今日の11時、気象庁は東北南部の梅雨入りを発表した。最も遅い梅雨入りである。遅い梅雨入りは、今後大雨が懸念されるというアナウンスがある。近所を散策して目につくのは、やはり紫陽花がきれいに咲いていることだ。これから雨になれば、紫陽花の美しさはさらに引き立てられる。紫陽花は日本に古来からあるもので、万葉集にも登場している。万葉仮名では味狭藍または
安治佐為と表記される。
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にを いませ我が背子みつつ偲ばむ 万葉集4448
この歌は、天平勝宝7年(775)の5月11日、丹比国人宅で左大臣橘諸兄が、国人の寿ぎの歌への返しとして詠まれたものである。紫陽花が集まって咲く様を、人生の栄えに例えたものである。紫陽花が彩りを変えながら咲くように、あなたも元気にしていてください。紫陽花の花をみるたびに、あなたを偲んでいますよ。国人は諸兄に取り立てられて、右大弁に任じられた。
橘諸兄は遣唐使だった吉備真備、僧玄をブレーンとして登用、聖武天皇に仕え権勢をふるった。しかし、聖武天皇が病でその座を孝謙天皇に譲り、藤原仲麻呂が天皇の寵を得て台頭してくると、酒席での不敬を讒訴されて、左大臣の職を辞した。あたかも、この紫陽花の歌が詠まれた年である。職を辞して翌年には、諸兄は死去した。このことから、歌のなかで、八つ代、つまり
幾年もいませと言ったのは、深い意味がある。諸兄没後、子の奈良麻呂は乱を起こして破れて獄死、連座した国人は遠島となった。