常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

清少納言

2017年03月06日 | 百人一首


清少納言が心を許し、冗談を言い合うような仲であった公達に藤原行成という人がいる。平安時代の能書家で、野道風、藤原佐理と並んで三蹟の一人に数えられた。また政治家としても、道長の側近として仕え、活躍した。清少納言が一条院の中宮定子の局に仕えていたころ、行成が遊びに来て夜更けまで、もの語りを楽しんだ。話の内容は、教養のある二人であったから、中国の故事や詩の話に及んだであろう。二人が恋仲だという説もあるが、そのあたりは触れる必要もない。時間を忘れて話している内に、行成は宮中の物忌みに籠らねばと言って、あたふたと帰っていった。

その翌朝早く、行成が清少納言に手紙を書く。「夕べは楽しい話で、夜を徹して話をしたかったのに、鶏の鳴き声に急かされて残念です。」と手蹟もあざやかに書き送ってきた。それを見た清少納言は、「まだ夜中でしたよ。そんなときに鳴くのは孟嘗君の鶏ですか」と返事をしたためた。清少納言が中国の故事に詳しいところ見せたところだ。秦の国で囚われの身になった孟嘗君が函谷関まで逃げてきたが、鶏が鳴くまで門は開けないと言われているところ、従者の一人が鶏の鳴きまねをすると、関所の鶏が一斉に鳴きだして脱出に成功した、というのがその故事である。

行成も負けていない。その手紙にさらに返書した。「ここは唐の国ではありませんよ。函谷関ではなく、逢坂の関ですよ。あなたと逢うために出るのに、関守も厳しくありません。」と意味深長な手紙。そこで詠んだ清少納言の歌が、百人一首に収められている。

夜をこめて鳥の空音をはかるとも 夜に逢坂の関はゆるさじ 清少納言

ニセの鶏の声でだまそうとしても、そうたやすくは逢うことを許しはしませんよ。この歌を読み解くためには、これだけの故事の知識を必要とするが、宮中でこんな軽妙なやりとりを楽しんでいたのが、貴族たちである。ここから、恋が芽生え、男女の仲が生まれるだろうことは、容易に想像できる。ただ、教養をひけらかす清少納言を、「したり顔」だと厳しく非難したのは、『源氏物語』を書いた紫式部である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 啓蟄 | トップ | 蕗の薹 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