蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

雨ニモマケズ風ニモマケズ

2023-04-27 | 思い出
わたしが高校を卒業した春の18歳、番茶も出花の頃(はい、昭和です)、新学期までの間、1ヶ月だけアルバイトをした。
勤務は、神戸の某有名菓子メーカー直営レストランだった。
その1ヶ月間しか顔を合わせなかった、後、半世紀近く一度も会ったことがない人々、、、なのに、今でも顔をしっかり覚えている。
提供されるメニューのスパゲッティ・ペスカトーレのガーリックの匂いや、ストロベリーパンケーキのほわほわした柔らかい甘い匂いも、昨日のごとく。

ホールで料理担当の口髭をはやした30歳??ぐらいの笑顔が親しみを感じる、味のあるお兄さん。
白調理服上下に、白長靴。
ウェイトレス、重鎮ボスとしては、真っ白い(と思えるほどの)ファンデーションに真っ赤な口紅で彩られた毒々しい唇の、都会の垢でスレて荒んだ、いかにも意地悪そうな性格が悪そうなひね曲がってそうな(形容長い)お姉さん。(あくまでも見た目)
ウエイターは、軽々ひょうひょうとした、東南アジア系の顔をした細い若い男子。
その他のウェイトレスは、地味だが、どしっとした重量系、貫禄ある若い女性。
さらに、小柄でキュートな若い女性。
もうひとりぐらい、ホールにおじさんがいたかも知れない。が、忘れている。

重鎮ボスには、わたしが4月から通う学校の名前を噛みそうになりながら彼女の口から発するのを何度か聞いた。
休憩時間は、別の場所に休憩所があったと思う。
ご想像の通り、わたしは「大正の姫」と侮蔑を込めて呼ばれていた。
当たっている、うまいこと言う。
が、いじめられた記憶は全くない。鈍いだけかも知れないが。
彼らと話をした記憶も全くない。
共通話題もなくお互い無関心、無関係なのだろう。
今思えば、わたしは浮いていたのだろう。
たった1ヶ月だけのバイトだし、問題が起きてもつまらないし、皆の意識下になかったのだろう。
期待もされず邪魔にもならず、いてもいなくてもよく、流れて来る石の一つだったのかと。(石って、流れる?)

お客さんでは、後のボーイフレンドになる男子が彼の友達と通って来ていた。
その友達と、どうしたらわたしに声をかけられるのか、相談していたらしい。
友達も後のボーイフレンドもわたしも、同じ歳だった。
このボーイフレンドは、背も高くカッコよくオシャレで頭も良かった。シティボーイ。
降って湧いたような恋バナ。
今も顔、はっきり覚えている。
懐かしい話。

それはそれとして。
学生時代、大手百貨店で夏季バイトをしたことがある。
その中に、仕事をしたことが全くない、ピカピカの奥様もバイト仲間としてご一緒させていただいた。
貫禄ある部長みたいな上の方とお茶に二人で行ったことがある。
この部長は、わたしを実社会にはかすりもしない人間のように感じているのではないかと、言葉の端々から感じた。
社会との接点はまるでない、空間に生きている、無味無臭、人畜無害な若い女性??
おどろおどろしい世界に、誰もわたしを誘ってくれなかった。
わたし自体もぜひ誘って欲しいとは思わなかったし、別に興味津々でもなんでもなかった。

また違う機会に、とある夏季講習で知り合った男子大学生に、ドライブに誘ってもらったことがある。
同じく彼も、わたしを別の惑星の住民のように感じたように思う。
着いて行ける、着いて行けない、ではなく、接点がない、という宇宙人ぶりをわたしは発揮していたような気がする。

生活感もなければ、生きている熱さもなければ、退廃的でも悲観的でも悲壮でもない、、、
社会に出たとは言え、社会には全く出ていなかった。

今も社会に出ていないような実感がある。
きっと一生このまま、社会には出ない、病室療養か、自宅軟禁か、施設収容か、そんな感覚がある。
だが、閉じ込められている部屋の鍵はない。
あるとすれば、住宅警備システムのロックと解除。
自分で開けたり閉めたりする。
外出、外泊自由なのに、快晴でも一歩も外に出ない日もある。
別にこころを病んでいるわけではない。
自分の城なんだろう。
頑丈な城を長い時間かけて築いた。
(期間限定で時々、お城食堂に、ちびっ子とその親達が無料食事をしにやってくる)

わたしは遠くに行っても、ちゃっかり元に戻ってくる。
別に誰が待っているわけでもない。
なんの束縛もない。
自分で勝手に戻って来る。
お掃除ロボットのルンバみたいに、お掃除が済んだらチャージ器に乗っかる。

時を戻そう。
高校卒業時の春のバイト。
一人だけ浮いているのに、いじめられても何の不思議もないのに、なんの摩擦もトラブルも不安も不満もなかった。
これは、何なんだろう。
これに共通するものがあるように思う。
天然自己装置??

幼稚園から高校卒業まで、わたしは1日たりとも雨の日も風の日も休まず学校に通った。
わたしの子供たちもそう。
質はともかく、身体とこころが丈夫なんだろう。
「健康は健全なこころから」かと、宇宙人らしからぬ当たり前のことを思う。

追記
だが、こころは健全でも病気になることはある。