友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ラグビーの思い出

2015年10月14日 17時02分57秒 | Weblog

 ラグビーW杯イングランド大会で日本チームは、1次リーグを3勝しながら準々決勝には進めなかった。しかし、にわかにラグビーファンが増えた。小学生が五郎丸選手のポーズを真似て、「カンチョー!」とやっている。おいおい、それはカンチョーじゃーないぞと言いたいところだが、それだけ多くの人に知れ渡ったということだろう。

 同じ高校へ通った中学からの友だちが「体育の時間にラグビーをやった」とブログに書いていたけれど、先生が違ったのか私は覚えがない。高校はサッカーの伝統校で、明けても暮れてもサッカーばかりだったような気がする。サッカーは意外に肉弾戦で、眼鏡を壊して、お金がない父に申し訳ないことをした。映画を観ると、パラマウントニュースが流れ、スポーツでは野球やアメリカンフットボールやバスケットボールの試合が映された。子どもたちは野球が好きだったが、私はアメフトかバスケをやってみたいと思った。

 高校の教師になって、ラグビーをやるチャンスが与えられた。ラグビーの選手だった体育の先生がいて、高3の授業でラグビーを教えていた。新任の男が6人もいたので、それに若手の体育の先生や体力が自慢の先生らが加わって教員チームが結成され、高3のクラスと戦うことになった。ラグビーは眼鏡をかけては出来ないので、眼鏡なしでやることになるが、近眼の私は遠くが全く見えない。与えられたポジションは2番だった。

 最前列が3人その次が2人その次が3人でスクラムを組んで我武者羅に前に進む。1番3番4番5番は大きく屈強な身体が揃い、10番は司令塔で11番から15番の選手がボールをもらって突進し、トライを決める花形である。目の悪い私はボールの存在が分からないからどこへ走っていいのかも分からない。笛が鳴って「スクラム」と言われると、そこへ走って行ってスクラムを組む。ボールが入ると力任せに押し合い、素早く足でボールを後ろへ送るのが2番の役目だ。

 ある時、体制がキチンとならないうちに押し合いとなり、私の身体は後ろから押されて上へと浮き上がった。「ボッキ」と音がして背中が痛む。しばらく息が出来ないほどだった。その夜、近くの整形外科に行ったことを覚えている。近眼でチビの私には無理なスポーツだのか。

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