徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:結城光流著、『少年陰陽師~いつか命の終わる日が』(角川ビーンズ文庫)

2017年08月19日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

結城光流の『少年陰陽師』シリーズ第61巻に当たる『いつか命の終わる日が』は、主人公安倍昌浩以外を主人公とした短編集です。収録されている作品同士は関連性はありません。

収録作品は、『ただ、なんとなく』、『あの日、髪を切ったとき』、『この手が、指が』、『約定か、詭弁か』、『いつか命の終わる日が』、『狭間に見よ、夢の軌跡を』の6編です。

『ただ、なんとなく』は、安倍昌浩の誕生の際のエピソード。

『あの日、髪を切ったとき』は、安倍家にわけあって身分を偽って保護されることになった藤原彰子(藤原道長の一の姫)が安倍家で生きていくために髪を切ったときを回想するエピソード。

『この手が、指が』は、十二神将の一柱・玄武と彼に助けられ、視力を得た汐という少女のエピソード。

『約定か、詭弁か』は、昌浩の長兄・成親が因縁のある妖を調伏する話。

『いつか命の終わる日が』は、収録作品中最長のエピソードで、安倍清明の榎木岦斎にまつわる思い出の回想。

最後の『狭間に見よ、夢の軌跡を』は、『そこに、あどなき祈りを』の続編で、藤原敏次を主人公としたスピンオフ的なエピソード。

どの作品も本編または他の短編集を知らないと話が通じないストーリーで、その点ではその前の巻の短編集とは異なっています。少年陰陽師ファン向けのサイドストーリー集という感じですね。

個人的には、なぜか調伏される妖の方にほんのりと同情を感じてしまう『約定か、詭弁か』が気に入ってます。

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書評:結城光流著、『少年陰陽師~そこに、あどなき祈りを』(角川ビーンズ文庫)



書評:結城光流著、『少年陰陽師~そこに、あどなき祈りを』(角川ビーンズ文庫)

2017年08月19日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

結城光流の『少年陰陽師』第60巻に当たる『そこに、あどなき祈りを』は番外短編集で、10年前くらいの「十二刻」という小説を修正加筆したもののようです。

本編の時間軸で言うと、かなり初期のころ、まだ主人公の安倍昌弘(安倍清明の孫)が14歳で、無害な妖たちに慕われ(?)ながら、相棒・物の怪の「もっくん」と共に京の夜回りをしている頃のエピソードです。

個人的にこの時期の話が一番楽しいと思ってます。昌弘のことを絶対に名前で呼ばず、しつこく「清明の孫」と呼び続ける妖や雑鬼たちに対して、性懲りもなく「孫言うな!」と叫ぶ昌弘。「まあまあ」と宥めるかに見えて実はもっと辛辣な一撃を与えたりするもっくんなどのやり取りがのほほんと平和で可笑しい。

『そこに、あどなき祈りを』では、雅楽器・笙の付喪神から神隠しにあった若君を探してほしいという依頼が舞い込んできて、昌弘は図らずもとんでもない陰謀に巻き込まれてしまいます。9年前に頓死した昌弘の陰陽寮の先輩である藤原敏次の兄との関わりやいかに?

ストーリは「子之刻」に始まり、「丑之刻」、「寅之刻」と続いて、「子之刻」に終わります。そこから来た表題が「十二刻」。

何かと真面目でお堅い藤原敏次が、兄を慕う思いという柔らかな面を見せるいい番外編だと思います。

また「じーさま」こと安倍清明がまだまだ好々爺然として嫌味たらしく健在なところが楽しくていい。

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書評:中島輝賢編、『古今和歌集』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月18日 | 書評―古典

『伊勢物語』や『土佐日記』等の様々な作品に引用される『古今和歌集』の和歌。ではその引用元の勅撰和歌集とはどんな感じなのか読んでみたくて手に取ったのが本書。

古今和歌集は、醍醐天皇の勅によって、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)の四人が選した和歌集で、延喜5年(西暦905年)に奏上されました。約1100首の和歌が20巻に収められています。

