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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

My World

2013-03-28 | 趣味

あれが、あった。これこれが、あった。
そういう楽しい話を書きたいか・・・というと、
今のわたしは、そういう気分にはなれない。

ほんとうは、毎日、充実していて、楽しいのだけれど。
書きたいか、どうか、だ。

小説にする気にもなれない。
人生経験が、壮絶でなさすぎて、平凡すぎて、甘すぎて、ぬるすぎて、薄すぎるからだ。
そして、想像力や、創造力が、中途半端すぎるからだ。
しかも、本も読まない。調べ物もしない。サイテーのサボリ人間だ。
知識を得る努力もせず、組み立てる力もない。
そして、ボキャ貧。
なので、小説どころか、ブログも、すっかり書く気力が萎えている。

人の書いたものを読むのがいちばん、楽でいい。
読むのは、難しいものや、専門分野のものではなくフツーの人が書いた、フツーのもの。
読みやすい。
なぜか。
素人だから。
ボキャブラリーの量と質が、一般的だからだ。
そしてなによりも、カンタンに手っ取り早く、ワンクリックで、無料で、読むことができる。
第一、お隣に住んでいるかのごとく、身近で親近感があり、温もりを感じる。


わたしは、ファッションモデルにはなれなくても、ファッション画、デザインは描けなくても、
自分で「こういうデザインで」と、ゼロから創造しなくても、
店で売っている、手ごろな値段の既製品の洋服を買うことは、できる。
受身は、楽だ。

セミ・オーダーもできる。
既製品をあれこれ、組み合わせる。
マネマネ・盗品、ごった煮、寄せ寄せオリジナル。
ただし、お取り寄せピックアップ、抜粋するのは、自分。抜粋の比率を決めるのも。

自分の引き出しがなくても、上を向いたり、下を向いたり、左右をきょろきょろ見たりして、
自分は、じっとしているだけで、なにもしなくても、
人様からのおこぼれ、アウトプット産物に触れ、けっこう楽しむことができる。
受動態は、楽々だ。
自分で、なんの積み重ねも蓄えもせずに、枯渇した感性に潤いを与えてもらえ、
時には、触発されることもある。


ただし、チョイスは自分。
大きな大きな大海原を泳いでいるかのごとく、選択肢は360度あるが、いろんなものがある。
自由だが、それに伴うリスクは自己責任で。

文章は、とりあえず、日本語と、外来語日本語。
英語なら、簡単な中学英語。
その他の言語は、わからない。
言語で表現される場合は、「人」「考え方・思考方法」に興味がある。


興味対象は、文章以外にも、いろんな分野がある。
また、さらにインターネットだけではなく、ブログやネット以外の、実社会、実世界でのリアルな分野。
わたしは、どちらかというと、「美」の分野が好きである。
芸術系のものが好き。
のこのこと、あちこちに出向いて、わけがわからないまま、丸のみする。
食あたりすることもあるが、意外なプラスの展開をするものもある。
んでもって、経済、政治、社会には、疎い。(なんども言うようだが)


最近は、ジャズも好きになっている。
ただし、ジャズのジャの字も知らない。
でも、いいんです。

いろんなタイプのジャズをiTunesで流す。
その曲を聴き、イメージを勝手に、脳内スクリーンに描き出す。
(音なのに音響ではなく、映像)

あ、この音楽は、純喫茶風。どしりとした、古い、昭和風の店内。
民放サスペンス2時間ドラマでの、登場人物が、深刻な話を打ち明ける時にかかる、やつ。
登場人物のメイク、ヘアスタイル、表情、ファッション、・・・古っぽい。

また、別の曲は、とある静かなBAR。
「オシャレ」という表現を使うと同時に、オシャレとは対極の位置に堕ちてしまうが、
わたしの感じる、ステキな(ああ、また、「ステキ」と入力すると同時に、対極の「ダサダサ」に陥る)
なんと表現していいのか、わたしには、その素養がないので、表現しようがないのだが、
なにしろ、洗練された(ああ、また、こんな表現・・・がっかり・・・)
そういう軽妙なフィーリング(またまた、こういう表現・・・。エンドレス・スパイラル。だれか、ヘルプ・ミー)

踊るとかではなく、もっと、軽い、落ち着いた、
こころが、ふっと、わたしの知らない、どこか別世界に入り込んだような、
でも、まったく知らないわけでもないような、
どこかにあったけれど、潜在的にあったものの眠っていただけで
たまたま、いままで気付かなかったような、
憧れの世界であるような、
でも、いままで、ダサダサの自分には接点がない、縁がないとハナからあきらめていて、それで、興味もなかったけれど、

自分が、ひょっとすると、合っているかも知れないような、
対象物・自体は、不動だが、自分が変化したことにより、新しい世界が開け、
その憧れは、遠いところにあるのではなく、その世界に自分が近づき、適応、フィットしていることに気付き、
嬉しいような、くすぐったいような、そんな気分だ。

音楽の好みが変わるなんて、今まで、ほとんどないことであった。
というより、音楽自体、べつに、どうでもよかったのだ。
受け売りや、流行っているから、とか、話題になっているから、とか、そういう、受身のチョイスでしかなかった。
自分から、音楽に寄り添っていくことはなかったと思う。

ただ、ジャンルが、ジャズなのか、クラシックなのか、まだ、流動的ではある。
どっちにしても、いままで、興味のなかった世界、分野が、自分から能動的な揺さぶりが生じ、
好みが変わる、ということ、
こういう自分の変化をとても、面白く感じる。

音楽だけでなく、芸術や、美・全般にもいえる。
美を追求するのは、わたしにとって、
永遠の夢の世界に浸ることができる、架け橋をゆっくりゆっくり上ることである。


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人生のクロス・ポイント

2013-03-18 | 趣味

さてさて、ブログタイム。

昨日は、ウォーミングアップの2行を入力しただけで、時間切れのため、アップできなかった。
今日は、またまた、さあ、と思う前からアウトで、背後で赤子が、ぎゃーぎゃ-、わんわん、泣いている。
が、赤子泣いても蓋とるな、と言われるとおり、蓋はとらずに、ちゃっちゃと、すごいスピードで、入力しよう。

いま、別のブログから流れる、ピアノの曲を流しながら、入力している。
別のブログを開いて、音楽を聴きながら同時に、自分のブログ作業ができる、なんて、今の今まで、知らなかった。
なので、何十分も、聴く時間が取れないから、困ったなあ・・・と、あきらめていたところ、
赤子の母親が、「同時に複数のタブを開いたら?」と、教えてくれた。

へー、そうだったの。
同時タブ開き。
ということで、BGMにすると、画面を見ないで失礼な!と、叱られそうだが、
ブログを書きながら、聴かせていただくことにした。
(途中、トークが入るときは、タブ切り替え)
これからは、この手を使おう。
いい音だ。

スローな、やさしいリズム、音色の部分になると、静かに、こころが解き放されるような気になる。
重々しい音の重なりの時も、そう感じたが、
ひとつひとつの曲のうねりに、弾き手側の込められた気持ちが伝わり、聴き手と一体感が生じる。


