友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

矛盾はいつも付いて回る

2018年11月01日 17時19分19秒 | Weblog

  「今年もあと2カ月になりました」とアナウンサーが言う。新年を迎えるまで、「あと2カ月ある」のか、「もう2カ月しかない」のか、人によって思いは様々だろうが、落語ではないが歳を取ると、時間の流れはとても速い。別にやり残したことがあるとか、やらなければいけないことがある訳ではないのに、年末が近いというだけで何故か焦ってしまう。

 良い天気が続いているのに、ルーフバルコニーでの鉢の土の入れ替え作業は遅々として進まない。午後になると風が強くなり、土が舞って作業が出来ないからだ。それでも今年は、「ボチボチやれるところまでやればいい」と気楽に考えている。そう書きながら11月末になると、「どうしよう、どうしよう」と焦るだろうなとも思っている。

 矛盾はいつも付いて回る。中学1年の同じクラスに、よく「キャーキャー」言う女の子がいた。目がパチッとしていて色白で明るい子だった。1年間一緒に授業を受けるうちにその子が好きになった。それから高校3年の冬、彼女から「あなたが好きなのは私ではなくて、あなたが作り上げた私なのよ。私よりも良い人を見つけてね」と別れを宣告されるまで、私はズーと彼女が好きだった。

 ふたりでどこかへ行くとか、ふたりだけで話をするとか、手紙をやり取りするとか、何もしていないのにただ好きだった。伊藤佐千夫の『野菊の墓』やジイドの『狭き門』のような「恋」に憧れていたというか、好きなだけで相手に通じていると思い込んでいた。ところが、高校生になって年上の色っぽい女性を見ると、彼女には抱いたことのない欲望が湧き上がるようになった。

 「十戒」にある「姦淫」である。彼女のことが好きなのに、別の女性に欲望を抱いている「矛盾」に悩んだ。「人は罪深い存在だからこそ、神に救いを求めなさい」とキリスト教会では説くが、なんともやりきれなかった。彼女の宣告は矛盾した私への「罰」だと思った。あれから60年近くも時は経つのに、矛盾は今も付いて回る。

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