前半の10巻は、四季歌の春上下・夏・秋上下・冬の6巻から始まり、その後に賀歌・離別歌・羇旅歌・物名が各1巻ずつ続きます。

後半の10巻は、恋歌5巻、哀傷歌1巻、雑歌上下巻、雑躰(長唄や旋頭歌のように31文字でないものや俳諧歌のように主題が特殊なもの)1巻、大歌所御歌(神事とかかわりの深い歌)1巻となっています。

本書にはもちろんこれらすべての和歌が収録されているわけではなく、およそ70首くらいの和歌を各巻から抜粋して紹介・解説されています。解説の中で別の関連する和歌が紹介されていることもあり、和歌同士の繋がりも分かるようになっています。

歌の並べ方にも撰者の意図あるいは解釈が反映されているようなので、連続する和歌が醸し出す世界観のようなものを味わうには全首収録されている古今和歌集を読む必要があるとか。

味わい深いとは思いますが、今は古典本を連続して読んだせいで、少々食傷気味です( ´∀` )

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:山本淳子編、『紫式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:山本淳子編、『紫式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月17日 | 書評―古典

『源氏物語』の作者である紫式部の手記、『紫式部日記』は、寛弘5-7年(西暦1008-1010年)の間の中宮彰子を中心とする宮中または土御門での出来事とそれに対する紫式部の所感などを綴ったものですが、全体の統一感はなく、その成立過程には様々な議論があるようです。

その構成は:

A 前半記録部分~寛弘5年秋の彰子出産前から翌年正月3日まで

B 消息体~「このついでに」に始まる手紙文体部分

C 年次不明部分~いつのことか知らされない断片的エピソード

D 後半記録部分~寛弘7年元旦から正月15日まで

となっています。

中宮彰子は、平安貴族の中で現代で恐らく最も名の知られた大貴族・藤原道長の娘で、一条天皇のもとに入内しますが、その時藤原道隆の娘・定子が帝の寵愛を受けていたため、懐妊するまでに9年もかかってしまったというちょっとお気の毒なお姫さま。紫式部は彼女に仕え、最初こそ慣れない宮仕えに戸惑っていたものの、主人を思いやり、主人のために働く意識の高い女房に成長していったようです。そのことがAとBの間の内容的ギャップに現れています。

Bでは、当時才女として名をはせていた人たちに対する評や彰子に仕える女房達への批判、改善点などが書かれていて、私はこの部分が一番面白いと思いました。和泉式部評もここに収録されています。でも紫式部がここで一番批判したかったのは、『枕草子』ですでに随筆家として名を馳せていた元定子の女房だった清少納言だったようです。定子後宮と彰子後宮が常に比較され、「女房の質が悪い」と彰子後宮が悪く言われていたことが余程悔しかったようですね。「得意顔でとんでもない(したり顔にいみじう侍りける人)」とか、「利口ぶって漢字を書き散らして(さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るども)」とか、「人との違い、つまり個性ばかりに奔りたがる人(人に異ならむと思ひ好める人)」とか、彼女の書くことは「上っ面だけの嘘(あだなるさま)」ばかりだとか、すごく辛辣で、いかに彼女が清少納言を敵視していたかが、ひしひしと伝わってきます。

AとDの記録部分はどちらも出産祝いにまつわる話ですが、祝い事の様子や、誰誰が来て、どんな服装だったとか、非常に細かく描写されていて、それはそれで当時の貴族文化を知ることができて面白いと思います。

本書は、現代訳も優れていますが、解説も豊富で、この作品の背景、人間関係などがよく分かるようになっています。



書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

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書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


ドイツ:持たざる者ほど多い税等負担~ベルテルスマン財団調査

2017年08月17日 | 社会

今日公表されたベルテルスマン財団の税負担に関する調査結果が衝撃的です。

調査は、ベルテルスマン財団の委託により欧州経済研究センター(ZEW)が、より多く働くことがどのくらいの手取り収入増加に繋がるかを各年収クラス、家計形態ごとに調べたものです。

結果を要約すれば「低収入の人ほど、より多く働いても家計の収入増につながらない」という理不尽なものです。

まずは限界収入1ユーロ、つまり通常収入を超えて得た1ユーロにどのような課税などの負担があるかを表す指標が【実効限界負担】(Effektive Grenzbelastung)です。