アップ、スロー、強弱、硬軟、高低、長短、
テンポ、キレ、メリハリ、柔軟さ、粘り、リズム、調子・・・ダンスと共通点あり。
ダンスは、音に合わせて踊るのだ。
わたしも、言わずもがな、ヘタではあるのは事実中の事実である・・・にもかかわらず、
ダンスの技術ももちろんだが、芸術面を高めるポイントも意識下におきながら、踊っている。

意識におくだけであって、現実は、足がもつれ、相手の足を踏み、相手に足を踏まれ、
リズム、テンポを間違え、ステップを間違え、方向を間違え、いろんなことを間違え、(基本が、まだ、なっていない)
膝は痛い、つま先は痛い、首は、だる痛い、
大きく、速く、強く、大回転に振り回され、付いていけず、滑ってコケそうになる恐怖に見舞われ、
他の人とぶつかり、相手とぶつかり、ヘア・アクセサリーは、ぶっ飛び、
教え魔には、いまだ、ぐたぐた、「教え魔」流に直され、
霧のなか、暗雲たちこめるなか、懲りずにやっている。

嫌な思いもいっぱいし、自信も無くし、
もともと低い鼻も、ぺっちゃんこに、へし折られ
(そもそも、生まれつき鼻が高くないので、折れるには、かなりの重圧が必要)
ヘタな人にしか相手にしてもらえず、レベルの低い、プライドのない踊りに冷笑を浴び、
高いレッスン料を払い(・・・上達ほど遠い)、

それでも、嫌になりながらも、なぜ、踊り続けるのか・・・?

 ひとつには・・・踊りが好き、ということ。
ふたつには・・・今よりも、少しは上手になるに違いない・・と、淡い期待を抱いていること。
みっつには・・・ブログ村と同じで、いろんな人がいて、興味が尽きないこと。

 嫌なことも、ひとつひとつクリアーしていけば、きっと、自分の糧になるだろう、
なんて、根拠のない楽天脳の持ち主である。

ただただ若いだけでも良さが出ない、社交ダンス(パーティ)は、まさに高齢者の社交の場である。
(その一方で、競技ダンスは、また別枠の、純然たるスポーツである)
集う人々は、ダンスという共通点はあるものの、生活や人生、ライフスタイルは、それぞれの独自のものがある。
別々の自立した人々が、ダンスを一緒に踊る、という点で接する、絶妙な、クロス・ポイント。

スパークリングしたり、フィットしたり、馴染んだり、助け合ったり、包み込んだり、
パーツパーツを別々に分担して責任を持って踊ったり、
でも、人生は、お互い、各自、別々で、別であることが、なんの難点もなかったりして、
じつに面白いものである。
別々の立ち位置で、共存し合うには、
自立した別個のものであるほうが、いい影響を与え合うことが多いことだろう。

(競技ダンスは、ペアは、夫婦であるケースが多い)


それよりも、なによりも、
なにごとも、楽しむことが、第一である。

楽しくなければ、意味がない。
壊され、もがき、癒され、再生され、楽しむ、これの繰り返し。
楽しさは、生きる意欲、人生のベースになる。

 

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もうちょっと、どうにか、ならん?

2012-11-25 | 趣味

金曜日は、勤労感謝の日で、国民的祝日。
お休みだった。
土曜、日曜も休み。で、三連休。

なにもせず、パソコンに向かっているだけでは、あまりにも、もったいない。
最近、ブログでは、他人のことばかり書いているが、
リアル個人生活としては、先週末、ゴルフ帰りに来客が2名、押し寄せ、宴会ありで、先週は振り回された。
的矢牡蠣、あわび、ユッケと、生ものを主にし、白ワイン3本、日本酒1升が、空になった。
すごい勢い。
がばがばがばと食べ、ぐいぐいぐいと飲み、さささささーと引き上げていった。
漫画みたいだ。

好評、超ご機嫌で、また、ぜひ次も開催したいと、リクエストを頂戴してしまった。
ええ~っ!?と思ったが、「どうぞ、こんなので良ければ」と言ってしまった。
「遠方から参加するの人も呼びたいので、ゴルフ前泊でよろしく」
などと追加のリクエストには、ちょっと難色を示したが。
(先々月、2名、引き受けたばかりで、たいへんだった。うちは、民宿ではない)

秋の一泊旅行にも行った。(旅のブログにはアップした)


そんなこんなの、リアルに触れない、ネット生活を満喫していたが、
なにごとにも振り回されない、黄金の3連休を、
3日続けて、じっと家の中で、ネット三昧で過ごすのは、too much と思った。
大好きなことも、やりすぎては膿んでくる。


で・・・。
(やっと、話が本題に・・・)

昨日は、ダンスを踊りに、出かけた。
これは、便利。
だれともアポとらなくてもいいし、思い立ったら、一人で勝手に行けばいい。
ダンスパーティは、ダンス情報誌の情報をチェックして行けば、いろんな会場でもやっているし、
常時開催している民営のホールもある。

ここに行こう、と最初に決めていたA会場があったのだが、電車に乗っている途中で、別のB会場にしようかと、迷った。
B会場にするなら、○○駅で降りて乗り換えなければならない。
ああ、どうしよう、早く決めなければ、その駅を過ぎるとA会場になってしまう。
降りる寸前まで迷っていたが、B会場にして、駅で飛び降りた。
降りたホームで、しばらく、まだ迷っていたが。

人生の一大決心を要する、岐路じゃあるまいし、たかだか、どっちになっても同じような、趣味の会場選びに、
そんなに気合を入れてどうする?

だが、迫り来る駅を前に、わたしのアタマの中では、A会場の会場の様子と、B会場の様子が映し出され、
A会場が、すとんと落ちて、B会場が、勝ち抜いた。
決定的な選択ポイントは、(関係ない人にとっては、限りなくどうでもいいと思いますが)
「B会場の平日は、スカだが、土日は、良いらしい」という情報。
土曜日に、いつもA会場でダンスパーティが催され、何度か行ったことがあるのだが、
土日だからといって、格別、ダンスレベルが高いとは感じなかった。
そして、平日のB会場には行ったことがあり、スカぶりを経験していた。あのスカは、定評があるのか。
せっかくの土曜日だから、経験のため、A会場ではなく、B会場にしてみようと、突如、電車内でチャレンジ精神が湧いてきた。

A会場には、たまに顔見知りが出入りし、しかもその人は、わたしとばかり踊る人で、踊る相手には、そう困らないと思う。
だが、最初は、嬉しかったものの、その人は、踊っていて上達につながるかどうかは、疑問。
そう言いつつ、わたしも、中途半端なレベルなので、その人が来ていなかったら、壁のシミになるリスクもまだまだ充分ある。

最近のわたしは、「向上心」という仮面をかぶった、実質は「高飛車」な思い上がりが、むくむく形成され、
誰とでもいい、壁のシミにならず、単に踊れたらいい、という段階を超えようとしている。

