今朝は、仕込みに追われる。今夜の店側お委せ宴会の遣り繰りである。金高も伸すのでメニューに無い料理の提供に思案していた当日である。海老のトマトソース煮なんかはメニューに無い、焼きナスも無い、牛ヒレ大刺し霜降握り寿司も無い、蟹カルボナーラも無い。何れもメニューに載せても金高が張り売れない訳である。オイラは、和食出身だからこういう料理は得意であるし素材を活かす技術には達したつもりで仕込みはするが仕上げの半分は其の場の空気で行う。お客さんの飲み物やお腹の減り具合を判断し「景色」とする訳である。で、其の景色は数分で消え失せる。お腹の中に呑み込まれるからだ。景色と言えば、オイラの寝床の景色と言うか有り様も風情があるなっ!室情であるが、歴史書の散らかり、老眼鏡のあちこち、ギタービデオの山積と中々に良い景色でありオイラの人と也を表す。つまり、室情はオイラの個人的私生活の景色な訳だ。では、勿論一家の家情も有って其れも一家の景色だなっ!だから、一族の景色も存在し町内の景色も在り区の市の県の国の景色も在る訳
だ。馬鹿馬鹿しい。
だ。馬鹿馬鹿しい。