カミさんは明日から3日間、信州へゴルフに出かけるのでその準備に追われている。中学時代の友だちが東京にいるが、信州なら中間地点で都合がいいというので、名古屋と東京から出かけて落ち合う計画のようだ。そういえば、私も昨年の今頃は中学時代の同級生と静岡県のショウブの名所を見て回った。今年もクラス会の役員で集まろうということになっているが、未だに何の連絡もない。アキレス腱を切ってしまい、その後の心因的な体調不良もあって、呼びかけるにはゆとりがないのかもしれない。
その中学からの友だちは、奥さんが親の看病のために家を4日間ほど空けるので、「久し振りの女房の居ぬ間の洗濯とやらで、馴染みのスナックにでも行き、鼻の下を伸ばして息抜きでもしてやろうと、よからぬことを朝のうちは思ってはいるが、夕方になると家を出て行くほどの元気もなく」と書いていた。彼はひとり暮らしをしたことがないので、トーストくらいは焼けても料理は苦手のようで、外食に慣れてしまったのだろう。私は逆に、ひとりで飲みに行ったことは恥ずかしいが一度もない。
そんなものは価値観ではなく単なる習慣の違いであるけれど、私くらいの人はたいてい屋台や居酒屋やスナックといったところへ出かけていることが多いので、ひとりでは一度も行ったことがないと言うのは気が引ける。喫茶店にひとりで入ったことがない女性と同じで、どうしてか入りにくい。喫茶店にひとりで入っても、たとえばアン蜜とかフルーツパフェを注文することが出来ない心理と同じだ。いつだったか東京で、ビールを頼んで寿司を食べようと決めて寿司屋に入ったのに、「にぎりを一人前」としか言えなかった。
女の子をつかまえて、「美容院へ行ってきたね。とても似合っているよ」とか、「いいお尻しているね」とか、「今度二人で遊びに行かないか」と言える人がいる。挨拶のつもりで言っているので深い意味はなく、だから口からポンポンと出てくるのだ。私は関心のない人には言えないし、遊びに行きたいと真剣に思わなければ誘えない。80歳を過ぎた女性が「膝が痛くて」と言うので、「まず、体重を減らさないといけないのでは」と真剣に言ってしまい怒られたことがある。
そういえば、中学からの友だちは先月の末に、12年以上付き合ってきた女友だちと久しぶりに会うことになったと書いていた。私は「頑張れと言いたいけれど、何を頑張るのかと言われそうなのでそうも言えず、会っている時間を大切にねとだけ言っておこう」とメールした。彼は「せっかく手に入れた自由を楽しむためにも、やはりいろんな意味で頑張ります」と言う。彼のいう「自由」とは何か、そしてどんなデートだったのか、ちょっと気になる。いずれにしても私たちの人生もそんなに先は長くないのだから、悔いのないように生きていきたいと思う。
その中学からの友だちは、奥さんが親の看病のために家を4日間ほど空けるので、「久し振りの女房の居ぬ間の洗濯とやらで、馴染みのスナックにでも行き、鼻の下を伸ばして息抜きでもしてやろうと、よからぬことを朝のうちは思ってはいるが、夕方になると家を出て行くほどの元気もなく」と書いていた。彼はひとり暮らしをしたことがないので、トーストくらいは焼けても料理は苦手のようで、外食に慣れてしまったのだろう。私は逆に、ひとりで飲みに行ったことは恥ずかしいが一度もない。
そんなものは価値観ではなく単なる習慣の違いであるけれど、私くらいの人はたいてい屋台や居酒屋やスナックといったところへ出かけていることが多いので、ひとりでは一度も行ったことがないと言うのは気が引ける。喫茶店にひとりで入ったことがない女性と同じで、どうしてか入りにくい。喫茶店にひとりで入っても、たとえばアン蜜とかフルーツパフェを注文することが出来ない心理と同じだ。いつだったか東京で、ビールを頼んで寿司を食べようと決めて寿司屋に入ったのに、「にぎりを一人前」としか言えなかった。
女の子をつかまえて、「美容院へ行ってきたね。とても似合っているよ」とか、「いいお尻しているね」とか、「今度二人で遊びに行かないか」と言える人がいる。挨拶のつもりで言っているので深い意味はなく、だから口からポンポンと出てくるのだ。私は関心のない人には言えないし、遊びに行きたいと真剣に思わなければ誘えない。80歳を過ぎた女性が「膝が痛くて」と言うので、「まず、体重を減らさないといけないのでは」と真剣に言ってしまい怒られたことがある。
そういえば、中学からの友だちは先月の末に、12年以上付き合ってきた女友だちと久しぶりに会うことになったと書いていた。私は「頑張れと言いたいけれど、何を頑張るのかと言われそうなのでそうも言えず、会っている時間を大切にねとだけ言っておこう」とメールした。彼は「せっかく手に入れた自由を楽しむためにも、やはりいろんな意味で頑張ります」と言う。彼のいう「自由」とは何か、そしてどんなデートだったのか、ちょっと気になる。いずれにしても私たちの人生もそんなに先は長くないのだから、悔いのないように生きていきたいと思う。