どうせなら、ちょっとぐらい辛い目や、恥ずかしい目をしても、上手な人と踊って、少しでも上手くなりたい。
安心、安全、現状維持、より、上達を目指したい。

リスクの低い「安定」と、リスクの高い「挑戦」が、アタマのなかで、バトルし、「挑戦」が勝った。

で、行きにくい場所にあるB会場。
野を越え、山越え、やっとこさたどり着いたのは、もう4時。
更衣室で、「今頃から? もう、人はあんまりいないわよ」と帰ろうとする女性客に、驚きと軽蔑?の声をあげられ、
いつもながらスタートの遅い自分に、ほんと、あほやなあと、再認識した。

一応、午後9時までやっているんだが、そんな遅くまでいる人は、ペアか、競技選手しかいない。
会場に入ってみると、ほんと、人影ぱらぱら。
でも、めげずに、シミになることなく(待ち時間はほとんどなく)踊った。
リボンちゃん(女性客用ダンスアテンダント)は、5時に引き上げ、最後に踊った人が5時15分ごろに帰ってしまい、
あとは、本当に、ペアと、競技選手と、指導のコーチのみ。
だあれも、踊ってくれる人などおらず、一人で個人レッスンの復習をした。
個人レッスンの先生が書いてくれた、カウントのメモを片手に、4,1,2,3,とステップを踏みながら覚える。
ホールの隅っこで、ちまちまやっているので、だんだん、体が冷えてきて、15分ほどでやめた。

たった1時間半しか、踊ることはできす、しかも最後の15分は、踊ったとは言い難い。
電車で帰る車内、その日の逆・時間給(=1時間あたりの使った金額)を換算してみた。
正味の踊った時間、行き帰りの往復・移動時間、出かける準備や後片付けの時間、交通費、会場費、
これを量りにかけて、ミキサーにかけて、ががががーっと、回してみて、
満足度と、時間と労力、お金、これは、バランスが合っているか?
収支のほどは?

やはり出発が遅かったのは、反省すべき点。
自分しかいないからって、約束してないからって、自由にのびのび、ゆっくりしていたら、
家から出発する時間が、どんどん遅くなって過ぎていく。
予定を立てるなら早めに。
そうすると、会場での時間(踊れる時間)が多く取れ、交通費や労力とのバランスが、よくなり、見合ってくる。

助走が長すぎて、行動スタートが遅れると、パワーを出し切らないうちに、打ち切り終了となってしまう。
これは、いつものわたしの悪い癖。
パワーや自分の時間は残っているのに、会場での状況が終了となり、あわわと、つんのめった状態で、退散。
これが、もし若かったら、つまんないなーと、夜の街をのそのそ歩いて、見知らぬ男性に声でもかけられるのだろうけれど。
(そういう心境の女性は、後姿ですぐわかるそうだ。
ナンパ師が、そう言っていた)

なにか外食して帰ろうかと思ったが、パリでもひとり外食は、あまり出来なかったし、日本でも、最近は、あまりしなくなった。
それなら、適当なものでも買って、家でビールを飲みながら、まったりするほうがいいかなあ・・・と。


一人暮らしの人は、いったいどうやって寂しさを紛らわせているのだろう。
そう思ったが、おそらく、一人での生活、パターンに慣れていて、寂しくないのだろう。
家でずっと一人でいる分にはいいが、街で一人は寂しかろうに。
家路を急ぐ人々の先には、明るく灯の灯った家があるわけで。
で、家族として、一人身を癒してくれるペットを飼っていたりする。
ペットを散歩させに出かけたり、帰宅時にペットが出迎えてくれたり。

わたしは、子供の頃に犬を外で飼っていた経験しかなくて、しかも、あれは、ペットとは言いがたかった。
今でも、口のあるものは、手がかかるので、ノーサンキューだ。

と、話がどんどん、それている。
今日こそは、短文にしようと決心したのに、どこが短文だ。
日に日に長くなっているではないか。
テーマも、ネット三昧→リアル生活→ダンス→一人暮らし→ペット、と、どんどん、だらだらと変わる。

彼氏と、こうした、ああした、こんなことをした、あんなことをした・・・に近い内容になっている。
・・・やめよう。

やはり、時間に制約がないと、なんでも、しまりがない。
で、ダンスの満足度はどうだったのか、ってことだが、わたしは、やはり教え魔がいつも現れる。
そういう性格、性質のようだ。

と、またまたどんどん長くなるので、このあたりで、おしまいにします。
最後まで辛抱強く、お読みになった方には、ご苦労様のねぎらいと感謝を込めて、
ぬくぬく膝掛け毛布と、あったか鍋セット、差し上げます(というぐらいの気持ちだ)。
 

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記事タイトルは、 
「挑戦したが、だめだった」
または、「ウサギみたいに、寂しがり」
にしてみたり。

でも、やめた。
で、さらにインパクトのないタイトルにしてみた。


ぎとぎと、コテコテ、ホンネそのまま

2012-11-07 | 趣味

天童よしみ似の女性がいる。
顔、体型、スタイル。
あのイメージ、バランスを、ちょっと一般的標準にアレンジしたようなかんじ。
顔の造作は、天童よしみより、大作りで、きりっとしている。どちらかというと、山村紅葉か。

わたしは、歌手の「天童よしみ」ご本人に対しては、べつに大して興味がない。
強いて無理やり言えば、人並み以上の歌唱力で、その世界で名を上げていて、
歌唱力という部門の才能は一般人に比べると秀でていることは認める。
ましてや、それで生活の糧を得ているのは、評価に値する。
どんな分野の、どんな人にも、その道に秀でた人に対して、同じコメントを発するだろう。

で、問題は・・・
天童よしみご本人ではなく、「天童よしみ似」の、人物である。

この天童よしみ似は、とある、べったべたの大阪界隈に出没する。
映画や、旅行や、大阪といえば、コテコテの、ココ! 道頓堀やら、ひっかけ橋やら、かに道楽やら・・・
そんなこんなを連想される、なんばを中心とした、ミナミと呼ばれる、おおさか臭てんこ盛りの、あの界隈ではない。
もっともっと、ディープな、おおさか。
ありまんねんや、そういうトコが。

まあ、紳士淑女は、あまり、おられない。
今日という日が無事に楽しく済めば、それでいい、
とっても、楽天的で、崖っぷちを崖っぷちとも思わない、
力強い人々が多く住んでいる、おおさかの、某所。

その某所に近い場所に、わたしが行く、社交ダンスパーティ会場がある。
そこは、キタの今、橋下さんが力を入れて整備しているウオーターフロント、(大阪市役所が、楚々と聳え立つ界隈でもある)
そういうエリアに建つ、重要文化財指定の由緒ある建物で、催されるパーティに集う人々と、
ちょっと、雰囲気が違う。
同じ人物でも、会場によって、見栄えが違ってくるし、実際、人々のダンスのレベルは、雲泥の差がある。


