常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山寺への道

2012年12月02日 | 登山


高瀬の尾根から山寺方面をみると、重畳とした山並みである。奥羽山脈の一場面だが、新雪の山並みを眺望すれば、このような雰囲気になる。沢の出口に、集落が広がっている。かって、人々は農繁期が終わると、このような里山に分け入って、炭窯をつくり、炭焼きに冬を過ごした。

炭焼きは孤独な仕事である。吹雪に明け、吹雪に暮れる山中で、一人原木を伐り、それを窯に立てて炭を焼き、焼き上がった炭を俵に詰める。自分で飯を炊き、食事はもちろん一人だけだ。炭焼き小屋の冷え切った布団で、雪の音を聞きながら一人で寝入る。普段なら、やっかいもののネズミがにさえ親しみを感じるのが炭焼きだ。

炭焼きの孤独を癒してくれるのは、吹雪の合間をぬって出てくる炭だしだ。角だしは、大抵が里で留守を預かる女たちだ。元気いっぱいの女たちは着替えや、食べものも携えてきたであろう。里でのできごとを、機関銃のようにしゃべりつくす。妻であれば、なによりも孤独のうちに溜まった性欲を満たし尽くしたであろう。

戦後の成長によって、山仕事がなくなった。何よりも、燃料として使った炭が灯油や電気に置き換えられたのである。このために、日本の里山は大きく様変わりした。かって、切り出してていた、木材も船積みしてくる安い外材におき変えられてしまった。

山刀切の深雪の中で炭を焼く 阿波野 青畝

大嶺や裾曲の道を炭車    山口  誓子

尾根道には雪の上に熊の足跡が道をなすように残っている。熊はまだ冬眠には入っていない様子だ。細々ととした山道は、かっての炭焼きや、山菜、キノコ採りなどの人々が通っていた道に違いない。あるいは、山にこもって修行した山伏の道であったかも知れない。だが、山中で行き会う人はいない。ただ遠くで解禁された猟銃の音が響くのみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする