蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

悩めるお年頃

2008-12-02 | わたし
最近、自分はどんどん可愛くない、オババに突入している
オババ街道まっしぐらだ。

人に気に入られたいという思いよりも、自分の気持ちのほうが大事。
人に歩み寄ることをしなくなった。
自分は、自分。
好き嫌いがはっきり出てきて、困っている。

自分だって大した人間でもないのに、
前は気にならなかった、他人の短所が目に付いてしかたがない。
自分は、なんて嫌なやつに成り下がったのだろう。
傲慢? ジコチュウ? 客観的視点の欠如? 馴れ合い?
包容力のなさ? ガソリン切れ? 病気?

もっと反省して、謙虚にならないと・・・。
自分で自分が嫌いにならないよう、コントロールして、バランスを取らないと。
自分のことが嫌いな人は、顔に出る、生き方に出る。
人に対して寛容になれないし、人を認めたくないし、人に優しくできない。
そういう人には、決してなりたくない。


さて、最近のお騒がせ泰葉。
小朝さんと決着して、今度は、自分との対決、オトシマエをつけるという。
はた目から見ると、いかにもご乱心でござる、だが、彼女なりの苦悩の表現だ。

今まで、周りを推し測って生きてきたなかで、
だましだまし押し込めていた、本来の自分が爆発した。
期待される像と、素の自分とのギャップ。
人なら誰でもある悩み。
それとどう向き合い、どう解決し、どう表現するかは、
各自それぞれの個性があるだろう。
泰葉は、周りも十二分に傷つけ、自分の評価も落としたが、
そのなかで、一番傷ついたのは、誰よりも泰葉自身だろう。
しかしながら
周りを巻き込み、もう一人の自分と戦った挙句、得たものは大きかったと思う。
気付けば、周りには死体がごろごろ、自分も瀕死の重傷。
一からの出直しとなるが、ある意味、永年の垢や膿みが除去され、
すっきり、リセットできたはず。

こういう大手術、自己大革命を起こす人は、そう多くないとは思うが
大なり小なり、自己との戦いはあるものだ。
しかし、一生、気付かない人もいる。
天真爛漫、といえば聞こえがいいが、脳細胞が壊死しているのかも知れない。

自分が不機嫌なのは何故なのか、自分はしっくりいかないのは、原因は何なのか、
根元を探り、対処する方法を見つけ、実行する。
対処する方法を見出す前に、行動してしまう場合もあるが
優等生の模範解答みたいにはうまく行かないだろうから、結果オーライだ。

しかし、原因に気付いたところで、どうしようもないことであるなら、
絶望感と向き合うだけだ。
この絶望感は、塩漬けの不良債権みたいなもので、
お付き合いの仕方によっては、命取りになる。
お取り扱い、要注意

革命後の貴族階級や、戦争や動乱、戦後の価値観の激変、
そういう歴史のうねりに巻き込まれた場合や、大災害の被害などは、
いくら考えても、解決や出口はない。
なるようになる、ってかんじで、逞しく生きるしかない。
昨今、世の中で起こる、悲惨な状況に身動きできない、解決の糸口がないケースは、
マンパワーや、お国の力を借りるしか手がないだろう。
それでも解決できないことが、山のようにあるだろうが、私は政治家ではないし、
大金持ちでも、ボランティア活動家でも、草の根運動家でもない。
第一、自分自身のことも解決できない未熟な人間が、
広く多くの他人様のことにまで目を向けるのは、並大抵のことではない。
マザー・テレサの本でも読もうかな。
選挙でちゃんと投票すること、
税金や保険料、年金をきちんと納めることぐらいしか、具体策は思いつかないが。


泰葉は、アラフォーを通り越し、アラカンⅠ(アラウンド還暦)にはまだ届かない、
悩めるお年頃。
彼女を含め我々も、まだ、アラカンⅡ(アラウンド棺おけ)には、たっぷり時間はある。
いろいろ悩むことも、人間を成長させる。
人間は考える葦である、なんだし。
爆発エネルギーを有効に使いたいものだ。


今日のブログは、とりとめない感情の、ボヤキになってしまいました。
長い間、生きていると、こういうことも、あります、よね