ま、それはそれとして・・・
その、天童よしみ似は、某会場で、よく見かけていた。
小指をちょこんと立て、思いっきり澄まして、これ以上は、澄ませないだろうというぐらいの、つんつん顔で、
しゃなりしゃなりと、ダンスを踊っていた。
どこぞのお姫様か、はたまた、人々が、はは~っと、ひれ伏すような、お方か・・・
どう見えるかは別として、ご自分自身のことをそう思っておられるような、高貴なお澄ましぶり。

どうして彼女が、そんなにわたしの目を引くのか・・・自分でもよくわからない。
が・・・・、おそらく、わたしの悪いクセ、怖いもの見たさ、が、悪さをしているようだ。
話したことも、まるでなく、声すら聞いたことのない、彼女。
どんな人物か、性格や行動は?など一切知らず、見た目しか知らない。
でも、興味を引いた。
見たくなくても、わたしの、なにかよくわからない感知センサーが、振動して、振動して、止まない。

自分自身の人格を低める発想、卑しい感覚が露呈されるのは、自分でも避けたいので、
理由を明確に説明するのはやめる。

彼女の外見や雰囲気を説明するだけで、こんなに文字数を費やしてしまった。

その彼女が、わたしのダンス仲間の知人Yさんと、更衣室で話していた。
よしみ似が、ドスのきいた声で、いきなり言った。
「あんた、それ、なんぼやった?
あたしのと同じドレスやん、色違いやけど。今日は、同じドレスになるけど、色が違うから、まっ、ええか。
で、それ、なんぼで、買ったん?
あたしは、8000円定価のとこ、2000円やってん、安いやろ。買わんと損や思て買うたんや。
で、あんた、ぶっちゃけ、なんぼやったん?」

Yさんは、にこやかな笑顔で、答えを濁していた。

あとで、Yさんに、「あの人とえらく仲がいいんやね」と聞いたら、Yさんは、顔を合わすのは2回目だと言う。
いきなり、初対面の時には、
「あんた、何歳?」
と聞かれたそうだ。
「ね、あんた、何歳? 何歳なん?」
そう聞かれて、「あなたと同じぐらいと、ちがう?」と、返答をはぐらかしたと、Yさんは言う。

年、値段、賭けひきなし。おおさかのおばちゃんは、ストレートだ。ストレートすぎる。
わたしも、おおさかのおばちゃんなのだが、いやはや・・・あそこまで自分に素直になれない。


某所パーティがあまりにもレベルが低いので、
対策として、Yさんに教えてもらった、その会場の至近距離にある、プロの教えるレッスンに顔を出してみた。
よしみ似と、Yさんが、初めて顔を合わせたという、ダンスレッスン場だ。(レッスンは、開催されて二回目だった)
そこで、わたしは、よしみ似と、鉢合わせた。

うわっ・・・よしみ似が、いる・・・
わたしは、そう思ったが、よしみ似は、つんと澄まし、挨拶のひとつも、目をにこっとさせることも、
まったく何もせず、当然、話しかけてくることもなく、
わたしという人物を見なかったかのごとく、いないかごとくの無視。(最初、その場には3人しかいなかったのに)
お互い、キライ合っているムードが、おそらく漂っていただろう。

Yさんは、ふっくらしていて、まるく愛嬌ある笑顔で、誰にでも親近感を抱かれ好かれるタイプ。
よしみ似は、Yさんには、こころを許したのか、好意を抱いたか、そりゃ、知りませんが。
いつものご自分の素のまんま、通常モードで接しているのだろう。

前々から、よしみ似が気になるというのは、
好感を抱く場合と、そうでないという場合があるんだ、と、その瞬間に自覚した。

おそらく、Yさん、よしみ似、わたし、は、同じぐらいの歳だろう。
よしみ似に対する感想は、書かない。分析も、書かない。
おそらく、行間に、にじみ出ているはず。
書き出すと、なにを書くかわからないし、わたしには、その勇気がない。

世の中には、同性、同世代でも、いろんな方がおられるようだ。

(へんに、ひねて、ホンネをかくして上品ぶっているより、
地のまま、飾りっ気がなくていい、という見方もあるだろう・・・けれど・・・)

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卑怯って、気楽でいい

2012-10-26 | 趣味

そうか・・・

素人と玄人の定義は、とても難しいようだ。
お金をもらっているか、もらっていないか。
生業にしているか、していないか。

売れない芸人や、芸術家は、どうなる?
文芸モノではなく、商品のコピーや、ライターさんは、どうなる?

専門分野にいる人は、分野外の人よりも、その世界がよくわかる。
分野外の人は、わあわあ、すごいすごい、って言ってるだけだけど。
内側にいる人は、どの程度のすごさか、わかってしまう。

でも、医学や化学、物理、自然科学などと違って、芸術系って、モノサシが、とっても曖昧。
というか、わたしが、芸術の外側にいるので、よくわからないのだ。
ミーハーなのだろう。

そういうと、シンコ弟は、「姉ちゃん、僕のこと、頑張れって、言ったやん!」
と、ふて腐れるかも知れない。

わたしは、しょせん、生活者なのだ。
表現者ではない。
表現者として、到底、プロなどの足元にも及ばないし、同席することも、並ぶことすらない。
なので、自分は自分で、横っちょに置いておいて、
どういう表現をしようが、その現れ方よりもさることながら、もっと、芯の部分を見る。
ところが、芸術系の人は、芯の部分そのものが、複雑怪奇で、素人には、ようわからん。
数式や図式で説明するという手もあるのかも知れないが、よけい、わからん。

素晴らしい表現に出会うと感動するが、こちらは受け手であって、表現側ではないので、
ただただ感動するのみ。
だから、自分と比較したりして落ち込むことはない。
(似たようなレベルだが、ちょっとだけ上の人に出会うと、落ち込むが)
同じフィールドにいる人は、1周目を走っている人と、5周目を走っている人が、
同時に横で走ってたりして、レベルの違いをひしひし感じたりするんだろうけれど。
(わたしも、低レベルで、そういうことは、よくある)

東京藝術大学を主席で卒業して、第一線でやらなくったって、
風呂屋のタイル絵をやってたって、
大きな映画の看板で、似ても似つかぬ、俳優の顔を描いてたって、
パティシエでもなんでもなく、全然、どおってことない、せんべいを毎日焼いてたって、
それはそれで、いいんです。

第一線、第一級であるかないか、わかってる、目利き能力があるってことも大事だけれど。
普通、それぐらいの目は、あるだろう。
まあ、ない人も多いかも。まったく興味ない人も多いみたいだし。
才能なんてのは、評価の仕方が難しいし、光が当たる人は、ほんの一握り。

駄文であろうがなかろが、それで食べている人もいる。
アートも、そう。
自分が表現したいモノではなくても、クライアントの意向に沿い、かつ、プラスアルファが要求される。
商業デザイナーとかでも、それで食べることができるのは、ほんの一握りの人だ。

