常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
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武士道

2019年03月29日 | 日記

 

このほど、大相撲の大関に推挙された関取・貴景勝が、使者に述べた口上が話題を呼んでいる。「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進して参ります」と述べ、その核に武士道という言葉を選んだ。この言葉はかつての武士が重んじた、儒教の道徳を基礎としているため、一見古めかしいような響きがある。しかし、明治になって、日本は西欧の芸術や技術を積極的に取り入れてきたが、その精神のバックボーンはこの儒教の道徳であったことを忘れてはならない。

北海道で農学を学び、教育家であった新渡戸稲造は、アメリカ、ドイツに留学し、教育学を学んだ。キリスト教徒となりアメリカの婦人と結婚、帰国して北海道大学で教鞭をとった。アメリカ在留中に、日本の教育に宗教関係の学問が欠けていることを指摘され、新渡戸が書いたのが『武士道』であった。この本は、英語で書かれ、日本理解の書として評価され、ルーズベルトやJ・F・ケネディの愛読書となったことでも知られている。

新渡戸は武士道を山に例え、麓の緩やかな傾斜から、急峻な頂上まで5段階に分け、一番の低いところに体力にまかせ獣力だけを誇る匹夫の輩を最低の武士と位置付けている。その上に住むのは、残虐さは消えるが、戦場で勇敢な下士となるが、平時は厭われる俗吏。その上は、傲慢の姿勢が抜け、書を読み多少の教養を身につける。しかし、上級者には窮屈だが、下の者には威張るという性癖がある。その上にあるのは将軍たちであり、思想行為の指導的な階層だ。柔和よりも厳粛が特徴だが、彼らの言葉はその場で記憶されるのみで、学ぶ者のうちに生きて残留しない。

峻険な山径を攀じ登って至高の地には、武士の最高の者がいる。彼らは貴賤、大小、幼老、賢愚と等しく交わり、愛情はその目より輝き、その唇に震う。学を衒わずして教え、恩を加えずして保護し、説かずして化し、助けずして補い、施さずして救い、薬餌を与えずして癒し、論破せずして信服せしむ。

新渡戸は『武士道の山』のなかで、このように述べ、この境地はキリストの徒のものと通づるものがあると述べている。貴景勝の口上は、短い。しかし、その奥を探れば、この精神を重んじながら、自らを究めていく道のりは、長く厳しいものである。

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