上のグラフを見ると、福祉分野の支援(住宅支援、児童手当など)減額・打ち切り、所得税、社会保険保険料で1ユーロのうちの半分強を占めています。

ただこれはあくまでも平均的な負担を示すもので、元の収入及び家計形態によってその割合は違ってきます。

シングル家計で年収が1万7千ユーロ(約219万円)であれば、1ユーロ余計に稼いでも手取り額は増えません。それに対して年収が7万5千ユーロ(約966万円)であれば、余計に稼いだ1ユーロのうち56セントが手元に残ることになります。

夫婦で子供が二人の家系においては、家計年収が4万ユーロ(約515万円)であれば、余計に稼いだ1ユーロのうち56セント、家計年収が9万ユーロ(約1,160万円)であれば、66セント手元に残ることになります。

場合によっては限界負担が120%、すなわち余計に稼いだ1ユーロに対して税等の負担が1ユーロ20セントになり、20セントのマイナス収入になることもあります。これはドイツで就労能力のある失業者に給付される生活保護である第二種失業手当(俗に「ハルツ4」)が、労働収入に応じて減額される場合などに起こるようです。

シングルマザー家計でも状況は厳しく、年収23,800ユーロ(約306万7千円)までは限界負担が一貫して60%で、年収4万千ユーロ(約528万円)あたりから漸く限界負担が下がり始めます。

この調査からの提言は、児童手当、住宅手当、失業手当などの社会保障的給付金の相互調整を行い、より多く働こうとするモチベーションを上げるべきだということです。

やはりそこが一番喫緊に改善されるべきところでしょうね。

累進課税自体にももちろん改善の余地があるので、9月の連邦議会選挙を目前に控えた選挙活動の中でも様々な提案がなされてますが、連立政府は4年も時間があったにもかかわらず、その問題を放置し、なんで選挙前になって今更のようにそこに改善の余地があることに気付いたのか疑問に思う限りです。

調査報告はこちら

参照記事:

Zeit Online, "Mehrarbeit lohnt sich häufig nicht", 17. August 2017
Bertelsmann Stiftung - Aktuelle Meldung, "Wer wenig hat, wird am stärksten belastet: Steuer- und Sozialsystem benachteiligt Geringverdiener", 17. August 2017


ドイツ:5人に1人の子供が継続的に貧困 ベルテルスマン財団調査報告(2017年10月23日)

ドイツ:最新貧困統計(2016年度)

ドイツ:貧富の格差はヨーロッパ最大


書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月15日 | 書評―古典

 『和泉式部日記』は、この日記の中で語られているお相手である敦道(あつみち)親王がわずか27歳で亡くなった後に、悪い噂を払拭しようと和泉式部が寛弘5年(西暦1008年)に書いたものと言われています。ただし他作説もあるようです。

全35段はおよそ次の3部に分けられます(本書解説より):

  1. なかなか進まない恋(1~17段)
  2. 燃え上がる恋(18~32段)
  3. 現実を変えた運命の恋(33~35段)

和泉式部という女性は、恋多き女性、情熱的な歌人として有名ですが、世間の噂ほどには浮ついた人ではなかったということをこの日記で主張しているようです。

「和泉」の名は彼女の最初の夫が和泉守に就任したことから来てます。つまり本名がどうだったかは不明なわけですね。この最初の夫とは一女をもうけたものの関係はすぐに冷えたらしく、夫の方が離れて行ったらしいです。

次のお相手は為尊(ためたか)親王で、これも身分違いの恋で当時随分なスキャンダルだったようです。為尊親王はあろうことか流行り病で26歳の若さで亡くなってしまい、まるで和泉式部のような下賤の女のところに通ったから死んだかのように『栄花物語』に記されています。