生活者は、卑怯にも、ここで、開き直る。
魂を悪魔に売ってでも、食べていかなければならない。
理想を追求していては、餓死する。
そうやって、自分の才能がないことを生活のせいにしたりする。
でも、わたしは、まったく、そもそも芸術者じゃないので、へーき。
見る側の人間。
表現側ではないので、気楽でいい。
ああ、卑怯って、気楽だな~。

疑問に感じたり、問題点を整理したり、
思ったことを素直に書くところは、やはり兄弟だけあって、弟は、わたしに似ている。
同じ親から生まれただけは、あるなあ。

ということで、お姉ちゃんは、あくまでも弟を応援している。
わたしは、末っ子ではあるが。

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おんなよ、邪心も、ほどほどに。

2012-10-15 | 趣味

なんだか、誉めていただくと、とたんに、キーを打つ手が震えてしまう、
小心者の、わたしだ。

わたしは、末っ子というせいもあって、どうも、重みに欠ける。
この年になっても、可愛がられたい甘えっ子気質がまだ抜けず、気持ち悪いばかりだ。ゾゾっ。

どしっとした重みや風格が欲しいところだが、程遠い・・・・・。

服装も、じつに、軽い。
自分の年齢に相応しいファッションではないので、
いつも、母から「あんたの服は、理解できない」と、センスを疑われる。
流行、プラス、自分流アレンジをしているだけなのに。
ちょっと、顔や年齢と合ってないだけなのに。
ちょっと、バーゲン、お買い得品、安物ばかりなだけなのに。
最近は、「それ、いいなあ。わたしにも買ってきて」と母に言われることもあるが、
母の年齢、体型には、絶対、無理。
母も、焼きが回ったのか。

その点、社交ダンスのパーティ・ドレスは、なんでもあり。
まるで、妖怪の棲家かと思われるほど、年齢を無視した、派手派手さ。
先日、店内からはみ出るほど、すごいドレスが並んでいるパーティ・ドレス ショップで、
これまた、すごい年齢のご婦人の方々が熱心に選んでいるところを
通りすがりの年配の男性がご覧になり、「この店は、いったい、なんの店や」と驚いておられた。

ドレスと着る人、年齢の、大いなるミスマッチ、
魔女の店、お化け屋敷、とでも思われたかも知れない。

パーティでは、正統派、高価で上品な美しいドレスを纏っておられる、お美しい方もおられるが、
そうでない方もおられる。

ショップで、お気に入りを見つけ、同じドレスを奪い合う場合も、相手の女性の顔を見ると、うんと年上。
「あら、それ、いいですわね」
「あなたも、よくお似合いですよ」

にっこり微笑みながら、内心は、

「あなた、こんな派手なドレス、着る気?」
「そういう、あなたこそ?」

ああ、おんなの戦いは、こわい。


かくいう、わたしも、先週末、これ以上目立つ赤はない、という、真っ赤なドレスを買った。
じつは、レッスン用のスカートを持って行くのを忘れ、レッスンホールで販売されているものを間に合わせで買った。
あんまり気に入ったものがなくて、その日のレッスンが受けられないし、どうしよう・・・と、ぐずぐず悩んでいたら、
あら?!と一瞬、真っ赤のドレスが目に入り、即座に飛びついた。
派手だなあ・・・とは思ったが、真っ赤は持っていなかったし、ほかにいいのがないし、レッスン時間は迫るし、
迷う余地はなかった。

案の定、「今日ここで、一番、目立ってるよ」と、男性クラスメートに言われーの、
いつも、わたしとドレス争奪戦を繰り広げている女性クラスメートは、目ざとく見つけ、
「あら? それ、どこにあった? わたしも、着させて。
ぜひ、また、譲ってね」
と、キラリと目を光らせ、迫られーの、
「わあ、今日は、違うイメージですね」と先生に言われーの、
「オシャレね」と、いつもオシャレな人に(嫌味で?)言われーの、
その後に行ったパーティで、また、辛口コーチに、コメントひとこと言われーの、
マッカッカ・ドレスの効果は、即効テキメン。

いつもいっしょにパーティに行く、クラスメート女史は、けっこう、立派な体格で、
「ねえ、これ、似合う? 太く見えない? お腹、ぼんっと出てない? 本当のこと、言って」
と、いろんなドレスを試着し、純真な目で、問いかけてこられるのだが、
わたしは、「うん、似合ってるよ。お腹は、そんなに目立たないと思うけど」
などと、つい、口から出てしまう。

しかしながら、彼女との、ドレスの奪い合い合戦は、熾烈を極める。
自分が欲しいものを相手に買わせず、自分が欲しくないものを相手に買わせる、
しかも、喜んで、楽しく、いきいきと、ケンカも諍いもなく、満足して。
その誘導のテクニック。それが、また至難の業。

自分の思いに、まっすぐ。
醜いのか、かわいいのか。

ああ、おんなは、こわい。

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つかみそこねた、泡沫の夢・・・

2012-10-06 | 趣味

女性は、見かけの美しさが大事なのだろうか?

婚活をしている、経済的に自立している熟年女性のブログを見ると、
そういう男性が多いようだ。
特に、社会的にそこそこいっている、年収の高い男性が、女性の容姿重視の人が多いとか。

うちの夫は、気の毒だ。
これは、実感である。


わたしは、相手の男性が、よっぽど、ひどい容姿ではない限り、だいたいOKである。
障害物競争のハードルは、めちゃめちゃ低い。
(こういうと、ますます夫が気の毒である)


ダンス・パーティの時は、臭う人は、即、NG。
シャツが汗で、べとべとの人も、ほんの指先だけで、汚いものでもつかむかのようなかんじで踊る。
服装が、Tシャツだったりすると、こころの中では、NG。
この要素が、一人の人で、すべて、かぶっていたりする。
早く、パートナーチェンジしてくれないかなあと思う。
でも、ダンスが上手なら、それほど苦にはならない。(ただ、そんな人は、そういない)

会話をするのも、相手の顔がどんなにヘンで、鼻毛がちらとのぞき、歯茎が歯と同じぐら見えていても、
べつに構わない。
相手の容姿には、ほんとうに、こだわらなくなった。
というか、ある程度の年齢以上になると、容姿は衰える。
生物である以上、避けられない宿命だ。
あとは、外見を構うか、構わないか、の違い。

構う人は、ジムに行き、カラダを鍛え、オシャレなニオイの石鹸を使って汗を流し、身だしなみを整える。
少々、顔がデカかろうが、アタマに毛がなかろうが、本人の意気込みや行動で、充分、補っている。

と、アタマでは、自分で思っている・・・つもりだ・・・が。
実際のところ、なぜか、わたしは、若いイケメンには、理屈ぬきに弱い。
思考能力がゼロ状態で、ぴたっと止まってしまうほど、脳はフリーズする。

なので、全男性が、美しい若き女性を好きなことは、絶対に非難できない。


ちなみに、自分はどうかと言うと・・・

細い女性=いい女
と勘違いしている女性が、大半だと思うが、
年をとると、細いのは、みすぼらしくて、いけない。
病気っぽかったり、老けて見えたり。
ふくよかな豊満ボディのほうが、幸せのラインを形づくる。(と、わたしは、思う)

