製作された娯楽映画が全盛だった。勧善懲悪の西部劇が主流で、どんな時も正義が勝つ映画だ。
ゴダールの映画にどんなものがあったか思い出そうとしたが、『勝手にしやがれ』くらいしか題名が出てこないし、ストーリーも思い出せない。ただ、アメリカ映画とは全く違うという印象が強くあった。
アメリカ映画には無かったエロテックな表現があったことから、『軽蔑』は観た気がした。主演女優のブリッジド・バルドーに強く憧れた。高校生の時だったと思う。人間の内部に迫るような映画に強く刺激され、映画監督になろうと思った。
ヌーベルバーグの手法は、イタリアやスェーデンなどにも波及し、映画は実写記録では無いのに、リアリズムが追及されていった。日本でも大島渚氏や今村昌平氏が誕生した。正に私の青春時代だった。
以前は新聞に、上映映画と映画館の広告欄があったが、今は無くなった。映画を映画館で観る人も少ないのかも知れない。映画好きな私としては淋しい限りだ。新聞も読まない、テレビも見ない、ましてや映画や演劇を観に劇場にまで行かない時代になった。
みんなスマホで済ませてしまう。電車に乗れば、99%の人がスマホを操作している。新聞を広げている人はいないし、本を読んでいる人も居ない。たまに居ると思ったら、高齢者くらいである。
時代が違うのだから仕方ない。流れた時間を取り返すことは出来ない。もう一度、ゴダールの映画を観直したいが、観直したところで何がどうなるのか。蒸し暑い日はまだ序の口、8月9月はどうなるのだろう。
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