常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

天狗山

2018年10月13日 | 登山

神仏の宿る山。いうまでもなく近くで言えば

出羽三山、飯豊山、広く見れば比叡山、高野

山。しかし、さらに身近な里山にも、そうし

た山がある。飯豊町にある天狗岳に登って、

そのことを教えられた。この山の登り口であ

る一の鳥居は、小白川集落にある。ここから

登山口のある二の鳥居までは、林道を5キロ

ある。沢に面した路肩に一部危険個所がある

ので注意が必要だ。

登山口に到着したのが、8時38分。準備運動

をしてすぐに登山道を歩く。町の環境協会か

ら貰った案内図には参道と記してある。小さ

な橋を渡ると道は沢筋の細い道になる。崩れ

た道は迂回する道になっており、簡易の梯子

がいくつも掛けられてある。参道との記述に

納得がいく。滑石に沢の水が流れているが、

滑らないように所々に切り込みがつけられて

いる。わずかな水だが、集落の氏子たちはや

や困難な道を登って、護摩堂や山の神への参

拝をすることに意義を見つけたのかも知れな

い。

滑沢の先の山道を少しそれた沢筋に、三ケ月

不動の滝がある。天狗の住む山と里の人に恐

れられた山であるが、修験の山として山伏の

修行を積む道場であったことも納得が行く。

急峻な岩場と瀧、加えて要所要所に置かれた

多くの神を祀る石像。この山を登拝したのは

里の五穀豊穣、家内安全が切実な願いであっ

たであろう。

やがて着いたのは、護摩堂。いまは、賽銭を受

け、近くの水場で喉を潤しながらひと休みする

場所となっているが、かっては修験道の重要な

役割を担っていた。修験道では地獄から天に至

る修行で柴灯護摩と言われる、夜の火の儀礼が

行われた。護摩壇で焚かれる火は、修験者の葬

儀とみなされ、その死の苦難の後に再生する。

この修行が行われた護摩堂を礼拝することによ

って里の集落の禍を除け、五穀豊穣、家内安全

が得られる、という信仰がいまなお行われてい

る。

山頂の山の神に至るまで、道中に祀られて

いる神仏の多さに驚く。勢至菩薩、大黒天、

虚空蔵尊、稲荷明神、などの苔むした石碑。

さらに文殊菩薩に庚申さま。ころほどの神

仏に頼む願いはどんなものか、少し心配に

なる。青苧権現と姥神の石碑を過ぎると、

急峻な鎖場に着くここを登りきると、天狗

山の山頂。その奥にさらにひと山、奥の院

がある。登山口から休憩を入れて二時間足

らず参加者全員が無事登頂。山頂で秋晴れ

のもと弁当の時間。参加者11名。内女性8

名。

 

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