ダンス仲間の女性で、お腹周りが、ふくよかな女性がいる。
彼女は、食べることが大好きで、気にせず、食べてしまう、と言っていた。
食べる瞬間は、幸福感に満たされているが、あとで、現実に戻り、げんなりするらしい。
顔は美人。胸はGカップぐらいはあると思う、すごいグラマーさん。
背は高くなく、ウエスト周辺は、胸よりは小さいが、理想的なサイズから、やや、はずれている。
若いときは、さぞや男性の目を釘付けにし、ものすごく美しかっただろう。
明るく、たくましい、気さくな、いい感じの女性だ。
ダンス体型としては、ベストではないのが、惜しいところだ。

ダンス体型は、ある程度、背が高くて、手足が長いことが望ましいとされる。
背が低いと、目立たない。
目立って、なんぼ。


パーティに、新人さんが登場した。
すらりとした長身、身体が、しなやかで、よく動く。ダンスのセンスがあるようだ。
パーティは初めてだが、個人レッスンを受けているという。
伸びしろも、とても大きい。
そこそこ若く、ばっちり美人。

別人で、もうひとり、新人さんがいたが、彼女は、地味で目立たない。
年齢は、同じぐらいか?
この違いは、なんだろう?

新人の初々しさ、フレッシュ感は同じなのだが、違いは、
躍動感、今後への期待感かなあ・・・と思う。
ああいう、大勢の人でごった返す中では、自信なさげな、控えめな方よりも、
キラキラしている方が、断然いい。
目立ったモン勝ち。

で、もはや新人ではなくなった、自分を振り返り・・・
ため息が出た。
ただでさえ、自信のない、いじけ性質なわたしなのに・・・さらに、さらにさらに、自信を喪失した。
天性の容姿に恵まれ、見た目も美しく、ダンスの素質もある、そして自分より若い人。
こういう人が、彗星の如く目の前で、パーティ・デビューされると・・・
落ち込む。

最近、自分にハッパをかけようと気を取り直して、思い切ったドレスを購入して、張り切っていた矢先だった。
そのドレスも、わたしにしては冒険だったので、なかなか着てパーティに出ることができなかったが、
勇気を出して、恐る恐る着てみた。
そんな新しいドレスを着たわたしが、なんだか、とてもみすぼらしく感じた。
ドレスだけが、宙に浮いたような気になった。

フレッシュな新人さんは、ドレスといっても、ダンスウエアではない、普通のワンピースだった。
彼女は、ドレスの力など借りなくても、充分、本人自身の素材のよさが発揮できていた。
安っぽいドレスを着ている自分が恥ずかしくなった。


人には、人の素質、才能があり、自分には、自分の個性がある。
比較すると、自分が惨め過ぎるが、比較せずにはいられない、浅はかさ。
何年やっても、何回練習しても、飲み込みは遅く、身体も脳も、動きは悪く、
時ばかりが過ぎていき、年を取る。
端から、ひょいと、性能のいい新人が、すいすい追い越し、追い抜いていく。
メカと同じだ。
時代が進めば進むほど、高性能で、小さく、値段も安くなる。
古いメカは、本体も部品も製造中止になり、故障したらそれまで。
そっと、故障しないように、性能が悪いまま、不便な目をしつつ、大事に大事に使っていくしかない。

花が咲いてもいないのに、後輩に追い抜かれ、でも踏まれても枯れそうになっても引退もせず。

今朝、起きてみると、どかっと疲労感、脱力感に襲われた。
なんだか、一瞬、泡沫の大きな夢を見ていたかのようだ。

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ぼろぼろ

2012-09-21 | 趣味

さて、
決して見てはいけない禁断のブログ村ポイント、
ああ、降下の一途を辿り、どんどんランクは落ちていく。
まあ、いまに、始まったことではないのだが、やはり、秋の風。ひゅ~~。

気にすまい、気にならないぞ、へーき、へーき・・・でも、なあ・・・。
不特定多数の行きすがりの皆様方、・・・そう、行きずり・・・なんです。

そんなことは、とっくに卒業し、
いまでは、眉のひとつもぴくりともせず、なんの感情も動かないんじゃなかったの?
そんなことは、どうでもいいことでありまして、(きゅっと襟を正す)
わたしは、わたしの道を進んでいくことにします。

それにしても、この日本、平和であると実感するとともに、この平和は揺るぎないのかどうか、
いささかの不安も感じる、今日この頃。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は、ごろりと打って変わって・・・

わたしが、ダンスパーティに行き始めた最初の頃(今年の2月終わり~)、よく踊っていた人がいる。
わたしは、他の人とも踊りたかったのだが、その人は、ずっとわたしばかりと踊るので、困っていた。
「僕には、パートナー(女性のダンスの相方)がいるけれど、飽きてきた。
でも、パートナーシップを解消するわけにもいかない」と、言っていた。

その人は、踊りも、正式にはあまり深めておらず、我流のようで、クセがある。
踊っていて、わたしが気分よく心地よく汗が流せる踊りではない。
わたしの正統派・私的コーチが言うには、「お腹を突き出しすぎ」と、踊りの評価は低い。
今、思えば、わたしが、パーティ初心者だったから、こりゃいい、とばかりに、自分流を押し付けていたように思う。
一昨日、久しぶりに踊ってみて、さらに実感したが、彼は、踊りにくい。
よく、あんな踊りの人と、ある一定期間、踊り続けていたなあ・・・と、そんな踊りをしていた自分が不思議だった。

わたしは、しかたなく、その後、その人を避けるため、彼の出没しないパーティ会場を選んで行くようになった。
たまたま会場で会っても、わたしは、逃げの一手ではあったが、
「あなたとは踊りたくない」というメッセージは、どうにか伝わったようだった。

○○会場以外では、その人は、毎回、踊る相手を特定せず、踊っている。
各会場ごとに、別の特定の相手がいると、聞いたこともある。

そうこうしているうちに、その人は、特定の踊る相手を見つけたようだ。
○○会場では、必ず、△△さん(名前は知らないが)と、いつも、ずっと踊っている。
その女性の踊り方は、何度見ても印象に残らない。
(ドレスは、いろいろ、凝ったものをとっかえひっかえ、お持ちだが)
必死で、評価しようと目を皿のようにして見ても、やはり、ぜんぜん、わからない。
すごくヘタでもない、すごく上手でもない、すごく個性的でもない、ごくごく普通の踊りなのだろう。
しかしまあ、なにがよくて、あの男性の相手を務めているのだろう。
世の中、いろんな人がいるから、成り立っているんだと、しみじみ思う。


少なくとも、わたしは、この半年ちょっとで、変わった。
たった、7ヶ月間のことではあるが、大きく大変化を遂げた。
最初は、おどおど、踊る相手の一挙一動に、一喜一憂していたが、
いまでは、なんのその。
まったく、非常識な、ひどい態度の男性に当たると、砕けるどころか、
「まあなんと、こんな最悪な男性もよく存在したものだ。
相手の女性は、なにがよくて、こんな男性と組んでいるんだろう」
と、不思議を通り越して、同情を通り越して、理解不能になっている。

