常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

青梅

2015年06月24日 | 万葉集


入梅はまだだが、梅の実は太って大きくなった。梅酒を作るにも、この青い梅を利用する。梅干の梅は、半夏生のころの少し黄ばんだものを用いる。万葉集に、梅の実がなるころに、結婚したいと申しいれる歌がある。

妹が家に咲きたる花の梅の花 実にしなりなばかもかくもせむ 万葉集399

藤原前房の三番目の子、八束が少女の母に結婚を申し込む歌である。あなたの庭に咲いている梅の花、その花が実になったときは、どのようにも思うままにしたいと、思います。ややぶしつけの感じのする歌だが、宮中の高官の息子であれば、結婚の申し込みもこのようなものだったのかと、想像する。

もう梅の木の花は散り、実が大きくなった。この実を見て、八束はもはや少しの余裕も置かずに
待ちかねた結婚へとことを運んでいったのであろう。それにしても、花が散ってから、実がなるまでの時間は、長いようでもあるが、過ごしてみればあっという間である。



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積乱雲

2015年06月23日 | 雲の名


上空に寒気が入り、地表との温度差が40℃を越えると、上昇気流が起き積乱雲ができる。雲の頭は10000mにも達することがある。大部分は水滴の集まりであるが、頭付近は氷の結晶になっている。上昇気流による突風、水滴が落ちてくる豪雨、氷のところが落ちると霰、そして発雷が盛んである。山形も1時間ほど前に、雷が多発して、かなりの落雷あったもようである。写真は真っ黒な雷と雨を降らす去った空の風景だ。これから地上の温度が下がってくるので、発雷の可能性は少なくなったものと思われる。

日本に雨をもたらす梅雨前線はインドで発生する。この時期のインドの天候は不安定である。雨の降り方も気まぐれで、雨期が遅れれば旱魃となり、雨が多いと洪水が起きる。高温が続いて千人単位で人が死ぬ。経済もこの天候で左右されるので、モンスーン・ギャンブルなどというありがたくない言葉が生まれた。
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服部南郭

2015年06月22日 | 詩吟


服部南郭は荻生徂徠門下の儒学者である。門下では太宰春台と双璧をなしたが、積極的な春台に対してあくまでも温厚な南郭、その性格は両極端であった。京都の裕福な家に生まれ、和歌や連歌の素養のある家で育った。経世家として世に出る春台に対して、詩文を愛し、平野金華らと人間性を重視する穏やかな学問の道に進んだ。詩文とともに画を描くことにも巧みで、柳沢吉保の認めるところとなり、18年間柳沢公に仕えた。後、江戸の不忍池の近くで塾を開いて、学問を教えた。

 夜墨水を下る  服部 南郭

金龍山畔江月浮かぶ

江揺らぎ月湧いて金龍流る

扁舟住まらず天水の如し

両岸の秋風二洲を下る

金龍山とは浅草の待乳山のことである。まさに隅田川の辺で、毘沙門天を祀る待乳山聖天がある。ここには、推古天皇の御世に土地が突然盛り上がり、金色の龍が降り立ったという伝説がある。聖天のある小高い丘を金龍山と呼ぶ。山の辺の墨水に月の影が浮かぶ。そんな夜半である。月影が川面にきらきらと浮かぶ様は、伝説の金の龍が流れているようだ。その中を小舟がすべるように下っていく。舟の上では空と水の区別がつかないほど澄み切って見える。川の両岸は、一方が武蔵の国、もう一方が下総の国。その二つの国間を舟は下っていく。

この詩は、平野金華の「早に深川を発す」、高野蘭亭の「月夜三叉口に舟を浮ぶ」とともに、墨水三絶と称された。どの詩も、詩吟の人気の吟題になっている。詩吟を愛好するものには、忘れ難い詩である。服部南郭は宝暦9年(1759)6月21日、江戸に於いてその生涯を閉じた。享年77歳であった。
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ビヨウヤナギ

2015年06月21日 | 


キンシバイとビヨウヤナギ、どちらもオトギリソウ科の低木で、黄色い花を咲かせる。見分けは長い雌しべだ。葉が細く長いのでヤナギに見立てられた。未央ヤナギと表記する。白楽天の長詩
『長恨歌』に、戦を終えて皇帝は長安に帰るが、もはや皇帝の寵愛をほしいままにした楊貴妃の姿はない。皇帝が、妃を回想して

太液の芙蓉 未央の柳
芙蓉は面の如く 柳は眉の如し

池のなかで咲く芙蓉の花を見て、妃の顔を思い起こし、未央ヤナギの葉を見て、妃の眉を思った。そして、皇帝の涙は、とどめることもできず、滂沱として落ちるのであった。

このビヨウヤナギの葉を妃の眉に例えるのは、いささか的を得ていない気もするが、白楽天の長詩は、このような比喩を交えながら、格調高く詠まれる。
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丁岳(秋田)

2015年06月20日 | 登山


丁岳(1146m)に登ってきた。山友会の仲間からは、難しい山と聞かされ、ついに20年の間に登っていない山だ。今日の参加者の3名は2回以上登っている。山頂は狭いところに3角点があるばかりで、これと言った展望もなく、ここを見ただけで、この山の魅力を語ることはできない。

丁岳は山形県真室川と秋田由利本荘市の県境にある。今回は、秋田側の大平キャンプ場近くの登山口から登る。笹子と書いてじねご、直根と書いてひたたねと呼ぶ珍しい名の集落が山麓にある。丁は時や方位を表わす言葉で、ひのとと読む。火の弟という意味を含んでいる。方位では南を表わすので、あるいは集落の南にある山という意味であるかも知れない。



登山口から入ると橋を渡るとすぐに、急な登りの登山道にとりつく。この山は火山ドームの形を残し、歩く道は狭い尾根に限られる。だが、道はしっかりと整備され、急坂は木の階段を設けて登山者の安全を確保している。腐葉土がふかふかとして、膝や腰への負担が少ない。

観音岩を越したところに沢があり、影に雪が残っている。水場の水は手を切るように冷たい。この先の登山道では、笹タケが伸びて末折に丁度よい。



枯れ葉の間からギンリョウソウが顔を出している。葉緑を持たない不思議な植物である。白く透き通っていて、腐生植物である。動物の糞や死骸から栄養をとる。ユウレイタケという呼び方もあるので、キノコなど菌類の仲間かもしれない。



登山道脇のサラサドウダンの花が美しい。笹谷から山形神室の登山道でも見たが、この花に関しては、丁岳に軍配があがる。頂上から周遊コースの見える場所に行ってみる。この山塊もまた雄大で、周回コースの登山道が大きなアップダウンを見せて伸びていた。下山途中、青年の登山者が我々のグループを追い抜いた。朝8時に入山して、周遊コースを巡り、もう追い抜いたので、さすがに若い脚力である。本日山中で会ったたった一人の登山者である。

7時10分登山開始。頂上11時。周遊コース、鳥海山の展望した後、下山2時。本日の参加者5名。男性3名、女性2名。遠い雷鳴を聞くも、山中ではほとんど雨に会わず、快適な山行。周回コースへの挑戦は次回以降になる。

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