山に降る雪を見ると、ふと越後の国上山の五合庵で乞食の独居生活を送った良寛のことが頭に浮かぶ。春から秋にかけて、良寛は乞食をしながら村人が分かりやすい言葉や格言で、仏法の教化につとめた。無欲恬淡な性格は、人々から信頼され、村の子どもたちの遊び相手となってひとり暮らしを楽しんだ。
ただ、越後の雪深い冬は、良寛にとって、覚悟を強いられる厳しいものであった。子どもたちの声も消え、寺を訪れる人も姿を消す。毎年訪れる冬であるが、高いところの雪を見ながら、冬の暮らしを思い浮かべ、焚き木や食べものの準備に追われる。
今よりはふる里人の音もあらじ嶺にも峰にも積るしら雪
わが宿は越のしら山冬ごもり往き来の人のあとかたもなし
良寛は冬を囲炉裏に粗朶をくべ、かすかな暖をとりながら、書見などをして過ごした。それでも、厳しい寒さが責め苛んだ。
うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ
寒さが腹に通るなどという表現は、山中の冬を越したものにしかできないものである。和歌に詩に良寛は、己の不安や弱さを隠すことなく詠みこんでいる。このような厳しい生活に耐えながら、仏法を説くことが出来たこと自体が奇跡的なことだ。
風まぜに 雪は降りきぬ
雪まぜに 風は吹ききぬ
埋み火に 脚さし伸べて
つれづれと 草の庵に
閉じこもり うちかぞふれば
如月も 夢の如くに 過ぎにけらしも
瀬戸内寂聴の『手毬』はついこの間に読んだ小説だ。この小説も、良寛の人となりを語り尽くして洩らすところがない。