常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

初夏の花

2019年04月25日 | 

春の気温が高いせいで、早々と葉桜になり、例年なら5月にならないと顔を見せない初夏の花が春雨に濡れて咲いた。シャクナゲは何と言っても高山で見るのが一番だ。喘ぎながら登った高山で、この花を見つけたときなど、誰もが思わずに歓声をあげる。だが庭木として栽培されても、その豪華な花が目を楽しませてくれる。気品のある花の姿は、美女のおもかげを偲ばせてくれるであろうか。斎藤茂吉の歌に

石楠花は木曽奥谷ににほえども

そのくれなゐを人見つらむか 茂吉 

英語でライラック、フランス語リラ、日本語では紫はしどい。ヨーロッパではその花の姿とともに、その芳香が愛されてきた。桜の咲く季節に寒気が入ると花冷えというが、6月北海道では、梅雨にならず、肌寒いリラ冷えに会うこともしばしばである。その言い方がしゃれていていい。

リラ冷えや睡眠薬はまだきいて 榛名美枝子

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花筏

2019年04月24日 | 日記

 桜は蕾から、開花、満開そして散りゆくまで多様な美しさを見せてくれる。散った花びらが、水に浮かぶのを、しゃれて花筏というが、究極の美であるといえる。鮭を一尾、刺身やルイベ、塩鮭、干鮭、あら汁と一尾を食べ尽くす趣に似ている。その花筏にしても、風が吹き花吹雪の中や、雨のなか、そして早朝とで、それぞれの趣きがある。こうした花の鑑賞の仕方、鮭の賞味の仕方が、日本人の繊細な情趣を育んできたような気がする。

花は散りその色となく眺むれば むなしき空に春雨ぞ降る 式子内親王

古今和歌集で女流歌人の白眉と評される式子内親王の歌である。式子は後白川天皇の第三皇女で、長く加茂の齋院の地位にあった。うす暗い庵室のなかの孤独と忍従の生活は、その内面へと自己の思いを沈殿させていった。皇女の歌は忍ぶ恋に、その真髄を表出している。

暁のゆふつげ鳥ぞあはれなるながきねぶりおもふ枕に 式子内親王 

                                                                                

                                           


 

 

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花桃

2019年04月23日 | 

桜が終わると、花桃の美しが際立って来る。梅だけでなく、この花木も中国から伝えられた。そもそも、中国で大事されている花と言えば、桃と牡丹だ。中華料理の店に、桃香苑、桃華楼などの名を見かけることが多いことでも、桃がいかに大事にされているかが分かる。桃源郷はユートピアの中国版であるが、そこには咲き誇る桃の花がある。西王母の伝説でも、三千年に一度咲き、三千年に一度実をつける話が出て来る。

花桃は花を観賞するための桃で、日本で更に観賞用として、品種改良が行われた。花を盛んに植え付けるようになった江戸時代から、日本ではこの花が愛でらて来た。白とピンクの咲き分けがあるのは、盆栽の皐月と同じである。実はつけるが、小さく、食用には用いられない。

ネットを開いて見ると、この花の名所が紹介されている。群馬県みどり市、茨城県古河市、埼玉県ときがわ町、長野県須坂市などなど、東北では福島県の花見山公園だけが載っている。写真で見るだけだが、5000本もある花桃が咲き咲き誇っている景観は見事というほかない。

中国人の桃への思い入れ、それにプラスして日本人の花を愛でる文化がこの花を生み出した。今、ここでも、愛好家が庭にこの花を植えている。朝の散歩で、この辺で見かけた思いながら歩いていると、ここにも、あそこにも、見事な咲き分けの花が咲いている。


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芽吹き

2019年04月22日 | 日記

桜が散り始め、モクレンも大きな花びらを落とし始めた。神社にあるケヤキの大木が芽吹き始めた。花は目まぐるしく咲きはじめ、百花繚乱の趣きである。そんななかの、大木の芽吹きは感動的だ。辺りに日陰をつくる前の一瞬だが、そのあまりの美しさに、歩を停めて見上げてしまう。春は木も、鳥も、冬中じっと蓄えてきた生命のエネルギーを一気に発散させる。それだけに、人に様々な感傷を起こさせる。

 あはれしる 三好達治

あはれしるおさなごころに

ありなしのゆめをかたりて

あまき香にさきし木蓮

その花の散りし忘れず

コメント (3)
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菜の花

2019年04月21日 | 日記

菜の花が咲くころ、畑しごとが忙しくなる。畑を整地して、肥料を撒き、種を蒔く。スコップで土を掘るのも、なかなかの力仕事だ。年々、仕事が遅くなり、畑にいる時間も短くなっている。かってのように、今年こそはと、気張って畑に向かうこともなくなってきているような気がする。

菜の花といえば、日本の懐かしい風景である。菜種油の原料として、どこの農村に行っても、広い菜種畑があった。花の咲く前、間引きした菜を食べるのが好きであった。畑ににも、茎たちを植えていたが、いつの間にか蒔くことを忘れてしまった。」

丹羽文雄の小説『爬虫類』に、菜の花を描いた一節がある。

「菜の花はもうせんを敷きつめたように、あくまで豪華な眺めの方がよい。娘時代には、この黄色の自然の饗宴に、限りない夢を託したものである。呼吸の中まで黄いろに染まりそうな菜の花の海に向かっていると、たとえようのない清潔な時間が流れているのだった。」

今は海にたとえるほど、大きな菜の花畑を目にすることはなくなった。早春の便りとして、房総の菜の花畑の映像を見るのがせいぜいである。農村の風景も、時代によって移り変わっていくようである。

菜の花にそふて道あり村稲荷 正岡子規

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