和泉式部の中宮彰子の下での同僚であった紫式部も「モラルに反するところがあった」と彼女を評しているようなので、かなり派手な噂のある人だったみたいですね。

さて、この日記の相手である敦道親王は、亡くなった為尊親王の弟で、和泉式部よりも3歳ほど年下。為尊親王が亡くなってから1年ほどして、彼が亡き兄から引き継いだ小舎人童(こどねりわらわ)を和泉式部のもとに遣わすことから二人の恋物語が始まります。二人の歌と文のやり取りが中心です。まあ、平安時代外でデートするとかはあり得なかったので、基本的に男が女のもとに通うしかないわけですが、なにせ男は天皇の息子。皇太子ではなくともそうそう外出などできないご身分なので、通うこともままならないのですね。

おまけに彼は和泉式部にまつわる噂に惑わされ、嫉妬したりいじけたり、最初は結構引に彼女と関係を持ったにもかかわらず、その後は結構煮え切らない態度を示すので、「おいおい、最初の強引さはどうした?」と疑問に思うほどです。

それでも二人の恋が続いたのは、お互いの孤独さ、頼りなさ、信仰心などを通じて響き合う仲だったからみたいですね。紆余曲折を経て、結局和泉式部は敦道親王のお邸に入ることになります。ところがそこには彼の冷めた仲とはいえ北の方、つまり奥さんが居て、和泉式部が来たことに酷くプライドを傷つけられ、お姉さん(春宮・居貞(いやさだ)親王の女御)が里帰りしている実家に誘われて帰ってしまいます。このあたりの経緯を描いているのが第3部(33~35段)で、そこには和歌は登場しません。

和泉式部は「手紙も和歌も、言葉がきらりと自然に光っている感じ」というのが紫式部の和泉式部評のようですが、原文を読んでも私には残念ながらその「きらりと自然に光っている」言葉は分かりませんでした。ところどころ、切り返しがうまいなと思うところはありましたが。

全体的にどちらも噂や人目を気にし過ぎで、非常に窮屈な感じがします。狭い貴族社会に縛られている人たちだから仕方のないことなのかもしれませんが、それでも「噂にそこまで惑わされなくてもよいのでは?」と思うところが所々あります。「しめやかで切ない」と言えばそうかも知れませんが、私の感覚では「嘆き過ぎじゃないか?」という感想の方が強くあります。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

2017年08月15日 | 健康

今日は血液検査のためにがん専門クリニックへ行ってきました。

採血はCVポートで試してダメだったので、腕の静脈から。今日は上手な人で、一発で当たり、痛みも殆どありませんでした。

血液の方には全く問題ないそうで、その点では今のところ抗がん剤に対して問題ある反応をしていないと言えます。

ドクターとの面談で、副作用のことなどを話しました。肌のかゆみやかぶれやすさなどは、抗がん剤 Paclitaxel に含まれるイチイの植物毒によるもので、取りあえず我慢するしかないとのことでした。関節痛もその副作用の一つですが、ひどくなったらイブプロフェンなどの鎮痛剤を服用していいと言われました。

また抗がん剤点滴後は普段以上に水分を取ると循環器系の問題も起きにくく、「起き上がれない」、「だるい」といった症状が緩和されるとのことです。次回の点滴は8月29日なので、そのあとは気をつけることにしましょう。

こうして話が水分に至ったところで、私がよくお茶を飲んでいることを伝えると、「緑茶ばっかりじゃないでしょうね?」と質問されてちょっと驚きました。「お茶は、緑茶や様々なハーブティーまたはジンジャーティーなど色々だし、水もよく飲む」と答えると、彼はうんうんとうなずいて「それでいい」と言い、「緑茶ばかり飲んでると膀胱がんになるからね」と衝撃的なことをのたまいました。

今まで緑茶は健康にいいと思っていたのでビックリ( ゚Д゚)

でもがん専門医が言うことならそれなりに根拠があることなのでしょう。

調べてみると、緑茶に含まれる没食子酸エピガロカテキン(Epigallocatechin gallate、EGCG)は強力な抗酸化活性を示すため、がん治療に有益とされる一方で、この活性ゆえに発がん性の可能性もあるというようなことを見つけました。直接に膀胱がんに関する記述は見当たりませんでしたが、がん専門誌などにそういう報告があったのかも知れませんね。

何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。

がん闘病記6


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


書評:糸森環著、『恋と悪魔と黙示録』全9巻(一迅社文庫アイリス)

