7月に行なわれる東京都議会議員選挙がまるで告示されたかのような戦いが始まっていると、テレビのニュースは報じていた。相変わらず麻生首相は「サッカーの試合を見ていましたか」と庶民性をアピールしていた。そして一致団結こそが勝利の道であると説いていた。勝利して何をしようとするのか、麻生首相の演説はいつもそこがわからない。うがった見方をするなら、麻生さんは首相の座にただ就いていたいだけなのではないのか、そんな気さえする。
鳩山民主党党首の演説も報じていたけれど、この人も「政権交代をしなくてはならない」と何度も言うけれど、民主党が政権をとったならばどうするのか、そこがなかなか見えてこない。「自民党は官僚のために政治になっている。補正予算は官僚の天下り先へのバラマキだ」というようなことも言っていたけれど、具体性がないから説得力に欠ける。官僚政治の腐敗が生み出したものが何で、民主党はこれをどのように断ち切り、国民の目線の政治にするのか、具体的に説明しなければムードだけではそんなに民主党へ票は集まらないのではないか。
日曜の夜、NHKテレビを見ていた。このところの大河ドラマは余り興味が湧かなくて、見たり見なかったりしていたが、昨夜は丁度、直江兼続が旗印に「愛」を選ぶところだった。「義」を貫き、「愛」に生きる上杉家の人々の中心となっていく兼続が、民を愛し、郷土を愛する、「愛」こそが自分の信じる道にふさわしいと言うのである。あれ、これって、鳩山代表が掲げていた「友愛」に似てないかと思った。NHKドラマ『天地人』は、政権交代をウラから支えるドラマだったのか。自民党は「朝日新聞は民主党びいきだ」と非難していたけれど、朝日どころか国営放送NHKも政権交代のお先棒を担いでいたとは知らなかった。
そんなことを言っても、カミさんだって「何を勝手なことを言っているの」と言うくらいだから、きっと誰も信じないだろう。それにしても上杉家は、謙信の時代であれば天下統一に名乗り出ていたかもしれないが、兼続の時代には豊臣に服従し、続いて徳川にも従順し、越後から会津への国替えさえも受け入れている。それでいて最後まで徳川に仕え、官軍と戦い、滅んでいった運命にある。何だか、鳩山民主党は大丈夫か、などと勝手な妄想に浸ってしまった。
「友愛」を政治にどのような形で実現していくのか、単なるスローガンではなく、具体的な政策として、民主党はどう実現していくのか。今度のマニフェストにどのように書き表されるのか、楽しみにしている。ところで兼続の素晴らしいところとはどういうところなのだろうか。熱心に見ていないためなのか、未だによくわからない。
鳩山民主党党首の演説も報じていたけれど、この人も「政権交代をしなくてはならない」と何度も言うけれど、民主党が政権をとったならばどうするのか、そこがなかなか見えてこない。「自民党は官僚のために政治になっている。補正予算は官僚の天下り先へのバラマキだ」というようなことも言っていたけれど、具体性がないから説得力に欠ける。官僚政治の腐敗が生み出したものが何で、民主党はこれをどのように断ち切り、国民の目線の政治にするのか、具体的に説明しなければムードだけではそんなに民主党へ票は集まらないのではないか。
日曜の夜、NHKテレビを見ていた。このところの大河ドラマは余り興味が湧かなくて、見たり見なかったりしていたが、昨夜は丁度、直江兼続が旗印に「愛」を選ぶところだった。「義」を貫き、「愛」に生きる上杉家の人々の中心となっていく兼続が、民を愛し、郷土を愛する、「愛」こそが自分の信じる道にふさわしいと言うのである。あれ、これって、鳩山代表が掲げていた「友愛」に似てないかと思った。NHKドラマ『天地人』は、政権交代をウラから支えるドラマだったのか。自民党は「朝日新聞は民主党びいきだ」と非難していたけれど、朝日どころか国営放送NHKも政権交代のお先棒を担いでいたとは知らなかった。
そんなことを言っても、カミさんだって「何を勝手なことを言っているの」と言うくらいだから、きっと誰も信じないだろう。それにしても上杉家は、謙信の時代であれば天下統一に名乗り出ていたかもしれないが、兼続の時代には豊臣に服従し、続いて徳川にも従順し、越後から会津への国替えさえも受け入れている。それでいて最後まで徳川に仕え、官軍と戦い、滅んでいった運命にある。何だか、鳩山民主党は大丈夫か、などと勝手な妄想に浸ってしまった。
「友愛」を政治にどのような形で実現していくのか、単なるスローガンではなく、具体的な政策として、民主党はどう実現していくのか。今度のマニフェストにどのように書き表されるのか、楽しみにしている。ところで兼続の素晴らしいところとはどういうところなのだろうか。熱心に見ていないためなのか、未だによくわからない。