友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

書棚の奥にあった小さな冊子

2018年11月06日 17時22分55秒 | Weblog

  書棚を整理していたら、B5の半分ほどの小さな冊子があった。しかも30ページ余りしかない。タイトルは『新聞記者の内観体験記』とあった。書き出しは、「もしも、太宰治が『内観』を体験していたら、(略)ヒトラーがしていたら人類の歴史は違ったものになっていただろう」で始まり、「1週間の経験はそれほど強烈なものだった」と、体験記を書いた理由を述べている。

 何時、誰にもらったものなのか覚えがない。長い間、他の書籍に押しつぶされていたくらいだから、私の興味を引くようなものではなかった。余りにも小さな冊子なので、パラパラとめくってみた。「こうして自分は変わった」という話は、本人にとっては大事な経験だろうが、私は「それはそれは」と受け流すばかりで、関心が湧いて来ない。

 中学生の時、私がキリスト教会に通っているのを知った友人が、「集まりがあるから」と誘ってくれた。8畳ほどの部屋に青年たちが車座になって、ひとり1人、いかにして自分がまともな人間に変わることができたかと、みんなの前で大きな声で告白していく。当時、隆盛だった新興宗教の青年部の集まりだった。これは私の求めているものではないと痛感し、友人に「参加しない」と告げた。

 この冊子の新聞記者は小3の長男の「夜驚症」に悩んでいた。自分が「こちら報道部」で内観療法を記事で取り上げ反響があったので、「もっと見届けておくひつようがある、という一種の責任感めいた気持ちと職業的好奇心もあって」出かけた。そして1週間後、「天上から日の光が辺り一面にまんべんなく降り注ぎ、私自身を包んでいる感覚。昨日まで見たこともなかった、まっさらな世界の真ん中に、この自分がいる」と感じた。そして、「息子の怖がりが治った」「家族全員が内観を経験した」。

 人は誰も、心に何かを抱え込んでいる。けれど気付いて、何とかしようと思う人は少ないし、むしろ日々の生活に追われて、心の空洞を埋めることより、暮らしていくことが最優先になっている。アメリカの中間選挙が始まるが、アメリカを救いの国と思ってやって来る人々に対して、軍隊を使い銃器で追いかえそうとするトランプ大統領の政策を支持する人々が半数いる。我が身を「内観」するなら、自分だけ良ければとはならないだろう。

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