2017年08月15日 | 書評ー小説:作者ア行

『恋と悪魔と黙示録』は2012年からのシリーズで、2017年7月に刊行された9巻で完結しました。

私がこれを読みだしたのは2014年以降です。ティーン向け(?)ファンタジーライトノベルですが、きちんとファンタジー世界が構築されており、一度入ってしまえば難なく楽しめます。

主人公は悪魔の名を記した聖沌書を複製する森玄使であるレジナ・バシリス、16歳。兄を悪魔に喰われて失った彼女は教会に引き取られて、勉学に励み、森玄使となりました。教会の敬う神は「ラプラウ神」。ある日彼女は神魔と呼ばれる高位の魔物を召喚してしまいます。それは赤毛の獣の姿でしたが、人型になると美しく禍々しくなります。その名はアガル。彼と契約することによって、レジナは神魔を使役し《名もなき悪魔》の名を書に記す朔使となります。

このシリーズのベースラインはこの二人(一人と一頭?)の恋物語なんですが、神魔は契約主を盲目的に溺愛し、それ以外は世界が滅びてもどうでもいいというような人間離れした感覚の持ち主で、かつ妙に乙女だったりするので、そのずれっぷりが笑えます。

ストーリーが進むごとに段々話のスケールも大きくなっていき、タイムスパンも8巻で急激に伸びます。世界はラプラス神の保護のない魔の時代へ突入し、魔王マグラシスが悪魔に「進化」をもたらそうと人間界を侵略していきます。

荒唐無稽と言ったらそれまでですが、幾重にも織り込まれた伏線が複雑に絡み合い、感情がもつれて関係が複雑化していく様子の描写には力があり、引き込まれます。

そしてどんな深刻な状況でも、乙女心を忘れず、レジナを褒め称え、一人で照れるのんきな神魔の脱力感がまた魅力です。

脱力すると言えば、ラプラウ神の化身である小汚い灰色の鳩。本当に神なのか?と疑わしくなるほど的外れにのんきな「くるっぽー」という鳴き声を発し、おまぬけにも敵に捕獲されてしまうという情けなさがまた味わい深いです。

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書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月14日 | 書評―古典

『土佐日記』は承平4年(934)に土佐守の任期を終えた紀貫之が京の自宅に着くまでの55日間(12月21日~2月16日)の旅をわざわざ侍女のふりをして(「男もすなる日記といふものを、女もしてみんむとてするなり」)描いた日記文学です。この時代、日記と言えば男性官人による公務の記録で、漢文で書かれるのが普通でしたが、『土佐日記』は全編【女手】とも言われるひらがなで書かれたものです。

紀貫之は在原兼平のファンだったようで、『伊勢物語』の内容に言及したりしています。その意味では『伊勢物語』⇒『土佐日記』という読む順番は正しかったと言えるかもしれません。

『土佐日記』は旅行記なので、その世界に入り込むのは容易な方だと思います。原文だけではいかんともしがたいですが、現代語訳を読んだ後に原文に当たればそれほどちんぷんかんぷんにも感じなくなります。その後さらに解説を読むとより深い理解が得られます。

旅程は土佐国府のあった大津から室戸岬を回って北上し、鳴門「土佐の泊」から東進して紀伊半島に向かい、大阪から山崎まで川を上り、山崎から車で京に行くというもの。

船旅は全く愉快なものではなく、雨嵐や波に見舞われ、何日も足止めを食らったり、海賊が来ると恐れたり、川を上ろうとすれば水深が浅すぎて進めなかったり。本当にうんざりする気持ちが本文や折々に詠まれる歌に込められています。暇だから、歌を詠むしかなかったのでしょうね。

土佐で失った娘を思う親心もこの作品に一貫して流れるモチーフの一つです。

楫取(かじとり)は風流を解さないばかりが、強欲で雇い主の命を平気で無視するような輩なのですが、「速く漕げ」と催促したのに、それを無視して、楫取が水夫たちに出した号令が、歌のように七五調31文字(御船より、おほせ給ぶなり。朝北の、出で来ぬ先に、綱手はや引け)だったと感心してるあたり、「え、そこなの?」と思えたり( ^ω^)・・・

