「雅な和歌とともに語られる「昔男」(在原業平)の一代記。垣間見から始まった初恋、清和天皇の女御となる女性との恋、白髪の老女との契り、男子禁制の斎宮との一夜などを経てやがて人生の終焉にいたる様子を描く。」
と商品紹介に書かれている『伊勢物語』。一人の男を主人公にした色恋沙汰を物語っているという点では源氏物語に通じるものがあります。作者・成立は不明ですが、源氏物語の中で「伊勢物語は古い」と言及されていることや、『蜻蛉日記』にも『伊勢物語』の一エピソードが言及されていることから、平安初期に成立し、宮中でかなり親しまれたものらしい。
題名は『伊勢物語』の他、『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』などバリエーションがあります。【在五】は在原業平が在原氏の五男であることから来ています。『伊勢物語』の『伊勢』は伊勢の斎宮との恋物語から来ているようです。
「昔男」は多くの段で「むかし、男ありけり」が冒頭に来ることによるらしい。
古今和歌集から歌を取って、それにまつわる物語を構築したり、または引用改変したりしてるので、作者は和歌の素養がある人なのでしょう。私には分かの良し悪しは分かりませんけど。
ビギナーズ・クラシックスシリーズ定番の現代語訳・原文・解説という構成で古文ビギナーズの苦手意識が緩和されます。
各段は独立性が高く、相互の関連性は比較的薄いので、一人の男の「物語」というよりは断片的な「エピソード集」のほうが近いように思います。それぞれのエピソードは玉石混淆で、風流なものもあれば、「で?」としかコメントできないようなものもあります。
ほほえましいと思ったのは23段の筒井筒です。筒井は丸井戸で、「井筒」は井戸の囲い。その周りで遊んだ幼馴染が成長して会えなくなっても思い合い、ついに望み通り結婚するという他愛のない話ではあるのですが、歌がいいなあと思いまして。
男が「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」と歌を送り、
女が「比べこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき」と返します。
どちらも子どもの頃の思い出に触れつつ、大人になって添い遂げたい心を歌ってるのが純真な感じでいいです。これは「昔男」とは関係のない挿話のようですが。
人が悪いなあと思ったのは62段の「逃げた妻見る影もなくやつれ果て」ですね。男が通わなくなったので、女が別の男について地方に下り、そこの妻に歓迎されなかったので、使用人となって働いていたところに偶然「昔男」が訪れる、というくだりなんですが、こいつが彼女に気が付いて、主人に頼んで彼女を夜伽によこさせ、そこでわざわざ「花をしごき落とした醜い幹のように、みすぼらしい姿と成り果ててしまったね」と意地悪言うんですね。結果女は逃げ出して以来行方不明。許せないですね。
このエピソードは「今昔物語集」巻30に載ってる話を作り替えたものらしいですが、元の哀切な余韻はなく、残酷物語になってしまっています。気遣いのできる「雅な男」はどこに行ったんでしょう?
124段は、晩年の孤独の哀切が感じられます。「思ふこと言はでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ」という歌を詠んだということしか書いてないのですが、「思うことは言わずにやめておいた方がいい、どうせ同じ気持ちの人はいない、分かってくれる人はいない」というのはなんとも哀しいですね。一種の「悟り」とも取れるかもしれませんけど。
全体的になかなか面白かったです。