友だちに誘われて、松坂屋美術館で行なわれている『春の院展』を観てきた。日本画の秀作がずらりと並ぶのだから見ごたえがある。入場者も多くてビックリした。日展と同様にそれだけたくさんの愛好家がいるということなのだろう。作品を観ているとそのテーマや技法から、若い人が描いたものだろうと思われるものが多くあった。そうか、それだけ私は歳を取ってしまった。
7階のロビーから下の久屋大通りを見ると、クスノキが若々しい葉をいっぱいに広げていた。もう新緑の季節である。大通りを行き交う車も人の群れも、雨の中にもかかわらず、なんとなく春めいて見えるのは気のせいだろうか。若い人たちはピチピチと動き、お年寄りの顔もなにやら元気そうだ。新緑の季節は人々を活き活きとさせている。
近頃の世界各国の指導者を眺めても、私よりもはるかに若い人が多い。いつの間にか追い越されてしまった。今日、カミさんはゴルフの大会で出かけたので、車はあったのに遠出をすることもなく、溜まっていた片づけ仕事で一日過ごすことになった。こういう日がないと、後回しにしていた雑務を処理する機会がつくれないから、結果的にはありがたい一日だった。
今年の8月21日(土)に愛知県産業労働センター(昔の中小企業センター)で、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークが行なう『地方議員年金の廃止アクション!』の会場費の振込みのために郵便局へ出かけた。郵便局からの振込みは始めてであったので、いつもそうなのだが、久しぶりだとすっかり以前のことを忘れている。職員から書き込みの仕方を教えられたのに、以前はこうだったと反発して言ってしまった。家に帰って以前の用紙を見ると、指摘されたとおりであった。いや申し訳ない。
なかなか覚えきれないのか、思い込みが激しいのか、はたまた注意力が足りず学習能力が欠如しているのか、恥ずかしくなった。それでも職員の人は、初めは少しつっけんどんであったけれど、次第に同情してくれたのか親切に対応してくれた。わけの分からないことを言う年寄りではなく、本当に困っているんですということが職員に伝わったのかもしれない。
『地方議員年金の廃止アクション!』に、ぜひ河村名古屋市長に出席してもらい、名古屋から議員年金廃止を全国に発信する運動を展開しようと提案者は考えていた。そこで昨夜、一緒に河村事務所にお邪魔した。話している時にふと、若い人は血気盛んだなと感じた。一生懸命さはよくわかるけれど、人を説得するためには相手の気持ちを考えなくてはならない。こちらはお願いする方だから、下手にあるのだけれど、へりくだっているもののこの提案は価値があることを認めさせなくてはならない。
年齢を重ねるとその辺りの話し合いが、駆け引きではなくスムーズに出来るようになる。それは良いことなのかそれとも老獪になったということなのか。正直でありたいと思うけれど、馬鹿正直でない方がよい場合がある。難しいけれど、それが生きるということなのかと思う。
7階のロビーから下の久屋大通りを見ると、クスノキが若々しい葉をいっぱいに広げていた。もう新緑の季節である。大通りを行き交う車も人の群れも、雨の中にもかかわらず、なんとなく春めいて見えるのは気のせいだろうか。若い人たちはピチピチと動き、お年寄りの顔もなにやら元気そうだ。新緑の季節は人々を活き活きとさせている。
近頃の世界各国の指導者を眺めても、私よりもはるかに若い人が多い。いつの間にか追い越されてしまった。今日、カミさんはゴルフの大会で出かけたので、車はあったのに遠出をすることもなく、溜まっていた片づけ仕事で一日過ごすことになった。こういう日がないと、後回しにしていた雑務を処理する機会がつくれないから、結果的にはありがたい一日だった。
今年の8月21日(土)に愛知県産業労働センター(昔の中小企業センター)で、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークが行なう『地方議員年金の廃止アクション!』の会場費の振込みのために郵便局へ出かけた。郵便局からの振込みは始めてであったので、いつもそうなのだが、久しぶりだとすっかり以前のことを忘れている。職員から書き込みの仕方を教えられたのに、以前はこうだったと反発して言ってしまった。家に帰って以前の用紙を見ると、指摘されたとおりであった。いや申し訳ない。
なかなか覚えきれないのか、思い込みが激しいのか、はたまた注意力が足りず学習能力が欠如しているのか、恥ずかしくなった。それでも職員の人は、初めは少しつっけんどんであったけれど、次第に同情してくれたのか親切に対応してくれた。わけの分からないことを言う年寄りではなく、本当に困っているんですということが職員に伝わったのかもしれない。
『地方議員年金の廃止アクション!』に、ぜひ河村名古屋市長に出席してもらい、名古屋から議員年金廃止を全国に発信する運動を展開しようと提案者は考えていた。そこで昨夜、一緒に河村事務所にお邪魔した。話している時にふと、若い人は血気盛んだなと感じた。一生懸命さはよくわかるけれど、人を説得するためには相手の気持ちを考えなくてはならない。こちらはお願いする方だから、下手にあるのだけれど、へりくだっているもののこの提案は価値があることを認めさせなくてはならない。
年齢を重ねるとその辺りの話し合いが、駆け引きではなくスムーズに出来るようになる。それは良いことなのかそれとも老獪になったということなのか。正直でありたいと思うけれど、馬鹿正直でない方がよい場合がある。難しいけれど、それが生きるということなのかと思う。