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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

寒かった

2010年04月20日 23時08分35秒 | Weblog
 寒い。夜になって北側の部屋にいると、ストーブが恋しくなる。桜はすっかりハザクラに変わろうとしている。チューリップもほとんど花は散ってしまった。街路樹のケヤキが芽吹いてきた。よく見ると、若葉が多くついている枝もあれば、まだ枯れたままのものもある。紅葉の色づきが違うように、若葉の出方も一様ではないようだ。確実に春は進んでいるのに、今夜は寒い。

 春だからと日ごとに暖かくなるわけではないし、樹木の芽吹きも同じ調子ではない。大自然でも細かく見たなら、個々に違いがあるのだから、ましてや人間はもっとたくさんの違いがある。昔から「人は様々」とよく言うけれど、本当にそのとおりだと思う。それぞれの違いを認め合えばきっとおおらかに生きていけるだろう。しかし、他人の個性についてはなかなか受け入れられないのがこれまた人間の「個性」なのかも知れない。

 他人を支配したがる人もいれば、そういう強い人のもとに身を置くことが好きな人もいる。とても誠実なのにほら吹きで、言っていることの辻褄が合わない人もいる。他人の言ったことを自分の意見のようにオウム返しに言う癖のある人もいる。「亭主元気でルスがいい」と言う人もいるけれど、「あの人とは一緒にいるのもイヤ。お墓も別にしたい」と言う人もいるし、「もう一度結婚するなら、やっぱりウチのヒトがいい」と言う人もいる。

 人はいろんなタイプがあるから面白い。お酒が飲める人も飲めない人も、いびきをかく人もかかない人も、グチばかり言う人も馬鹿みたいに楽天的な人も、人にはいろんなタイプがある。極端な例を挙げたけれど、極端ではないけれどどちらか言えばそうだよねという人もいる。人間をそう簡単に決め付けない方がいいと思う。長所は短所であり、逆もまた真である。私たちは不完全な存在だ。だからこそ生きている意味があると私は思っている。

 認知症にかかると何もかも判断できないと思っている人がいるけれど、他人が自分をどんな風に見ているかは感性で分かるようだ。馬鹿にしているとか大事に思っているとか、そういう微妙なことを汲み上げる感性は健在である。だから、嫌いとか楽しいとかの感じはよくわかるのだ。認知症は急速に進むことはないだろうけれど、周りが邪険に扱えばそれなりの方向へ行ってしまう。だからと大事にすれば、これまた現実離れした不思議な世界が地球を覆うことになるだろう。

 「愛は決して後悔しないことだ」とはテレビドラマのセリフである。なかなかしゃれたことを言うねと思った。愛したことを後悔するような恋ならば本物ではないだろう。そう書いてから、本物の恋とは何だろうと思った。命がけの恋は本物だろうけれど、命がけで恋をするのだろうかと疑問が浮んできた。

 今日はとても眠い。文字を見ているだけで深い睡魔に襲われる。16日に66回目の誕生日を迎え、昨夜は子どもたちや孫娘が祝ってくれた。自分にとっては余りにも長く生き過ぎたような気がしているけれど、こんなにも何もかも分からないままにこの世におさらばするには、まだ若すぎる気がしないでもない。要するに人は勝手なのだ。自分に都合の良いように解釈したがる。私はその典型だろう。
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