パーティでその場限りで踊るだけなら、
たんに、パーティ馴れした、適当に不特定多数の人をあしらう、すれっからし、のようなもの。
末期医療、回避のために、寝たきりゼロを目指し、健康維持を図る老人の溜まり場と化するパーティ会場においては、
今のわたしは、明らかに、目的が違っている。
ただただ現状維持と、気晴らし、時間つぶしのために、身体を動かしている方々とは、
目的が違うという自負がある。
今は、日々、トレーニング、精進を重ねる時期だと決めている。
ここ1年~2年が、山場だととらえている。
一気に攻めなければ、上達への階段が遠のくだろう。
そのためには、個人レッスン、団体レッスン、両方を積み重ね、技術の鍛錬に励んでいる。
パーティ会場に出没する、多くの素人・教え魔もいるが、教え魔レベルも、ピンキリで、だいたいわかってきた。
わたしの個人レッスンの先生である、競技ダンス現役プロのT先生に、優る人はいない。


今後の目標は、相手に頼りきらない踊り、自立した踊りをする、ということだ。
そのためには、もっとも、不得意なシャドウ(一人で踊ること)と、カウントを自分で取れるようにすること。
これまでは、相手に頼りきっていたので、すべてお任せで、なにも考えず、ついていくだけ、
好きだということと、勘とノリだけできたツケを、いよいよ精算し、自分の足で立っていかなければならない。

これは、今までの自分と決別するぐらい、大変なことで、楽しいばかりのダンスとは趣がちがってくる。
教えられるだけ、導かれるだけではできないことで、自分から能動的に取り組まなければ、身につかない。
わたしの長所は、相手に合わせることだったが、
逆に、いちばんキライで苦手な、自分で覚え、考えなければいけない。
受身から能動へ。守りから、攻めへ。相手に合わすダンスから、積極的に発信するダンスへ。
基本に帰り、一から踊りそのものを見直し、土台、芯となるものを作りなおさなければいけない。
そういう、新たな課題、方向性が見えてきた。
長所を生かすのは楽しいが、それはそれとして、短所を克服するという、すごく困難、イバラの道だ。


ちなみに、
踊りがダメな人ほど、威圧的。子型犬は、鳴き声が、甲高い。
自分の非、不出来を決して認めない。相手のせいにする。
これは、不動の鉄則として、ひしひしと感じる。

しかし、一昨日、突然ではあるが、
ほんとうに、突然、ダンスに、気持ちが動かなくなった。
なにがどう嫌になった、という、ハッキリした原因があるわけではないのだが、
すぽっと空洞に落ち込むかのごとく、
あんなに張り切って、楽しみにしていたことが、なんの熱も放たず、ひや~っと温度が下がった。
どうしてだろう。

こんなこともあるのか。
おそらく、緊張の糸が、ぷつんと切れたのだろう。
糸が劣化、磨耗したのかも知れない。
急にやる気が消滅し、昨日も眠気が襲い、ジムも、さぼってしまった。

今夜から明日にかけての、おっちゃん軍団の、我が家へのステイが、無事終わり、
翌日、彼岸の墓参りがすむと、ひと段落しようと思う。
ここずっと、頑張りすぎていたが、本人には無意識だったのかも知れない。
そういうと、頑張らないことが、わたしのモットーだと常日頃からブログに書いていることと、
大きく矛盾する。

ああ、わたしのブログ。
なんで、こう、いつも、ころころ違うことを書いているんだろう。
いつもいつも、同じことを書いていて、うんざりすることもあるのに。

雨の日も、晴れの日も、いろんな日があるっていうことだ。
完璧なものでなければアップしない、などという方針とは程遠い、わたしのブログ。

ぼろぼろだ。

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武者修行 雑記

2012-09-10 | 趣味

ダンス・パーティで、多くの老若男女が入り混じって踊る中で・・・
いえ、「若」は、いませんが。
もとい、・・・
大量の中高年男女が、踊るのを見ていると・・・

なにが、どう、目につくか。
これは、あくまでも、わたし独自の視線である。

自分が踊って気づくことと、踊らずに気づくこと、これは、目線が違う。

踊る順番を待つために並んでいる女性たちを見て・・・・
見ていて気づくのは、美しい女性と、美しいというカテゴリーでは収まりきらない女性。

美しい女性は、顔がキレイ。
お化粧も、ばっちり。ヘアスタイルも、ドレスも、そして、スタイルも良い。
こういう人は、けっこういる。

ふつうの人も、けっこういる。

見る人のそれぞれ持つ、美に対する感性の違いがあり、
なにが美しく見えて、なにが美しく見えないのかは、非常にビミョー。
多分、美しくないわけではないと、思うのだが、
(奥歯にモノが挟まった言い方を延々としていて、多少、疲労感ありの、わたし)
おやと目を引くのは、
おもしろい不思議ドレス(色やデザインの組み合わせや、体型をものともしない勇気)
かなりのお年に相応するお顔、その顔とのバランスをあまり顧みないメーク、
加齢による、体型の著しい変化が明確にわかる方。

ほかには・・・
つんとお澄まししていて、いかにも、わたしは美人なのよ、と思っていそうな、歌手の天童よしみ似の方。
背が低く、イメージが似ている。
いつも小指をぴんと立てて、踊っておられるが、どうも、わたしは、あの方が苦手。
話したこともない、縁もゆかりもない、被害を被ったわけでもない人なのだが。
つんとした表情と、顔が、どうも一致しない。
天童よしみをちょっとキレイにして、細くしたようなかんじで、天童よしみそのままの、本人ほど、あそこまで天童よしみではないのだが。
わたしだって、こころのなかで、いろんなこと、他人さまに思われていると思うが、
思ってしまう感性、こころは、止められないので困りものだ。

書き足りないので、ついでに一気に書いてしまおう。
「ブ○」「デ○」「チ○」なんだけど、キレイにメークしていてドレスもちゃんとしていて、トドメとしては、
つんつんつんと澄ました表情、あれが効いている。
せめて愛嬌があるとか、愛くるしさが欲しいところだが、逆の作用をもたらす表情をされる。
というか、無表情のときの表情が、あんな表情なのかも知れないのに、
なんで、意識的に表情を作らないといけない?と、ご本人に反発されそうだ。

(わたしも、前に、表情がイキイキしていない、嫌そうな顔をしている、もっとイイ表情をしろと、
何度もアドバイスされたことがある)

本人には、そんな気持ちは、まったく、さらさらないのだろうけれど、
わたしの、実にけしからん感性が、むくむくアタマをもたげ、こころの中で、ばたばた暴れて、言うことをきかない。
感性以前の問題で、ちゃんとした大人として、思ってはいけないことだ。
その、つんつんを見るたびに、(見る気はないのだが、怖いもの見たさか、なにか知らないが、つい目に入ってしまう)
こころに、つんつんが入ってきて、わさびが効くように、つんつん鼻をついてしまう。
「ブ」「デ」「チ」でも、なんでもいいから、まるみ、まろやかさが、欲しい。あるのは、つんつんばかり。

わたしの、目と、こころが腐っているからに他ならない。
あの人は、わたしに、そんな失礼なことを思われる筋合いも、根拠も、まったくない。
しかし、これでは、一歩も前に進めないので、
まあ、単なる見た目の好き嫌い、ということで、大雑把に片付けよう。


それと・・・
顔は美人で、背も低くなく、体型も悪くなく、凝ったドレスもとっかえ、ひっかえ、
いつも決まった人と組んで踊っているのだが、しかめっ面していることが多く、いかにも不満げに見える女性。
ペア解消、間近か?

