ミモロの住む東山粟田地区の氏神様である「粟田神社」。平安時代初期の創建とされる由緒ある神社です。その10月に行われる祭りは、剣鋒、神輿の巡行、知恩院と合同でする神事「れいけん祭」、そして夜の町を巡る巨大な灯籠の大燈呂など見どころがいっぱい。



ミモロは、京都に住み始めてから、ずっとこのお祭りに参加しています。ですから、地域の方たちとも顔なじみ…。
「ミモロちゃん、今年は、地域の人たちが中心になって、新しい大燈呂を作るんですよ。よかったら、いっしょにやらない?」と、声をかけられたミモロ。「はい、できるだけ参加します!」と。
大燈呂は、平成20年、京都造形芸術大学の協力により、180年ぶりに復活したもの。室町時代の文献にその記録があり、江戸時代には、見物人が大勢詰めかけたという祭りの見どころのひとつです。


8月4日、「白川の子供まつり」で金魚の放流係をした後、午後、ミモロは、粟田神社へと向かいました。
「あ、もうみんな来て作業してる...」



すでに地域の方々が、骨組みになる針金を組み上げていました。
「へぇ、こんなヒツジができるんだ~」と完成予定図を見て…


ヒツジの体の部分の骨組みの中に入って…。針金は、糸で接続部分をひとつひとつ丁寧に固定します。

地元の人たちだけで、製作するのは、初めてのこと、毎年、大燈呂を製作する京都造形芸術大学の学生さんが、指導を…。
渦巻き状に曲げられた針金は、ヒツジの角になります。「こんな感じにヒツジの顔の横に付くんですよ」と。

さて、2日目は、前日作った骨組みに紙を貼る作業です。



針金部分にボンドを付けて、紙を貼ります。細い針金に紙を貼るのは、なかなか大変。慎重に、慎重に…

3日目は、早めに粟田神社へ。ヒツジの大燈呂の形が見えてきました。紙を貼る作業も大詰めです。


紙の重なりは、少なく…「はい…」ミモロも教わりながら作業を…。
「ミモロちゃん、角の部分作るのお手伝いして…」と、京都造形芸術大学の学生さんに言われたミモロ。「は~い」と喜んでお手伝いを…。



「うん、ドキドキしちゃう…」と学生さんも緊張気味。「こんなんでどう?」と、頭の上にヒツジらしくモシャモシャの毛もプラスして、まずは子ヒツジが誕生です。

大人のヒツジたちも次々に誕生…。


3日間にわたって行われた大燈呂の製作。毎日、十数名の地元の方々が参加されました。またわざわざ遠くから、製作に参加なさった方も…。
みんなの力で、今年のお祭りに、来年の干支のヒツジの親子が加わることに…。

最後の仕上げのために、ヒツジの親子は、トラックに積み込まれ、京都造形芸術大学へと運ばれ、秋に再び粟田神社に戻ります。ミモロ、いつの間にトラックに乗ったの…。「だって~」降りなさい…「う~」としぶしぶ…。


10月11日から15日に行われる「粟田神社」のお祭り。ミモロたちが製作したヒツジの親子の大燈呂は、12日の夜18時ごろから町を巡行します。「見に来てね~」と。いまから、秋の祭りが楽しみなミモロです。
*「粟田神社」の詳しい情報は、ホームページで

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