見送りに来る人、差し入れをくれる人、出迎えに来る人たちを鋭く観察し、一部の人の「浅ましさ」にうんざりしたり、「返礼が大変」と思ったり、その辺にとても共感できました。

最後に帰宅して、邸宅の手入れを頼んでおいたにもかかわらず荒れ放題になっていて失望し、それでも手入れをしてくれた(くれなかった)隣人にお礼をしなければ、と考えてうんざりするくだりも、気持ちがよく分かりますね。そして娘と一緒に帰ってこれなかった悲しみも。

そして最後を、「とまれかうまれ、とく破りてむ(何はともあれ、こんな駄文はさっさと破り捨ててしまいましょう)。」で締めくくっているあたりが面白いですね。侍女のふりをして日記を書くということ自体が「ネタ」だったようです。


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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月13日 | 書評―古典

雅な和歌とともに語られる「昔男」(在原業平)の一代記。垣間見から始まった初恋、清和天皇の女御となる女性との恋、白髪の老女との契り、男子禁制の斎宮との一夜などを経てやがて人生の終焉にいたる様子を描く。」

と商品紹介に書かれている『伊勢物語』。一人の男を主人公にした色恋沙汰を物語っているという点では源氏物語に通じるものがあります。作者・成立は不明ですが、源氏物語の中で「伊勢物語は古い」と言及されていることや、『蜻蛉日記』にも『伊勢物語』の一エピソードが言及されていることから、平安初期に成立し、宮中でかなり親しまれたものらしい。

題名は『伊勢物語』の他、『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』などバリエーションがあります。【在五】は在原業平が在原氏の五男であることから来ています。『伊勢物語』の『伊勢』は伊勢の斎宮との恋物語から来ているようです。

「昔男」は多くの段で「むかし、男ありけり」が冒頭に来ることによるらしい。

古今和歌集から歌を取って、それにまつわる物語を構築したり、または引用改変したりしてるので、作者は和歌の素養がある人なのでしょう。私には分かの良し悪しは分かりませんけど。

ビギナーズ・クラシックスシリーズ定番の現代語訳・原文・解説という構成で古文ビギナーズの苦手意識が緩和されます。

各段は独立性が高く、相互の関連性は比較的薄いので、一人の男の「物語」というよりは断片的な「エピソード集」のほうが近いように思います。それぞれのエピソードは玉石混淆で、風流なものもあれば、「で?」としかコメントできないようなものもあります。

ほほえましいと思ったのは23段の筒井筒です。筒井は丸井戸で、「井筒」は井戸の囲い。その周りで遊んだ幼馴染が成長して会えなくなっても思い合い、ついに望み通り結婚するという他愛のない話ではあるのですが、歌がいいなあと思いまして。

男が「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」と歌を送り、
女が「比べこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき」と返します。

どちらも子どもの頃の思い出に触れつつ、大人になって添い遂げたい心を歌ってるのが純真な感じでいいです。これは「昔男」とは関係のない挿話のようですが。

人が悪いなあと思ったのは62段の「逃げた妻見る影もなくやつれ果て」ですね。男が通わなくなったので、女が別の男について地方に下り、そこの妻に歓迎されなかったので、使用人となって働いていたところに偶然「昔男」が訪れる、というくだりなんですが、こいつが彼女に気が付いて、主人に頼んで彼女を夜伽によこさせ、そこでわざわざ「花をしごき落とした醜い幹のように、みすぼらしい姿と成り果ててしまったね」と意地悪言うんですね。結果女は逃げ出して以来行方不明。許せないですね。

このエピソードは「今昔物語集」巻30に載ってる話を作り替えたものらしいですが、元の哀切な余韻はなく、残酷物語になってしまっています。気遣いのできる「雅な男」はどこに行ったんでしょう?

124段は、晩年の孤独の哀切が感じられます。「思ふこと言はでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ」という歌を詠んだということしか書いてないのですが、「思うことは言わずにやめておいた方がいい、どうせ同じ気持ちの人はいない、分かってくれる人はいない」というのはなんとも哀しいですね。一種の「悟り」とも取れるかもしれませんけど。

全体的になかなか面白かったです。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

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