あとは・・・
最近、あまりお見かけしないが、
ラテン系の方で、ハーフかなにかだろうけれど、個性的な姿勢で踊る、個性的な衣装の方。
色が黒くて、目鼻立ちがはっきり、くっきり大造りで、黒い眉や髪が、印象的。
申し訳ないのだが、わたしの個人的感性、好みからすると、この人は、あまりステキではない。
なぜだろう?
表情のせい?
かつて、外国の街角で見た、わたしが、ちょっと嫌な目に遭わされた女性に似た雰囲気をお持ちだ。
あまり、いま、幸せな境遇ではないのかも知れない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓ここらあたりからは、ダンスの内容についての話になるので、飛ばしていただくとよろしいかと・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

女性が踊っている姿を見て思うのは、いかにも身長差がある人と、もたもた踊っている人、
ペアである二人ともが、あまりちゃんと踊ってない(踊れていない)人、
そういう人は、お上手ではないと感じる。

顔見知りの男性と踊っている女性(どんな踊りをするのか、見ているが、
男性の踊りはよく見ているが、女性のほうは、ちっとも印象に残らない)、

どの女性も、踊りとしては、可もなく不可もなく。

決まった相手・ペアと踊っているところを見ると、踊りの上手、ヘタがわかるけれど、
不特定多数の人と踊ると、相手の踊り方にも左右されるし、見た目には、上手ヘタはなんとも言い難い。

以上は、見て気づいたこと。

 

やっぱり、ダンスは、見るより踊るほうが、だんぜん、いい。
しかし、競技選手のように踊るには、会場が混みすぎているので、無難な踊りになる。
パーティには、運動と気晴らしのために来ている人が多いようで、あまりお上手な人は、来てないようだ。
来ていても、手を抜いて踊っているように思う。

 

さて次に、

女性同士は踊れないから、見るだけだが、男性と踊って気づくのは、相手(男性)の踊り方。
見た目がどうであれ、(あまりひどいのは、論外)、踊りやすいかどうか、気持ちよく躍らせてくれるかどうか。
口臭や体臭、汗でベトベトの服、・・・そういう要素は、抜きにして。(あまり、ひどい人はいない)

ぱっと見と、踊ったかんじとでは、違う。
どんなに見かけがよくても、がくっと気が抜けるほどど、ヘタな人もいるし、
見かけによらず、意外なほど上手な人もいる。
自分の技量がたいしたことのない人は、相手の非を口にする人が多い。

先週、けっこうお年なのに、ものすごくスピードのある、お上手な方と踊って、びっくり。
同じタイム内で、他の人の2~3倍は、ホールをぐるぐる回っただろう。
ついていけたわたしも、なかなか良かったと満足していたが、踊った直後は、息が、はーはー。
まるでスポーツ感覚なところが、とても爽快で気持ちよかった。

逆に、ずいぶん、ご高齢で、へにゃへにゃ踊りの、
これは、踊りなのか? 周囲の空気は、動いているのか?
というような、オジイチャンと当たったりすると、力が一気に抜けて、へなへなになる。

 

さて、まとめです。

 

パーティ修業を半年してみて、わかったこと・・・

はじめは、右も左もわからず、壁のシミだったことも多く、踊ってもらえるだけで喜んでいたが、
だんだん、上手な人とだけ踊りたいと思うようになった。
そんなわけには、当然、いかず、
そして、壁のシミになる時も今でも、まだまだ充分あるし、自分も上手でなければ、片手落ちだ。
上手な人は、たいがいペアがいる。
男性も女性も、一人で来ている人は、限られている。
なので、相手にあれこれ、要望だの、希望だの、いちゃもんをつけられる立場、状況ではない。


わたしのような若手は、パーティで、へろへろ遊んでいるのは、まだ5~10年早い、ということ。
あれは、ご隠居さんたちの、お遊びだ。
ダンスの第一線を退いて、あとは、余力で、ダンス力・維持のために、社交を兼ねて踊っておられるように思える。
もっと若手は、当然、パーティになんぞ来ず、競技で上を目指すか、技術の向上を図るため、日々、練習、鍛錬。
わたしの年齢は、競技挑戦の最終年齢かも知れない。
あるいは、パーティには出ず、デモ専門の人もいる。

デモに出る直前の人と、一昨日、初参加した団体レッスンがご一緒だったが、
彼女は、デモに出る前で、キンピカのドレスを試着していた。
しかし、団体レッスンで見た、彼女の踊りは、たいしたことがなかった。
ちょっとしたこと、基本に、気を付けたら、うんときれいに踊れるのに、デモ直前でもあの踊り、ということは、
デモって、そんなにダンスとしての完成度が高くないということだ。
煌びやかなステージ、ドレス、メーク、観客、そういう類の喜び、楽しみのようだ。
デモで、いかに、美しく見せるか、なのだろう。
(でも、肝心の技術的な基礎が、抜け落ちている。
あの団体レッスン、今後、続けるための次の手続きをしなくて正解だった)


団体レッスン、個人レッスン、パーティ、・・・これらを同時進行してきたが、
このあとの展開は、デモか、競技への方向性を固めること。
あるいは、デモにも競技にも進まず、ぐずぐず、だらだら今のままの延長という可能性もある。

あれこれ、わたしのダンス武者修行は、まだまだ続く・・・

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もたもた・・・もやもや・・・ビシバシ

2012-07-31 | 趣味

自作・駄小説、日曜日にあらすじを変更した。
月曜日に、また、あらすじを変更した。
火曜日、暑いこともあり、さらに、アタマのなかで、ぐるぐる、ぐねぐねしてきた。

いつまでも続編をアップせず、ほっているわけにもいかず、ここのところ、嫌々草稿を書いていた。
納得いかないまま、安物小説を渋々、前に書いていた分を日曜日にアップした。

すると、コメントが入っていた。
書きこぼれたところを指摘していただき、助かった。
自分では、気づかない(いや、気づいていても、手抜き確信犯)部分のご指摘。
そういう、ちゃんとした感想は、なんだか、うれしい。
で、手直ししていたら、ブログ更新する時間がなくなった。

なにやってんだ、わたし。

でも、ちょっとだけ、小説のストーリーを考えるのが苦痛ではなくなってきたかんじ。

わたしの歩めなかった人生、主人公に歩んでもらおうか。

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