友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

賭け事

2015年10月22日 17時35分41秒 | Weblog

 まだクライマックスシリーズが始まる前だった。物知りの先輩が「原は今季限りで監督を辞める」と言う。「クライマックスで勝ち、日本シリーズで優勝すれば残るんじゃーないの?」と冗談を言うが、「それはないね。クライマックスに勝てない」と言い切る。結果はその通りになった。勝てなかったが、原監督は笑顔でグランドを去った。12年の監督業は長すぎた。

 そして、今度は野球賭博に巨人の選手がかかわっていた。野球賭博がどんなものか私は知らないが、試合の勝敗に金銭を賭けたらしい。そんなことなら仲間内でよく見る光景だ。麻雀やゴルフでも、お金を賭けたりして皆さん楽しんでいる。家庭麻雀でお金を賭け、子どもさんが親に負けて泣いていたことを思い出す。職場で高校野球を賭け事にしていたところもあった。

 私は賭け事に興味がない。勝ったとか負けたとか、儲かったとか損したとか、そんなことに一喜一憂することが馬鹿らしく見えてしまう。これは多分、トラウマで、我が家が兄貴の賭け事のために潰れたと思い込んでいるためだろう。実際はどうだったのか知らない。兄はよく競艇に出かけていたことは事実だが、そんなことくらいで家業が潰れるとは思えない。あのころ、流行り始めていた建売住宅に手を出し、資金繰りに困ったのが原因だろうと見ている。

 いずれにしても賭け事はしないと決めているので、パチンコも麻雀もトランプも下手くそだ。賭け事の感性が鈍いのだろう。高校の時に、中京競馬場の近くに住んでいた同級生に誘われて、競馬場の排水溝から中に入ったことがあった。緑の芝生がきれいだった。娘が担任の先生の影響で競馬中継をテレビで見ていたので、私も付き合って見たことがある。馬の必死な様が悲しいくらい美しく涙が流れた。

 競馬の発祥地イギリスは賭博の国でもある。賭博に一喜一憂するのを非難する気はないが、賭博に関与したという巨人の選手はまだ若い。ドラフト1位指名の選手もいる。なのに、1軍での登板経験はないという。希望に燃えて入団したのに、活躍の場がなければ腐るだろう。それは選手が甘いという意見が多いだろうが、希望が見出せなければ横道がよく見えてしまうものだ。

コメント
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